廃線探索 一畑電気鉄道(一畑駅)

更新日時 2009年03月25日

 北松江線(きたまつえせん)は、島根県出雲市の電鉄出雲市駅から島根県松江市の松江しんじ湖温泉駅に至る一畑電車の鉄道路線。路線名は、松江しんじ湖温泉駅がかつて北松江駅と称していたことによる。一畑薬師への参拝客の輸送を目的として建設された路線で、それまで陸路を辿るか、船で小境灘(現在の一畑口駅付近の地名)へ渡るしかなかった一畑薬師への参拝を大幅に改善した。戦前には一畑口から薬師のふもとにあった一畑駅まで線路が延び、名実共に一畑薬師への参拝路線となっていたが、この区間は太平洋戦争末期に不要不急路線として休止になり、レールは名古屋鉄道に供出された。この区間は戦後復活しなかったが、平地にも関わらずスイッチバック式という一畑口駅の不自然な配線がその跡をよく留めている。また現在では一畑口でバスに連絡して参拝客の足を確保している。1960年(昭和35年)4月26日 休止中の一畑口 - 一畑間を廃止。
 1912年6月には才賀商会と一畑薬師が中心となって一畑軽便鉄道が設立された。ただし、才賀商会は程なくして倒産してしまっている。当初は762mm軌間の路線を予定していたが、院線(国鉄線)との連絡を考慮し、1,067mm軌間での建設に改められた。また用地買収を進める段階で平田市の市街地の南を通すか北を通すかで意見が分かれ、結局前者が採用された。こうして雲州平田までの部分開業を経て、1915年に一畑口までの非電化路線が開業し、小境灘(現・一畑口)で松江行の汽船と連絡を図った。
 1923年には、小境灘から分岐する路線と、大社方面に分岐する路線の新設が決議される。当初はこの延伸区間も非電化路線とする予定であったが、新規開業路線は電化された鉄道が主流となりつつあった当時の時勢を考慮して、全線の電化を決定。社名も一畑電気鉄道と改められた(現在一畑電気鉄道は一畑グループを総括する持株会社の名称となっている)。松江方面の開業に先駆けて1927年10月に既存路線が電化され、松江方面も難工事の末、翌年4月に開業、現在の北松江線の原型が形作られた。
 1966年にはCTCが導入された。しかし、この前後から乗客は減少傾向を見せ始め、この年以降毎年赤字を繰り返すようになった。1972年には全線廃止の意向を明らかにしたが、地元の反対で今日まで営業努力が継続されている。
 @一畑電車の前身である一畑電気鉄道のオリジナル車両で、北松江線の全通に際して導入された2両と、大社線開業時に導入された2両の計4両が製造された。現在、52と53が在籍する。一畑電車最後の旧型車両で、同社最後の吊り掛け車でもある。また、デハ52は現在も木製窓枠を保持し、デハニ53は荷物室を残している点で貴重である。
 昭和初期に製造され、国内で現役の鉄道線用の電車としては最も古い部類に属する。2009年3月引退。
@一畑口駅:単式ホーム1面1線・島式ホーム1面2線の2面3線からなる地上駅。
 A一畑口駅:かつて、一畑寺(一畑薬師)への参詣鉄道として3.3km北の一畑駅まで線路が延びていたため、スイッチバックになっている。なお、線路跡は島根県道23号斐川一畑大社線になっている。
B島根県道23号斐川一畑大社線 C島根県道23号斐川一畑大社線
D島根県道23号斐川一畑大社線 E島根県道23号斐川一畑大社線
F島根県道23号斐川一畑大社線 G島根県道23号斐川一畑大社線
H旧一畑駅前 Hカーナビに一畑駅前の文字が・・・
H旧一畑駅跡と思われる H旧一畑駅前
H枕木とレールで作られた橋
I一畑薬師入口
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