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更新日時 2016年06月15日

 琵琶湖疏水とは、琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)である。国の史跡に指定されている。琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑、工業用水などに使われる。また、疏水を利用した水運も行なわれた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んだ。落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。一部の区間は国の史跡に指定されている。また、疏水百選の一つである。
@琵琶湖疏水。第3トンネル 850m。
@琵琶湖疏水。合流トンネル 87m。
A琵琶湖疏水の橋梁の上から撮影。
 B琵琶湖疏水インクライン。琵琶湖疏水は京都と大津間の船の輸送を用途の一つとしていたが、落差の大きい場所は船が運行できないので、台車に船を載せて上下させるインクラインで運行していた。蹴上インクラインは蹴上船溜りと現在の琵琶湖疏水記念館前の南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートル、敷地幅22メートル、勾配15分の1の路線で、運転用の巻き上げ機は蹴上発電所の電力で運転した。通過時間は10分から15分だった。一般に運河の落差がある場所で船を通行させるには、ロック(閘門)方式、インクライン方式、リフト方式の三つがある。パナマ運河やイギリスのテムズ川と運河はロック方式になっている。船を水門と水門で区切った閘室に入れ、その閘室の水を排水したり増水したりして、船を低い方や高い方へ進める。インクライン方式は、勾配のある水路にレールを敷き、台車に船を載せて、ケーブルカーのようにケーブルで引っ張り上下させる。台車に直接船を載せるドライ式、水を入れたケージに船を入れてケージごと台車に載せるウェット式がある。蹴上インクラインは、ドライ式のインクライン方式を採用した。
C琵琶湖疏水。
C琵琶湖疏水。洗堰。
D琵琶湖疎水インクライン。
E琵琶湖疎水インクライン「ねじりまんぽ」。←詳細リンク。
 F蹴上発電所は、琵琶湖疏水で得られる水力の有効活用の目的で建設され、明治24年(1891年)6月に発電機2台で運転を開始しました。情緒あふれるレンガ造りの発電所から生まれる電気は京都の街へと送られ、明治28年(1895年)には、塩小路(現在の京都駅)〜伏見駅へ走る日本初の市街電気鉄道(京都市電)の開通に大きく貢献しました。京都の近代化に大きく貢献した蹴上発電所は、開業から100年以上を経た今でも京都の街へ電気を送り続けています。
F蹴上発電所。要石が4箇所有る円い窓。
G琵琶湖疎水インクライン。
G琵琶湖疎水インクライン。
H琵琶湖疎水インクライン。跨線橋の上から撮影。
 I琵琶湖疎水記念館は京都府京都市の左京区にある記念館。1989年(平成元年)8月9日開館。琵琶湖と京都を結ぶ運河琵琶湖疏水の完成100周年を記念して京都市が開設した。開設20周年にあたる2009年には一時休館しリニューアルが行なわれた。所蔵資料は琵琶湖疏水とともに2007年11月に近代化産業遺産に指定されている。
I疎水工事の群像。
 I琵琶湖疎水で使われている煉瓦。京都府宇治郡御陵村(現在の京都市山科区西原町付近)に設けられた煉瓦工場から出てきたものです。表面には疎水工事のために造られた事を示す「疎」の文字が刻まれています。煉瓦の刻印写真集
I京都の消火栓と水道。
Iペルトン式水車。 Iスタンレー式発電機。
I御所水道45°鉄管。 I水道管。
I第四トンネル南口洞門の笠石。の I測量に使われた石点。
J琵琶湖疏水。
J琵琶湖疏水。 白川合流。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『京都市』を掲載」
琵琶湖疎水蹴上インクライン