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更新日時 2017年10月15日

 煉瓦(れんが)は、粘土や頁岩、泥を型に入れ、窯で焼き固めて、あるいは圧縮して作られる建築材料。通常は赤茶色で直方体をしている。焼成レンガは、土の中に入っている鉄分の影響により赤褐色となる。耐火レンガは炉材にも使われる。日本において煉瓦建築の技術は、近代化とともに導入されたが、構造材として用いる場合は地震に弱いという難点があり、関東大震災では多くの被害を出したことから、煉瓦建築は小規模な建物を除いて激減した。ただし、建材には煉瓦風のタイルも様々な種類が存在し、仕上げ材としては現在でも多く用いられる。これは洋風の雰囲気を出すため、木造や鉄筋コンクリート造の表面に張り付けるものである。
上記イラストはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より借用。
煉瓦構造物 ねじりまんぽ 煉瓦塀
煉瓦樋管 ランプ小屋 煉瓦橋梁・隧道
煉瓦構造物写真集
はこだてビールはレンガ造りが印象的な建物です。特に目立つのは大階段。日中は噴水、夜にはライトアップがされ、観光スポットとしてもお立ち寄り頂けます。夜のライトアップは賞を頂いたこともあり、記念撮影の場としても親しまれます。 はこだてビールとは、北海道函館市大手町の株式会社マルカツ興産が製造・販売している地ビール(ビール)のブランド名である。100万ドルの夜景で有名な函館山の地下水を麓から組み上げて醸造水として使用し、副原料を使用せず造ったこだわりのビール。
旧開拓使函館支庁書籍庫:1907年(明治40年)の大火で類焼を免れたもので、鉄の防火扉と小さな窓をそなえた一見土蔵風の建物。開拓使茂辺地煉瓦石製造所で「明治七・八・九年」に製造された煉瓦を使用した煉瓦造建築物です。開拓使が明治5年に創設た茂辺地煉瓦石製造所の製品を使用していることがわかります。書籍庫の建築は明治13年と推定されています。各窓に防火の鉄扉と鉄柵を設け、煉瓦の積み方にフランス積みを取り入れるなど意匠や技法に特徴があります。外部四隅には隅石が組まれ、石造りの鉢巻が廻っています。小屋組は、杵束式木造トラスです。わが国の煉瓦造りの歴史を伝える貴重な建築物です。
上毛倉庫煉瓦倉庫:日清戦争(1894-95)に日本が勝利し、国内産業が著しい発展を遂げ始めた頃、群馬県の地場産業である養蚕・製糸はめざましく発展し、前橋市は製糸・生糸の町として、また繭の一大集散地として、全国有数の市場を形成しました。そのような時代の流れの中、繭糸の保管倉庫の必要性について有識者らの意見が一致し、明治28年(1895年)12月、田中町(現・表町。JR前橋駅前)にてレンガ倉庫3棟にて業務を開始したのが上毛倉庫の始まりです。戦後は、食料品に始まり家電製品へと移り変わり、近年は新聞用紙・段ボールなどの紙製品を保管しております。
旧大竹酒造煉瓦倉庫:前橋の中心市街地に残る唯一の酒造蔵。昭和八年に大竹酒造が建物を取得し、四七年まで醸造を行っていた。煉瓦造を主体とするが壁厚は一枚分で内部に柱を二列八本立て、和小屋を組む。外壁は軒蛇腹、破風や柱型の一部に焼過煉瓦を配し、立体感を強調している。
旧安田銀行担保倉庫:この建物は、1910年(明治43年)前橋で開催された1府14県連合共進会に合わせて建築されたものである。当初は安田銀行が所有し、繭を担保とした金融を行うための倉庫である。当初は2棟建っていたが、1945年(昭和20年)の前橋空襲で1棟が消失した。建物の構造は、煉瓦造り2階建て瓦葺きで、建坪は180坪あり、建築当時のままの状態で建っている。設計は、フランス人技師と伝えられている。前橋の糸のまちとしての歴史を語る上で大変貴重な建物である。現在は、協同組合・前橋商品市場の倉庫として使用されている。2004年(平成16年)6月国の文化審議会の答申を受け、登録有形文化財として登録された。
美峰酒類煉瓦倉庫:昭和16年(1941年)創業で旧社名は美峰酒類株式会社。昭和60年(1985年)には聖徳銘醸(甘楽郡)を買収。平成19年(2007年)に会社分割(新設分割)し、新たに美峰酒類株式会社を設立。美峰酒類の焼酎は、原料の持ち味を生かしながら、ひとつひとつそれぞれの適した仕込み、蒸留、精製を開発して、丹念に造り上げています。
高崎市 岡醤油醸造:岡醤油は、天明7年(1787年)に現みどり市大間々に創業した岡直三郎商店の支店として、明治30年(1897年)開業しました。平成に入り、醤油の製造は岡直三郎商店に依頼していますが、事務所は創業当時の店舗がそのまま使用されています。中山道に面した店舗らしく、屋根の下部分には京風造りを代表とする虫籠窓が残っています。裏手に見える煉瓦造りの煙突は昭和初期に修復された記録がありますが、現在も町のシンボルとして地元で愛されています。
