更新日時 2014年06月18日

 知夫里島(ちぶりじま)は、日本の島根県・隠岐諸島に属する島の一つ。県内唯一の村である隠岐郡知夫村の主島であり、村役場が置かれている。西ノ島(西ノ島町)・中ノ島(海士町)と共に隠岐諸島西部・島前三島(どうぜんさんとう)を構成する。島後島を含む隠岐諸島の有人島4島の中では最も人口が少ない。松江市・七類港からの直行便は朝の1便のみでそれ以外の便は西郷港(島後・隠岐の島町)や別府港(西ノ島町)を経由する。来居港からは境港への直行便はあるが、七類港の直行便は無く、別府港か菱浦港で隱岐観光の島前内航船(フェリー・高速船)に乗り換える必要がある。空路の場合は島後の隠岐空港から西郷港へ行き、隠岐汽船で別府港か菱浦港(海士町)を経由して島前内航船に乗り換える。
@西ノ島から島前内航船にて移動です。
@知夫里島の島前内航船乗り場です。
@知夫来居港のフェリー待合所です。
@車も搭載できる島前内航船、フェリーどうぜん。
A知夫来居港の前には民宿べんてんが有ります。
A知夫里大橋。
B知夫里トンネル。来居港側。
C知夫里トンネル。来居港側。6月なのになぜか鯉のぼり。
D知夫来居漁港。
E知夫来居港から役場(知夫漁港)へ抜ける道路。
E知夫村のマンホール。今回の最大の目的です。
E知夫来居港から役場(知夫漁港)へ抜ける道路。
F春光山願成寺。後醍醐天皇が隠岐に御配流になった祭に宿泊した寺。
 G河井の湧水(かわいのゆうすい)湧き水は島根の名水百選に選ばれており、後醍醐天皇が隠岐配流の際一時滞在された「松養寺」のある山の麓にあり、昔から万病を治す水として、いかなる極夏でも涸れることのない霊水として、島民の信仰を集めています。
G浦郷警察署知夫駐在所。 G道路脇のお地蔵さん。
H知夫村立保育園。 Hヤギ。
I隠岐島消防署知夫出張所。 I岩を利用した車庫。
J砂防ダム。
K知夫村立知夫小中学校。
L知夫村役場。
M知夫漁港。
 N一宮神社(天佐志比古命神社)天佐志比古命は、最初仁夫の南のにある島に上陸し(神島)、さらに仁夫の南の出崎に渡った(御越鼻)。そこからまた北方に出かけると、80歳余りの老翁が道案内をしてくれて、現在の社地に鎮座することとなった。境内には、芝居小屋があり、その正面には、五段の石垣状の観覧席が設けてあり、2年に1度の祭りの時には、島前神楽、子ども歌舞伎、浦安の舞などが奉納されます。 後醍醐天皇がお休みになったという、お腰掛けの石もあります。 
N後醍醐天皇御腰掛の石。 N忠霊塔。
O知夫村の街中の雰囲気。
P松養寺、文覚上人の墓への分岐点。
Q文覚上人の墓。
 R五輪塔:平安時代末期以降のお墓や供養に使われた仏塔です。壊れたものも含めると500基以上あると言われています。お寺の関係者や流人のお墓だと言われています。
R松養寺へ向かう道。
 S松養寺:この寺は京都東寺真言宗、後醍醐天皇ゆかりの寺である。元は古海坊といい、赤禿山の頂上にあった、後醍醐天皇が知夫里島にお着きになった後、この坊にしばらく滞在された。その時天皇は美しい庭の松を見て、松尾山松養寺と呼ぶと良いとおっしゃったので、寺の名前を変えたという。
 S宝篋印塔(小倉宮教尊法親王の墓)小倉宮教尊法親王は、南北朝最後の後亀山天皇の曽孫で今から500年余り前に隠岐に流されました。33歳の若さで薨去(こうきょ)された親王は、我が墓は京都(東)に向かって建てるようにと言い残された。松養寺境内の氏神より一段高いところに祀られているこの塔が親王の墓であると推定されています。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『知夫村』を掲載」
隠岐諸島最南端の島「知夫里島」