| 湧網線(ゆうもうせん)は、日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道紋別郡上湧別町(網走支庁管内)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走市の網走駅に至る。1960年代より沿線の過疎化やモータリゼーションの進行で利用者が減り、国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。末期の列車本数は1日5往復まで減らされていた。数あるローカル線の中でも、車窓から見られる風景が美しい路線として知られていた。 | |
| 湧網線(廃線) 中湧別駅 - 五鹿山(仮) - 福島(仮) - 芭露駅 - 志撫子(仮) - 計呂地駅 - 浜床丹(仮) - 床丹駅 - 若里(仮) - 佐呂間駅 - 堺橋(仮) - 興生沢(仮) - 知来駅 - 紅葉橋(仮) - 仁倉駅 - 浜佐呂間駅 - 北見富丘駅 - 東富丘(仮) - 北見共立駅 - 土佐(仮) - 常呂駅 - 常呂港(仮) - 能取駅 - 中能取(仮) - 北見平和駅 - 卯原内駅 - 二見中央(仮) - 二見ヶ岡駅 - 大曲(仮) - 網走駅 |
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| @網走駅(あばしりえき)は、北海道網走市新町2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅である。駅番号はA69。電報略号はアハ。日本の鉄道駅をアルファベット順に並べたとき、最初に来る駅である(最後は逗子駅)。複数の鉄道線が乗り入れる乗換駅としては日本最北であり、特急「オホーツク」、快速「しれとこ」の始発・終着駅となっている。かつては湧網線も分岐していたが、1987年(昭和62年)3月19日付で廃止された。 | |
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| @2面3線の単式・島式の複合ホーム。全ホーム双方向に発着できるため、厳密な方向分けは行われていない。特急列車と両線直通列車は駅舎に面した1番のりばを使用する。 | |
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| @当駅から中湧別駅へ向かっていた湧網線は、0番のりばに発着した。湧網線の列車はキハ22形気動車の単行運転が多く、車両3両分程度の長さであった。現在線路は剥がされ駐車場となっている。 | |
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| A湧網線跡:昭和28年(1953年)網走と中湧別を結ぶ全長90qの国鉄湧網線が全通した。網走市内には卯原内、能取などの7つの駅や乗降場があり、オホーツク海沿岸を走る列車は住民の足として親しまれたが、昭和62年赤字線整理のために廃止された。 | |
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| A大曲公園の網走川に架かる橋梁。この手前に大曲乗降場が有った。 | |
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| A鐵道省 昭和9年製。 | |
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| B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。 | |
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| B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。 | |
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| B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。 | |
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| B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。 | |
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| C二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅間の湧網線廃線跡。 | |
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| D二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅間の湧網線廃線跡。 | |
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| E二見中央仮乗降場(ふたみちゅうおうかりじょうこうじょう)は、かつて北海道網走市にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(局設定)である。1987年3月20日、湧網線の廃線により廃駅となった。単式ホーム1面1線を有した。駅名標は「ふたみちゅうお」と、「う」が抜け落ちた物が長らく使用されていた。 | |
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| F卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。 | |
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| G卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。 | |
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| H卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。オンネニタツ川に架かる東卯原内橋。 | |
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| I卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。 | |
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| J卯原川に架かる珊瑚草橋。 | |
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| K卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。 | |
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| L卯原内駅(うばらないえき)は、北海道(網走支庁)網走市卯原内にあった日本国有鉄道湧網線の駅である。電報略号はウイ。湧網線の廃線により1987年に廃駅となった。 | |
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| L廃止時点で、島式ホームの片面を使用する1線を有する無人駅であったが、かつては列車行き違い可能駅であった。 | |
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| L駅名の由来:アイヌ語由来の地名だが、湿原に流れ込む川の河口が不明瞭な様を指した「オ・パラ・ライ」(川尻が死んだ川)、反対に「広い河口」を意味する「オ・パラ・ナイ」、あるいは黒っぽい浮遊物が流れる様を表現した「ウパラ・ナイ」(煤の川)など諸説がある。 | |
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| Lオハ47 508 オハ47形:0番台(1 - 328、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000) 1960年代中盤、高度経済成長の時流に乗った急行列車における、寝台車需要の急激な伸びに対応するため、戦前製優等客車の台枠を再利用して、10系寝台車と同等の車体を新製したオハネ17形が量産された。 このオハネ17形を製造する際、台車の新造は予算面で困難であったため、寝台車の乗り心地向上の見地から、既存台車中で最良の乗り心地であったスハ43形のTR47の流用が実施され、その代わり、台車を供出したスハ43形には、複雑な手続きを経て捻出された[5]TR23を、若干改造のうえで装着することとなった。この改造を受けたスハ43形は、台車が軽くなったため自重が減って「オ」級にランクダウンし、オハ47形に形式変更された。乗り心地は、本来のスハ43に比してやや悪くなった。後に、オハ47形500番台に8両、緩急車のオハフ46形0番台に30両、オハフ46形500番台に1両改造された。 500番台 (501 - 508) オハ47形を北海道向けに改造したもので、8両が改造された。後に、1両がオハフ46形500番台に改造された。 | |
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| L9600形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。9600形という形式は、1912年(明治45年)度に12両が試作された2-8-0(1D)型過熱式テンダー機関車が最初に使用(9600 - 9611)したが、本形式に形式を明け渡すため、落成後わずか3か月で9580形(9580 - 9591)に改められた。従って、本形式は9600形の2代目である。 | |
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| L網走常呂自転車道看板。 | |
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更新日時 2009年12月01日