米庄商店 旧・米貯蔵倉庫:1890年(明治23年)建てられたお米を貯蔵する倉庫。
安中市 有田屋:有田屋は、天保三年(1832年)、上州安中の地に創業いたしました。以来180余年もの間、昔ながらの天然醸造の製法にこだわった醤油を作り続けています。語り継がれる味、そして語り継がれてゆく味。伝統の味を守りつつ新しい試みを繰り返しながら、「ありのまま」の醤油の味わいを今に伝えています。中山道沿いの有田屋の湯浅一族は、本業の醸造業だけでなく、明治、大正、昭和の三代に亘って、日本の教育、社会、文化に貢献した多数の人物を輩出したことでも知られる。
横川機関区給水タンク沈砂池:横川駅は1885年(明治18年)10月15日官設鉄道により高崎駅 - 当駅間開業に伴い開業。その時に横川機関区給水タンク沈砂池も竣工。横川駅は群馬県安中市松井田町横川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。北陸新幹線の高崎駅 - 長野駅間が部分開業した1997年10月1日以降、信越本線の終着駅となっている。1 - 3番線の線路は構内のはずれにコンクリート製の車止めが設置され途切れているが、かつては碓氷峠を越えて軽井沢駅へ複線電化の線路がつながっており、碓氷峠越えの拠点となった駅であった。
阪神電鉄旧尼崎発電所:阪神電気鉄道尼崎工場は兵庫県尼崎市にある阪神電気鉄道の車両工場である。阪神電車の全般検査や改造工事を行っている。尼崎車庫が併設されている。車庫西側には明治34年(1904年)竣工の煉瓦造りの尼崎火力発電所がある。阪神電気鉄道が開業した当時、この尼崎発電所と御影発電所で発電された電気を電車の走行に使用していたほか、沿線で一般にも配電していた。現在は資材倉庫として利用されている。
尼崎信用金庫記念館:大正10年6月6日、有限責任尼崎信用組合(現尼崎信用金庫)創業時の本店事務所。初代組合長 小森純一翁所有の建物であったが、戦後当金庫所有となり、創業時を偲ぶ記念館とした。当初、現在の約50m南に建っていたが、新本店(当時・現本店別館)建設に伴い昭和47年、現在地に移し再建した。建設時期は明らかではないが、地元の古老の記憶などによれば、明治30年代には既に小森家の建物の一部として建てられていたようで、尼崎に現存する数少ない明治時代の煉瓦造りの建物として、貴重な歴史の証人である。
高岡市第三源井上屋:旧第3源井上屋は、地下水をくみ上げていた源井(深さ7.5メートル、内径3.0メートル)の上に建てられた建造物です。旧第3号源井上屋は構造は、筒形鉄筋コンクリート造で内面に止水「モルタル」及び「アスファルト」の防水加工を施してあり、鉄筋コンクリート造ではあるが、煉瓦の外壁を持ち、八角形に積んだレンガ造の外壁、銅板葺きの緑青色の外観で、1、2号から送水される源水の着水井も兼ねていました。配水塔とともに当時の科学技術の粋を集めた施設のシンボル。
高岡工芸高校造形実習室:工芸都市として歴史を持つ高岡市に設置された富山県立高岡工芸高校に、旧窯業科の実習施設として、大正中期に建てられた赤煉瓦造りの建物である。当初は応用化学科の薬品庫として建てられ、その後、窯業科の窯場として使用された。シンプルながら外観の細部に工夫した意匠が見られる。富山県立高岡工芸高等学校は、富山県高岡市中川にある工業系、工芸系の県立高等学校。地元では「工芸」の愛称で呼ばれている。明治27年10月に富山県工芸学校と称して開校し、平成26年10月には創立120周年を迎える。
南部鋳造所キュポラ及び煙突:南部鋳造所は1914年(大正13年)に建てられたもので、2000年(平成12年)まで実際に稼働していました。煙突は高さ14.5m、幅1.78m角、イギリス積で、キュポラは高さ3.3m、径0.7m。鋳造方法はキュポラに鉄や銅などの鉱物と燃料のコークスを入れて火を付けます。次ぎに煙突基部の送風口から電動風車で風を送ります。煙突に設置された直径30cmの鉄管を通ってキュポラに入り、煙はキュポラの上部から排出されます。この時、煙は風車から送られる風を熱しながら出ていくため、熱効率が高まる仕組みになっています。
ユニチカ記念館(旧尼崎紡績本社事務所)は明治33年(1900年)に尼崎で最初の大工場である尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、市内に現存する最も古い洋風建築です。煉瓦造り2階建て、設計は日本人によるものと思われますが、外壁を覆う赤煉瓦はイギリスからの輸入品と伝えられています。現在は、2階を展示室として公開し、創業当初からの貴重な資料が展示されています。
別子銅山東平煉瓦構造群:標高750m付近にあり、それまで旧別子の東延にあった別子銅山の採鉱本部が大正5年に移って来てから、銅山設備の周りに社宅・小学校・娯楽場・接待館が建てられ、昭和5年に採鉱本部が端出場に移された後も、昭和43年に閉山するまで賑わった。 その生活の様子を模型や映像を使い紹介したり、銅にまつわる品々を展示する「東平歴史資料館」、レンガ造りの旧保安本部を活用して銅板レリーフなどを体験できる「マイン工房」、その他数々の産業遺跡が整備されている。 現在は天空の歴史遺産「東洋のマチュピチュ」との宣伝文句で利用者数を増やしている。
