更新日時 2008年10月12日

駅からハイキング(桶川 泉福寺)
桶川駅出発・・・ @駅西口公園
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C砂ヶ谷戸観音堂
D埼玉県立桶川西高等学校
D桶川西高ハートフル桶西水族館
D桶川西高ハートフル桶西水族館
E薬師堂東光寺
F松原双龍堂
G神社
Hふれあいんぐロード
Hホンダエアポート H小さくて見えにくいが、スカイダイビングしている
 I泉福寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院。東叡山とは「関東の比叡山」という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山です。
 天長6年(829)淳和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開山したとされ、広大な寺城であったと言われるが源平の乱において戦火を被り全てを焼失してしまった。その後、鎌倉時代の文暦元年(1234)比叡山から信尊上人が来院し四人の弟子と共に復興した。 また、その弟子の一人尊海は、川越の喜多院、中院等を次々と復興すると共に、法脈からは多くの英才が輩出し関東談林が開花し、関東天台の台頭へと発展する。このことにより当山が関東天台の祖山と言われる。
 泉福寺には、国指定重要文化財の阿弥陀如来座像(弘長2年 1262)をはじめとし、石の仁王像、雨乞いの龍など重要な文化財が伝えられている。
I石の仁王像
 I泉福寺(せんぷくじ)は、埼玉県桶川市にある天台宗の寺院。山号は東叡山。院号は勅願院。房号は円頓房。本尊は阿弥陀如来及び地蔵菩薩。829年(天長6年)円仁を開山として創建されたと伝えられる。古くから天台宗の中心的な寺院のひとつであった。1560年(永禄3年)兵火により焼失し、1647年(正保4年)に復興された。江戸時代には幕府から朱印状が与えられていた。
 I重要文化財(国指定) 木造阿弥陀如来坐像 - 鎌倉時代、1262年の造像。元は阿弥陀堂に安置されていたが、現在は文化財保護の観点から耐火収蔵庫内に保管されている。
 J三田原氷川神社:市指定無形文化財の三田原のささら獅子舞。女獅子をめぐって法眼獅子と後獅子(男獅子)がいさかい、和解するといった展開 などもある。
蕎麦の花 Kちょっと小道へ
L狐塚堂坂地蔵堂
M歴史民俗資料館 左・・・昭和の生活情景、右・・・桶川宿
N前領家観音堂
O桶川炭の会
 P日出谷氷川神社 ◎祭 神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
◎祭 事 元旦祭 ・ 春祈祷(3月15日) ・ 祇園祭り(7月14日)・お日待(10月15日) ・ 新嘗祭(11月28日)
 Q知足院は、竜谷山弥勒寺と号し、古くは京都御室の仁和寺の末寺であったが、現在は真言宗智山派に属している。開基については不詳であるが天正年間に武田信玄が再興したと伝えたれている。その後、衰えた寺を盛典が中興したとされている。
 盛典は寛文2年(1662)に上種足村(現在の騎西町)に生まれ、加納村(現在の桶川市内)の光照寺において光栄の弟子となり、大和の長谷寺、京都の知積院などで修行を重ね、元禄10年(1697)に知足院の住職となり、延享4年(1747)に48歳でこの世を去っている。
 盛典は梵語の研究において名高い真言教学の学僧であったが、庶民への布教活動にも力を注ぎ、この知足院の観音寺を1番として33ケ所の寺院を結ぶ、足立坂東観音霊場の創設を行っている。
駅西口公園 駅西口公園
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