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更新日時 2017年09月23日

煉瓦構造物 安中市 有田屋
 安中市 有田屋:有田屋は、天保三年(1832年)、上州安中の地に創業いたしました。以来180余年もの間、昔ながらの天然醸造の製法にこだわった醤油を作り続けています。語り継がれる味、そして語り継がれてゆく味。伝統の味を守りつつ新しい試みを繰り返しながら、「ありのまま」の醤油の味わいを今に伝えています。中山道沿いの有田屋の湯浅一族は、本業の醸造業だけでなく、明治、大正、昭和の三代に亘って、日本の教育、社会、文化に貢献した多数の人物を輩出したことでも知られる。
@株式会社有田屋。
住所:群馬県安中市安中2-4-24。
@株式会社有田屋蔵の脇には煉瓦造りの入口がある。
@株式会社有田屋蔵の脇には煉瓦造りの入口がある。
@株式会社有田屋の入口の煉瓦は焼き過ぎ廉なgで造られているが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
@株式会社有田屋の奥に続く部分。手前にはアルト、奥にウニモグが見える。手前右側は有田屋の歴史が学べるギャラリー。ギャラリーは見学自由。
@安中市有田屋にウニモグ。ウニモグ(Unimog)は、ダイムラーがメルセデス・ベンツブランドで製造、販売する多目的作業用自動車である。名称はドイツ語独特の略号法である「多目的動力装置」の太字部分を読んだものである。高い最低地上高と四輪駆動方式で副変速機と逆転機を装備できることから、超低速や悪路での作業にも適している。
@有田屋の歴史やかつて醤油製造のために使用していた器具などを展示。 創業180余年の有田屋の歴史が学べる。
@安中で日本最初の図書館、便覧社(図書3,000冊)を設立したことでも知られる。治郎の弟、半月(吉郎)は詩人として知られ、同志社卒業時に発表した「12の石塚」は我が国最初の新体詩集として知られている。半月は後に同志社教授、京都府立図書館長を勤めた。また、治郎の後妻初子は徳富蘇峰、蘆花の姉である。
@治郎の長男一郎(1868〜1931)は洋画を志し、黒田清輝に師事した後、二科会の創立に参加、洋画家として名を成した。治郎の次男三郎(1877〜1945)は同志社に学んだ後、四代目として家業を継ぎ、25年間安中の町長や県会議員をつとめた。その弟八郎は昭和9年同志社の総長となるが、建学の自由、自治を守る為、軍部と衝突、総長を辞任。しかし、戦後再び総長に復帰し、昭和28年には国際基督教大学初代学長に就任した。
@五代目正次(1911〜)も昭和46年より5期20年安中市長を努め、一方新島襄を記念して昭和22年、同士とともに新島学園(中学、後に高校、女子短大)を創立した。質実剛健とキリスト教の精神に支えられた湯浅家の有田屋は、当主太郎(1936〜)で六代目を数えるが、その醤油は昔ながらの天然醸造の製法に頑なまでにこだわり続けている。
A有田屋のシンボル的存在の煉瓦造りの煙突。煙突が道路にはみ出しているが、道路が後から出来たのか?いずれにしても既得権でしょうね。道路を横断している配管も現在では、新規に通すのは許可が難しいでしょうね。
A有田屋のシンボル的存在の煉瓦造りの煙突。煙突脇には窓が見える。
A煙突脇の窓は現在モルタルで塞がれている。窓の上部にはアーチ状に積まれている。
A煉瓦煙突の膨らんでいる部分に平面が見えるが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。煉瓦の平面はシワシワ煉瓦なので機械加工の煉瓦と思われ、上敷免製の可能性がある。
A煙突で使われている煉瓦は通常の煉瓦より長い煉瓦が使われている様で、異形煉瓦では無く、通常の煉瓦を台形に現場加工された煉瓦と思われる。
A煙突の下部は小口積みで積まれている。煙突のように丸く積むのには小口積みが適している。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『安中市』を掲載」
出典: 株式会社有田屋