旧大浜灯台吏員退息所は明治35年4月に完成した大浜灯台吏員退息所を昭和56年7月移築し、現在は唐子浜海の子の家として再利用している。唐子浜赤燈台。唐子浜の沖にある灯台は、元、来島海峡の西水道入口にあった鴻の瀬灯標(赤灯台)でした。これは明治35年4月、わが国で5番目の様式灯台として建設されたものですが、「大型船の通行」という時代の要請で灯台を支えていた岩礁を爆破することになりました。76年間、海峡のシンボルとして、また、今治港発展にも寄与した貴重な文化財を何とか保存したいと考え、昭和53年10月に現在地に移されました。
玉生八幡神社煉瓦燈台:海に囲まれた日本では、江戸時代以前から夜間の船の航行安全を図る目的で、篝火など様々な形式の明かりが沿岸部に設置されてきた。江戸幕府の成立後、樽廻船、菱垣廻船などの発達により海運が飛躍的に発展する中、夜間航行の安全性を高めるために、各地の沿岸部に和式灯台である燈明台や篝火を焚く篝屋が設置されるようになった。当時建設された多くの燈明台は神社仏閣の常夜灯がその役割を果たしているものが多く、宗教色が全く無い施設であったことが特徴の一つとして挙げられる。
重松倉庫株式会社。倉庫・運送業・産業廃棄物収集運搬業・派遣事業。大正13年(1924年)6月創業の「中央染工」という捺染工場を再利用し現在、重松倉庫が使用している。昭和8年(1933年)12月15日中央染工・松山染色(松山市)、捺染工業組合の申合せにより操業短縮実施(1カ月間)
松山聖アンデレ教会は、アングリカンコミュニオン (英国国教会系列) に属する、日本聖公会 神戸教区のパリッシュチャーチです。松山の地に在って、聖公会の教会として、神様の栄光を現すために、開き・集い・招く教会であることを目指します。1933年に現在地に移り、1956年、現存の煉瓦造りの礼拝堂が建てられました。 この礼拝堂は松山市に現存する唯一の煉瓦造りの建物です。2001年の芸予地震で東壁が倒壊しましたが、その後修復され、2004年に大洲城の構造設計をした増田一眞氏の構造計画によって、他では類を見ない、接着剤を使っていない杉板集成によるアーチが取り付けられ、耐震補強を行いました。
呉市昭和町の煉瓦倉庫群。明治30年代に建設された「れんが倉庫」は、製品置場や大砲庫などに使われていました。呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代に建てられたもので最高機密エリアでした。空襲により一部の建物が損壊しましが、戦後、国から購入した呉貿倉庫運輸株式会社が修理し、現在は倉庫として使用しています。
岡山市水道記念館は、明治38年に建造された、煉瓦造桟瓦葺平屋、トラス小屋組の洋風建築。屋根の四周にパラペットをのせ、正面に切り妻、天然スレート葺きのポーチを設ける。三野浄水場として岡山市で最初に建設された浄水場で、明治38年(1905年)7月23日に通水を開始た。当時、動力室・送水ポンプ室として使用されていた建物を再利用し、岡山の水道について学べる施設になっています。建物は平成17年に国の登録有形文化財に登録されています。
佐賀県の煉瓦構造物写真集
佐賀県は唐津焼や伊万里焼などの焼き物のが多く製造されていた為、煉瓦製造も多く行われ、農家の倉庫や塀などに多くの煉瓦が使われている。反射炉に必要とされた耐火煉瓦の製造技術は、明治時代の洋式建築物に利用されるなど、歴史の転換に重要な役割を担った。反射炉の炉体は1500℃程度の高温に曝されるため、耐火煉瓦を如何に製造するかが重要であった。佐賀藩の反射炉では、煉瓦の焼成に有田焼の職人が持つ伝統技術が活用されたと考えられている。煉瓦の原料には、杵島郡や藤津郡の土が用いられた。また、煉瓦造りの現場では、瓦職人や左官が雇われてその技術が用いられた。
唐津鐵工所唐津工場旧発電所:唐津鐵工所から平成28年8月10日に株式会社唐津プレシジョンに商号を変更した。最新の製品開発は、5軸制御大型複合加工機、リニアモータ駆動のクランクシャフトグラインダ、大型ホブ盤、高性能大型歯車形削り盤など。竹内明太郎は炭坑経営の傍ら、明治39年から機械製造事業の準備を始める。要員、設備が整い、生産を開始したのは1909年(明治42年)4月15日。唐津鐵工所創業日とする。炭坑機械、船舶修理部品製造に次いで、本格的な工作機械製造に着手し、第一号製品、米国 Pratt & Whitneyモデルの14"スイング旋盤6台が1911年(明治44)11月完成したた。1916年(大正5年)4月には竹内鑛業の手を離れ、株式会社唐津鐵工所として独立。
