更新履歴

更新日時 2016年10月19日

 @横川駅(よこかわえき)は、群馬県安中市松井田町横川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。北陸新幹線の高崎 - 長野間が部分開業した1997年10月1日以降、信越本線の終着駅となっている。1 - 3番線の線路は構内のはずれにコンクリート製の車止めが設置され途切れているが、かつては碓氷峠を越えて軽井沢駅へ複線電化の線路がつながっており、碓氷峠越えの拠点となった駅であった。碓氷峠には66.7‰という国鉄・JRで最も急な勾配があり、列車が上り・下りするためには補機であるEF63を連結・解放する必要があった。そのため、全ての列車が長時間停車した。その時間を利用して乗客が購入していたのが「峠の釜めし」で、製造販売している「おぎのや」は駅前にある。
 @横川駅駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、中線を1線持つ構造である。以前は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線が中線を挟む構造であり、側線も多数ある広大な構内だったが、横川 - 軽井沢間の廃止後にほとんどが撤去された。また、構内には碓氷峠越えのための補助機関車の拠点として横川運転区が置かれていたがこちらも廃止され、現在は碓氷峠鉄道文化むらとなっている(夜間滞泊運用はある)。
A信越本線の横川駅 - 熊ノ平駅間の煉瓦橋台跡。
 B丸山変電所は碓氷線が幹線鉄道ではじめて電化されたことに伴い、明治45年に建設された。煉瓦造り建築の最盛期のもので、純煉瓦造り。建物2棟(蓄電池室、機械室)の煉瓦造からなる。軽井沢側の機械室には450kwの回転変流機2基と500kVAの変圧器2基が収められ、ここで交流6600ボルトを直流650ボルトに変換した。横川側の蓄電池室には312個の蓄電池が設置され、列車が通らない時に充電し、列車の登坂時に放電して電力を補っていた。
B丸山変電所の軒下に上敷免製の煉瓦の刻印があると聞いたが見つけられなかった。
 B平成6年12月27日碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財の指定を受け、老朽化に伴い、平成12年度より改修工事を進め平成14年7月に終了した。
B丸山変電所の機械室内部に補修用の新品煉瓦が残されている。
B丸山変電所の機械室の妻面の壁には配管用の穴が開いている。
 C信越本線の霧積川橋梁の上り線と下り線の間に旧線橋台が煉瓦造りで残っている。第1橋梁も煉瓦造りのアーチ橋(霧積川)でしたが取り壊されており、煉瓦造りの橋台だけが現在も残っています。
D信越線旧線の第1号トンネル(横川側)
D信越線旧線 第1号トンネルの煉瓦の刻印は見つからなかった。手抜き煉瓦の様だ。
手抜き煉瓦なので川口煉瓦製造所の煉瓦と思われる。500万個供給。
D信越線旧線の第1号トンネル(軽井沢側)
 E信越線旧線の碓氷第2橋梁。煉瓦造りのアーチ橋、川底よりの高さ12.2m、長さ23.5m、明治時代の2回の補修工事で、径間が当初の7.3mから3.9mに変更されました。欄干は撤去されていますが、ピラスターを備え補強工事前のアーチの上部には要石も埋め込まれていました。橋自体は直線橋でしたが、線路は半径300mの曲線を描いていました。現在はカルバート(径間4.6m以下)に分類されています。
F信越線旧線の第2号トンネル(横川側)隧道上部に塔が設置されている。
F信越線旧線の第2号トンネル(横川側)覆輪目地になっている。
手抜き煉瓦なので川口煉瓦製造所の煉瓦と思われる。500万個供給。
F信越線旧線の第2号トンネル(横川側)の隧道上部には塔がある。
F信越線旧線の第2号トンネル(横川側)の隧道上部の塔に○2個の煉瓦の刻印が数個見つかった。
G信越線旧線の第2号トンネル(軽井沢側)
G信越線旧線の第2号トンネル(軽井沢側)には塔が無い。刻印も見つからず。
H信越線旧線の第3号トンネル(横川側)
H信越線旧線の第3号トンネル隧道内部の煉瓦は下部がイギリス積みで上部が長手積みになっている。
手抜き煉瓦なので川口煉瓦製造所の煉瓦と思われる。500万個供給。
H信越線旧線の第3号トンネル(軽井沢側)煉瓦の刻印は見つからなかった。
I第3号トンネルと第4号トンネルの間に野良煉瓦が散乱しているがその中に煉瓦の刻印発見。
J信越線旧線の第4号トンネル(横川側)
J信越線旧線の第4号トンネルの煉瓦の小口には日本煉瓦製造社章の刻印が多数見つかる。
日本煉瓦製造からは750万個の煉瓦を供給した。
J信越線旧線の第4号トンネル(軽井沢側)
K坂本第6カルバートも煉瓦造りで出来ている。
L信越線旧線の第5号トンネル(横川側)
L信越線旧線の第5号トンネルは手抜き煉瓦なので川口煉瓦製造所の煉瓦と思われる。500万個供給。