三菱製紙中川工場煉瓦倉庫:三菱製紙株式会社は、三菱グループの製紙会社。日本の製紙業界では5位。塗工紙(高級光沢紙)などの印刷用紙を中心に、情報用紙、ティッシュペーパー、製紙用パルプ、写真、フィルター、感光剤などを製造し、近年は、不織布・ガラス繊維ペーパー、リチウムイオン電池セパレーターなどに注力している。1917年(大正6年)2月中川工場操業開始。2003年(平成15年)3月中川工場(東京都葛飾区)閉鎖。金町駅では2003年までは専用線発着の車扱貨物を取り扱っていた。
高松市水道資料館は、1980年(昭和55年)に設置された高松市文化振興会議において、水の文化の啓蒙を図るための「水の博物館建設」が提言されたことを受け、1987年(昭和62年)6月6日、高松市の近代水道発祥の地である御殿浄水場内に開館しました。建物は、高松市の近代水道創設のために建設された旧御殿水源地のポンプ室、事務室、倉庫を改装したものです。これらの建物は、1917年(大正6年)と1918年(大正7年)に建設されてから1986年(昭和61年)に現在の管理棟が完成するまで、約70年間に亘って使用されていました。
山地かまぼこ音楽堂。香川県観音寺市にある赤煉瓦倉庫(山地蒲鉾敷地内)山地蒲鉾は、1907年(明治40年)に初代、山地勇吉が、えびせんや天ぷらの行商として商いを始める。1977年(昭和52年)山地蒲鉾株式会社設立。上質のすり身を昔ながらの石臼で丁寧に練り上げる山地のこだわりを創業以来続けている。手練りとは、職人が手のひらにすり身の玉を取り、こねて形を整えます。それによりすり身本来のねばりや旨味が引き立ち、ふっくらと仕上がります。また、元祖へのこだわりとして原料には地元燧灘で獲れた新鮮な地えびを使用。旨味と甘み、パリッと噛み切る食感が特徴の一品に仕上がっている。
北区清水質店煉瓦蔵
株式会社由清
住所:東京都北区滝野川2-3-1
代表者:清水直之
2016年12月18日探索。
理化学研究所板橋分所
1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込に設立。物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行う国内唯一の自然科学系総合研究所である。国際的に高い知名度と研究業績を持つ研究所であり、海外では"RIKEN"の名称で知られている。理研は1946年から2015年3月までの69年間、板橋の地に研究拠点を置いていました。
2016年12月18日探索。
板橋火薬製造所跡:東京砲兵工廠は、日本陸軍の兵器工廠である。1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)にその機能を小倉工廠に移転するまで操業し、小銃を主体とする兵器の製造を行った。明治4年7月(旧暦)、造兵司本局は東京に移転し、大阪は大阪造兵司と名称を変更。陸軍省の発足とともに1872年4月15日(明治5年3月8日 (旧暦))大砲製造所と改称した。後に板橋火薬製造所・岩鼻火薬製造所・十条兵器製造所など関東の陸軍兵器工場を管下においた。
2016年12月18日探索。
板五米店(旧田中米店)は大正6年建造。店舗の裏にはレンガ蔵もある。
住所:板橋区仲宿40。
2016年12月18日探索。
築港住友倉庫は、大阪府大阪市港区海岸通2丁目にある赤レンガ倉庫のことである。大阪港の第1号岸壁に沿って、1923年(大正12年)10月に住友倉庫によって建設された。倉庫は2棟あり、北側の旧200倉庫は2階建・高さ13m・延床面積4,500平方メートルで、南側の旧300倉庫は1階建(当初2階建て)・高さ13m・延床面積2,800平方メートルである。昭和3年(1928年)に開通した臨港鉄道の側線が通り国内各地からの貨物列車が走りました。1999年(平成11年)に倉庫としての役割を終え、管理も住友倉庫から大阪市に移管された。
2016年12月11日探索。
藤本商店(旧丹治煉瓦製造所):明治期に入り間もなく設立された丹治煉瓦製造所は大阪府下最古の民間煉瓦製造所であるという。そのレンガ造り平屋建て倉庫と、レンガ造り2階建ての事務所が斜向いにあり、その面影を地域に残す。国道26号線の高架脇にある倉庫は、過度に目立つことなく、しっかりと、その重圧な趣を現在に引き継ぎ、商店の事務所として活用され今も現役である。事務所であった建物は、ステンドガラスや個性的な屋根形状を持ち、外壁や塀に使われているレンガなどでは、そのディテールへのこだわりが至る所に見受けられ、当時の高い技術がうかがえる。
2016年12月11日探索。
広島市牛田浄水場上屋:軍用水道の整備に合わせて軍用鉄管に市水道を接続して配水するという、全国でも珍しい整備方法がとられ、1898年(明治31年)に、牛田浄水場が創設されました。3連棟の汽関室や、高さ約16メートルのポンプ室などが整備されました。1924年には鉄筋コンクリート造の送水ポンプや濾過池調整機にレンガ造の上屋が、1935年には鉄筋コンクリート造の量水室が完成しました。爆心地から2.77キロメートルで被爆。木造建物の崩壊など大きな被害を出しました。イギリス積みレンガに花崗岩が筋状に挿入された濾過池調整機上屋が、現在、1棟だけ保存されています。2016年12月02日探索。
日本麻紡績給水塔:この給水塔は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に残しています。1919年(大正8年)創業の日本麻紡績は、当時、己斐の山陽本線沿線の広大な敷地を持ち、多くの平屋建ての工場や倉庫が立ち並んでいました。工場内には4面にアーチをあしらった、レンガ造3階建の給水塔があり、近代的な工場の象徴となっていました。爆心地から2.83キロメートルで被爆。木造建物は半壊しましたが、給水塔と煙突、井戸は幸いにも残りました。現在は給水塔にはポンプが設置され、造園会社が経営している園芸店舗、己斐ガーデンスクエアのシンボル塔となっています。2016年12月02日探索。
旧広島陸軍糧秣支廠:現在宇品御幸の広島市郷土資料館は、1911年(明治44年)竣工した旧缶詰製造工場の一部にあたる。郷土資料館利用および市の指定重要文化財登録にあたり、1984年(昭和59年)に改修が行われている。缶詰製造工場建造時には南側に逆コの字形の南棟、北側にやや離れて桁行が南棟と同じ長さで平面が矩形の北棟、南棟の内側壁面と北棟の南壁面を内壁として鉄骨小屋組みの鋸屋根を架けた中央棟が造られた。現在は北棟・中央棟ならびに南棟の一部が解体され、跡地は宇品西公園になっている。屋根は竣工当時と同じ瓦棒葺を復元し、外壁は国産煉瓦でイギリス積みの他、細かな造形が施され、ほぼ当時のまま保存されている。2016年12月02日探索。
玖村民家の煉瓦倉庫
住所:広島県広島市安佐北区落合2-25-18
外周部の煉瓦塀は新しい煉瓦で出来ている。
住人にお願いして煉瓦蔵を見せて頂いた。
2016年12月02日探索。
広島陸軍兵器補給廠は、現在の広島市南区霞町に存在していた日本陸軍の施設(1940年以前の名称は「広島陸軍兵器支廠」)。戦後、広島県庁、ついで広島大学の医療系学部や広島大学病院が跡地に移転し、かつての補給廠の建物は医学部の食堂などに転用されていたが、1970年代以降次々と解体が行われ、最後まで「医学資料館」として使用し保存されていた11号館(第11兵器庫)も1999年(平成11年)に解体された。その際、外壁の一部が広島市中区の修道中学・高等学校で被爆建物として保存・展示されている。2016年12月02日探索。
東京商船大学旧天体観測所(第一観測台)1903年(明治36年)6月建設。赤道儀室と呼ばれ、内部には東洋一と言われた天体望遠鏡を備え、教育研究に使用された。建物は1997年(平成9年)12月登録有形文化財に指定された。煉瓦造2階建,鉄板葺,建築面積26u。設計:三橋四郎(逓信省)東京商船大学旧天体観測所(第二観測台)第一観測台と同時に建設。子午儀室と呼ばれ、内部には子午線測定用の望遠鏡を備え教育研究に使用された。建物は1997年(平成9年)12月登録有形文化財に指定された。
2016年11月27日探索。
広島陸軍被服支廠:出汐倉庫は、広島県広島市南区出汐にある大日本帝国陸軍の被服廠の施設。被服廠が取り扱っていた品目は軍服や軍靴だけでなく、マント・下着類・帽子・手袋・靴下等の外、背嚢・飯盒・水筒・ふとん・毛布・石鹸・鋏・小刀・軍人手帳等の雑貨まで含まれていた。大正・昭和時代に入り戦線が拡大すると、武器や戦備の多様化に対応して防寒服・防暑服・航空隊用・落下傘部隊用・挺身隊用被服あるいは防毒用被服なども取り扱うようになった。これらの物品のうち、被服廠では軍服の縫製と軍靴の製造が主となり、その他の物品の製造については民間工場に依託され、被服廠では受発注業務・品質管理・貯蔵・配給業務を主として行っていた。2016年12月02日探索。
ベーカリーカフェレンガ:大正時代に建てられ、国の登録有形文化財として残された、イギリス積みのレンガ造りののこぎり屋根工場の建物は、焼き立ての香ばしいパンの香りのする、ベーカリーカフェとして生まれ変わりました。 100年の時を経た建物の中で、ゆっくりとティータイムをお楽しみいただけます。 この地域は、平成24年度、桐生市桐生新町伝統的建造物群保存地区の重伝建地区選定されました。
2016年11月20日探索。
桐生市煉瓦倉庫:この煉瓦倉庫は民間の駐車場の脇にある煉瓦倉庫で、この場所には元工場が有ったようでその内の倉庫だけが残って現在でも転用され使われている様だ。
2016年11月20日探索。
桐生市有鄰館は、桐生市桐生新町重要伝統的建造物群保存地区内である本町2丁目の南端に存在しています。かつては酒・味噌・醤油を醸造し、保管するために使用されていた江戸時代から昭和時代にかけての11棟の蔵群が、舞台や展示、演劇、コンサートなど様々な用途に使用されています。多くの人が訪れ、プロアマを問わず、それぞれの目的によって自ら会場を作り上げて行く独特の活用方法で「文化を発信する場」として、また、周辺に残る歴史的建造物や近代化遺産などと一体となったまちなみ保存の拠点にもなっています。2016年11月20日探索。