L信越線旧線の第5号トンネルの内部で煉瓦が一部崩壊している部分の平面に煉瓦の刻印発見。
L信越線旧線の第5号トンネル(軽井沢側)
M碓氷第三橋梁の煉瓦も手抜き煉瓦が使われている。
 M碓氷第三橋梁は、群馬県安中市松井田町坂本にある鉄道橋。一般には「めがね橋」という名称で知られている。碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物である。国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われた。設計者は、1882年(明治15年)に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘されたイギリス人技師のパウナルと古川晴一。1891年(明治24年)着工。高崎駅と直江津駅を結ぶ路線(後の信越本線)のうち、上述の区間だけが未開通だったため急ピッチで工事が進められ、1893年(明治26年)に竣工した。もっとも開業直後から強度不足による変形が指摘され、これに伴い翌1894年(明治27年)に耐震補強名目で橋脚・アーチ部の双方に対する大掛かりな補強工事が実施された。
M碓氷第三橋梁のケーブルガイドはアプトのラックレールを使用している。
M碓氷第三橋梁。
M碓氷第三橋梁完成当時のめがね橋と改修工事(明治27年〜明治29年)
M碓氷第三橋梁を行くDC40型電気機関車。 M碓氷第三橋梁を行く蒸気機関車。
N信越線旧線の第6号トンネル(横川側)
N信越線旧線の第6号トンネルの煉瓦も手抜き煉瓦なので川口煉瓦製造所の煉瓦と思われる。
N信越線旧線の第6号トンネルの待避口と天井面の煙抜き穴。
N信越線旧線の第6号トンネルの横穴。
N信越線旧線の第6号トンネル(軽井沢側)
O碓氷第5橋梁。
O碓氷第5橋梁。
O碓氷第5橋梁のアーチ部は煉瓦が5重+7重になっている。7重部は補強されたと思われる。
O碓氷第5橋梁の補強された煉瓦の質が若干違う。
P信越線旧線の第7号トンネル(横川側)
P信越線旧線の第7号トンネルの煉瓦の小口には日本煉瓦製造社章の刻印が多数見つかる。
日本煉瓦製造からは750万個の煉瓦を供給した。
P信越線旧線の第7号トンネル(軽井沢側)
Q信越線旧線の第8号トンネル(横川側)
Q信越線旧線の第8号トンネルの煉瓦の小口には日本煉瓦製造社章の刻印が多数見つかる。
日本煉瓦製造からは750万個の煉瓦を供給した。
Q信越線旧線の第8号トンネル(軽井沢側)
R碓氷第6橋梁。
S信越線旧線の第9号トンネル(横川側)
S信越線旧線の第9号トンネルの煉瓦の小口には日本煉瓦製造社章の刻印が多数見つかる。
日本煉瓦製造からは750万個の煉瓦を供給した。
S信越線旧線の第9号トンネル(軽井沢側)
@信越線旧線の第10号トンネル(横川側)
@信越線旧線の第10号トンネルは手抜き煉瓦のようだ。煉瓦の刻印は見つからなかった。
@信越線旧線の第10号トンネル(軽井沢側)
@信越線旧線の第10号トンネル(軽井沢側)と突っ込み線の隧道。
@信越線旧線の熊ノ平駅跡。
@信越線旧線の熊ノ平駅跡のカルバートの擁壁。イギリス積み。
A信越線旧線の第16号トンネル(軽井沢側)
A信越線旧線の第16号トンネル(軽井沢側)煉瓦はイギリス積みで煉瓦の刻印は見つからず。
B信越線旧線の第16号トンネル。待避口の奥は岩盤がむき出し。
C信越線旧線の第16号トンネル。待避口に蝙蝠が寝ていた。
C信越線旧線の第16号トンネル。 D信越線旧線の第16号トンネル。閉塞。
E信越線旧線の第16号トンネルと第17号トンネルの間のカルバート。
E信越線旧線のカルバートも煉瓦の刻印は見つからなかった。
E信越線旧線のカルバートの煉瓦片も煉瓦の刻印は見つからなかった。
F信越線旧線の第17号トンネル(横川側)
F信越線旧線の第17号トンネル(横川側)
G信越線旧線の第17号トンネル。煉瓦の瓦礫が散乱している。
G信越線旧線の第17号トンネル。平面を探したが刻印は見つからなかった。
H信越線旧線の第17号トンネル。平面を探したが刻印は見つからなかった。
H信越線旧線の第17号トンネル。2号トンネルと同じ「○」の煉瓦の刻印を発見。
I信越線旧線の第17号トンネル(軽井沢側)
I信越線旧線の第17号トンネル(軽井沢側)要石が設置されている。
J信越線旧線の第13号橋梁。
J信越線旧線の第13号橋梁。
J信越線旧線の第13号橋梁。煉瓦はイギリス積み。
J信越線旧線の第13号橋梁。
J信越線旧線の第13号橋梁の下からアーチの煉瓦を見た。野鳥の会の長靴が活躍。
K信越線旧線の第18隧道は坑門で閉塞し第10号隧道に吸収されている。
 Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『安中市』を掲載」
煉瓦構造物 アプトの道煉瓦構造物群