日本織物発電所跡:日本織物株式会社の工場建設には、そのために設立された「桐生煉瓦製造会社」製の「桐に生」の刻印を有する煉瓦が用いられここにある門柱状の煉瓦遺構は桐生産の煉瓦であり、水路を潜り発電所と工場を繋ぐトンネルの支えとして造られたものである。明治20年代における民間企業としての日本織物株式会社は、工場の規模、構造等の全てにおいて他に例をもないものであり、ここに遺された発電所跡や煉瓦遺構は、桐生の近代化を象徴するものである。2016年11月20日探索。
トチセン煉瓦構造郡:トチセンは、足利が織物産業で隆盛していた大正2年(1913年)に足利織物株式会社として創業。大正8年(1919年)に明治紡織株式会社となり「明紡」として知られました。6連の鋸屋根が特徴の赤煉瓦捺染工場は、イギリス積みの煉瓦平屋建てで、鋸屋根破風部分の軒蛇腹や外壁側へ突出した付柱、出入口や窓等の開口部マグサ上に走る横材などに外観上の特長が有ります。
2016年11月20日探索。
千葉刑務所は、東京矯正管区所管の刑事施設である。刑期8年以上の初犯者(重罪初犯者)を収容する男子刑務所。正門及び本館は、司法省の山下啓次郎の設計で1907年に竣工。現存する。山下が中心になって設計した千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島の監獄は五大監獄といわれる。
2016年11月13日探索。
鉄道連隊材料廠機関車修理工場:この煉瓦建築は、明治41年鉄道連隊材料廠の機関車の修理工場として建築された物で、その後昭和20年日本国有鉄道が大蔵省から借り受けてレール等の修理工場として使用、昭和60年から千葉経済学園の所有となってものです。千葉県内に数少ない明治年間創建の大規模な煉瓦建築一つで有り特に内部の東西方向に二列に連なった十連の雄大なアーチ構造は、全国的にも比類がなく、この建物の主な特色となっている。煉瓦は機械成型のしわしわ煉瓦で上敷免製(日本煉瓦製造)の刻印が見つかっている。2016年11月13日探索。
第3回煉瓦散歩市川市の説明パンフレットの表紙に描かれた煉瓦くんです。普通煉瓦と焼きすぎ煉瓦で平面に「ホ」の刻印があります。
今回の主催者のAYAさんが描きました。
胡録神社煉瓦倉庫。
ザチャペルオブアドレーションの煉瓦構造物。
民家の敷地内に煉瓦造りの倉庫。
駐車場の敷地隅の煉瓦倉庫。
千葉県血清研究所跡の敷地内の煉瓦倉庫。
野戦重砲兵連隊の煉瓦塀。
柳原水閘。
2016年10月29日
埼玉県川口市の個人住宅。川口市の鋳物産業に多大な貢献をされた方の旧邸宅。「永瀬家は市内本町一丁目の由緒ある旧家で、江戸後期には由緒ある宇田川家と交替で名主役を、また通称『本陣』といわれるように、日光御成道川口宿問屋を勤めた家である。」とあるのみ。
2016年09月19日探索。
旧田中家住宅は大正時代に建設された県下有数の本格的洋風住宅です。四代目田中コ兵衞は大正10年(1921年)から大正12年(1923年)にかけて、当時としては非常にモダンで立派な洋館を建設しました。自ら材木商を営んでいたことから建築資材にはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材を用い、煉瓦も建築現場の近くで専門の職人に焼かせたと伝えられています。建築費用の総額は18万円といわれています。これは現在の金額にするとおよそ2億5千万円程となり、この建物がいかに破格であったかを窺い知ることができます。2016年09月19日探索。
江の島サムエル・コッキング苑は、明治時代の英国人貿易商「サムエル・コッキング」に由来した和洋折衷で、南国ムード溢れる植物園で四季折々様々な花や植物をお楽しみ頂けます。2016年09月17日探索。
田中藤左衛門商店:「七ツ梅」は株式会社田中藤左衛門商店が醸造していた清酒の銘柄であったが、平成16年(2004年)に田中藤左衛門商店が廃業した後は、深谷市の中山道沿いにある酒造跡の通称として使われている。「七ツ梅酒造跡」ともいわれる。
2016年06月19日探索。
深谷れんがホール」は、1933年(昭和8年)にリサイクル材を利用して建てられた、1階がレンガ造、2・3階が木造の倉庫でした。2003年から掃除・改修等を実施し(旧柳瀬商店レンガ倉庫再生プロジェクト)、2005年春から「深谷れんがホール」として新たな歩みを始めました。約100u(7m×14.5m)の広い板の間、6本の太い柱とレンガの壁が織り成す空間は、このれんがホールならではの独特の味わいのある雰囲気を醸し出しています。
2016年06月19日探索。
深谷市 小林商店
住所:深谷市西島町4-3-50
煉瓦蔵は大正元年竣工。奥の3階建の洋風の店舗は、昭和2年竣工の石造。砂糖問屋の事務所として使用されていました。材質の異なる2つの建物の対比が目を引きます。
2016年06月19日探索。
藤橋藤三郎商店は、中山道沿いにある老舗酒屋で、深谷の地酒として「東白菊」がよく知られている。創業者は、江戸時代の末期、嘉永元年(1848年)に越後の柿崎(現在の新潟県上越市)より現在の地に移り酒造りを始めた。店舗裏側の敷地には歴史的に価値のある深谷産のれんが煙突、蔵、井戸などが残っている。
2016年06月19日探索。
深谷市 塚本商店
住所:埼玉県深谷市本住町1
塚本商店(武州近江屋つかもと燃料)は、伝統的和風の町屋建築にレンガの「うだつ」をあしらった珍しい建築物で、大正元年(1912年)に建造された。レンガはイギリス積みレンガ様式といわれる積み方で、防火壁の役目を担っている。店の入り口にある大きな梁は秩父の山から切り出したものである。塚本商店は日本煉瓦製造株式会社に燃料の石炭を納めていた。
2016年06月19日探索。
深谷市 常盤園茶舗
住所:埼玉県深谷市仲町1
ときわ園は中山道とともに325年以上の歴史を持ちます。貞享2年(西暦1685年)の記録によりますと、既に中山道沿いに家を構え、現在の当家の菩提寺も建立しております。
2016年06月19日探索。
煉瓦構造物 長崎 西泊町建物:長崎は煉瓦建物が多く存在しますが、長崎市西泊町にも個人の住宅と蔵に煉瓦が使われている。蔵の下部は石造りだが、上部の合掌部に煉瓦が使われている。
2016年07月17日探索。
小菅修船場跡:幕末期、我が国には船体廻りの補修施設がなかったため、薩摩藩と英国商人トーマス・グラバーらが、明治元年12月(1869年1月)に小菅修船場を竣工した。小菅修船場は、我が国で初めて蒸気機関を動力としたスリップドック(船を陸上に曳き揚げて修理するドック)であり、曳揚げ機械やレールなどの一切の設備はグラバーが英国から輸入した。一方で、山裾の入り江という敷地の選定や土木工事は日本人主導によるものと考えられ、小菅修船場は日本と西洋の技術が融合した先進的な施設であった。
2016年07月17日探索。
宇都宮市水道 第六号接合井
住所:栃木県宇都宮市上金井町635-3
宇都宮市北部に位置し,日光街道にほぼ平行して敷設された延長約25kmの送水管にかかる水圧を調節するための施設。深さ2.3mのコンクリート造構造物の上に,西洋城郭風意匠をあしらう八角形平面の煉瓦造上屋を建てる。宇都宮市近代化の水道施設遺構のひとつ。
2016年07月03日探索。
神崎煉瓦ホフマン窯:京都府舞鶴市西神崎に位置する由良川河口右岸に設置された釜です。明治30年(1897年)9月、京都深草在住の山田宗三郎氏によって、京都竹村丹後製窯所として興業しました。当初は登り窯であったものを、煉瓦需要拡大に対応するため、大正の末頃に、窯の一部を再利用し、ホフマン式輪窯に改良しました。それにより、従来は、登り窯で煙突が1本で、一度焼く毎に火を消さなければならなかった仕組みから、現存する煙突11本を作り、それぞれに区割りして別々に作業が進められる仕組みに変わり、格段に効率がよく運用が出来るようになったものです。2016年06月25日探索。
琵琶湖疏水とは、琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)である。国の史跡に指定されている。琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑、工業用水などに使われる。また、疏水を利用した水運も行なわれた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。
2016年06月12日探索。
中川煉瓦製造所ホフマン窯は市街地北部の八幡堀と接する敷地に建つ。燃料商・柴屋を営んできた中川長九郎は明治16年(1883年)4月、東湖組を創立して煉瓦の焼成を開始する。これは滋賀県下の煉瓦製造の嚆矢をなす。東湖組は明治40年(1907年)前後に中川煉瓦製造所と改称し、さらに昭和9年(1934年)に大普煉瓦と社名を変更する。昭和42年(1967年)まで煉瓦を製造し、その後屋根瓦に転換したが、昭和45年以降休業する。長辺55m,短辺14mの南北に長い平面で,南寄りに約30m高の煙突を建てる。中央煙道の周囲にアーチ構造体をほぼ環状に廻らし,イギリス積の外壁にはアーチ形開口部を設ける。残存例少ないホフマン窯の一つ。2016年06月11日探索。
日本煉瓦製造は、かつて存在した日本の煉瓦製造・販売会社である。本社を東京に置き、埼玉で煉瓦製造工場を操業していた。渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(後に大里郡大寄村上敷免を経て、現在の深谷市上敷免)に建設された。後に太平洋セメントの子会社となり、2006年、日本煉瓦製造は株主総会において自主廃業を決定、清算された。重要文化財に指定されていた「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などを含めて所有権が深谷市に移転、同市によって保存・整備されることとなった。
2016年05月29日探索。
旧下野煉化製造会社煉瓦窯は、、栃木県下都賀郡野木町野木にある近代化遺産であり、赤煉瓦の製造に用いられた設備である。国の重要文化財に指定されている。明治21年(1888年)10月、赤煉瓦(レンガ)製造のために「下野煉化製造会社」が設立された。ホフマン式の東窯が現存している。西窯は1923年の関東大震災で倒壊した。大正期・昭和期にわたり、工場や鉄道建設のために赤煉瓦を供給した。昭和46年(1971年)、社名を「株式会社シモレン」に改め、昭和47年(1972年)に需要の衰退により、赤煉瓦製造販売が中止された。昭和54年(1979年)2月3日(文部省告示第8号)現存していたホフマン式の東窯が国の重要文化財に指定された。2016年05月28日探索。
猿島(正式名称は「えんとう」だが、広く一般的に「さるしま」と呼ばれる)は、神奈川県横須賀市、東京湾に浮かぶ無人島。湾内唯一の自然島である。島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、また日蓮上人にまつわる伝説が残るなど、古くから人々に親しまれた島である。幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末には江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。2016年04月23日探索。
赤れんが博物館は京都府舞鶴市にある、レンガについて様々な視点からの収集・展示を行っている博物館。1993年11月に開館した。舞鶴市が運営している。建物は1903年(明治36年)に竣工した旧日本海軍の兵器廠魚形水雷庫のを改装したもので、鉄骨構造であることや煉瓦の積み方がフランス積みであることなど、舞鶴の煉瓦建築物のなかでもユニークな存在である。現存する鉄骨構造の煉瓦建築物としては日本最古級とされている。
2016年02月28日探索。
岡山臨港鉄道は、かつて岡山県岡山市の大元駅と岡山港駅を結んでいた鉄道路線。1951年(昭和26年)8月1日に鉄道運輸事業を開始し、1984年(昭和59年)12月30日に廃止された。貨物ヤード方式を廃止し、全国の貨物取扱駅を半減した1984年(昭和59年)2月1日の国鉄ダイヤ改正の影響で鉄道の存続が困難になり、同年12月29日を最後に列車運行を休止。翌12月30日付で廃止された。開業から廃止までの34年間の累計輸送実績は貨物564万トン、旅客1,262万人だった。
2013年08月11日探索。
宮浦石炭記念公園は1887年(明治20年)開坑の三池炭鉱の主力坑の一つで、約80年にわたり石炭を産出した宮浦坑跡に整備された歴史公園。現存する煙突は、1888年(明治21年)建造、高さ31.2m、上部直径2.9m、基部直径4.3mで、平成10年1月16日に国登録指定文化財(建造物)として登録された。この公園のシンボルである煙突は「炭坑節」に歌われたモデルとも言われている。また大牟田の各竪坑にそびえ立っていた煙突が残されるのもここだけになっています。現在は宮浦坑跡地の一部が宮浦石炭記念公園として整備され、敷地内には使用されていた坑内機械の展示があります。
2010年12月29日探索。
サッポロビール博物館サッポロビール博物館(サッポロビールはくぶつかん)は、北海道札幌市、サッポロガーデンパーク内に位置する博物館。日本で唯一のビール博物館であり、北海道遺産の一つにも指定されている。1987年7月開館、もともとは1890年に札幌製糖会社の工場として建設された赤レンガの建造物を利用したもの。建物にはサッポロビール園が併設されている。所在地は北海道札幌市東区北7条東9丁目1番1号。
2009年04月04日探索。
小樽市総合博物館 小樽市総合博物館は、北海道小樽市にある北海道の歴史や自然、交通(鉄道など)・科学などに関する展示を行う博物館である。2007年7月14日、色内にあった小樽市博物館(おたるしはくぶつかん)と緑にあった小樽市青少年科学技術館(2006年12月閉館)の機能を統合し、手宮にあった第三セクター運営の小樽交通記念館(おたるこうつうきねんかん。2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足したもので、旧小樽交通記念館の施設に事務機能を集約し、本館とした。なお、旧・小樽市博物館は運河館と改称された。
2008年12月04日探索。
工事中 1
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煉瓦構造物写真集