更新日時 2018年10月06日

 天北線は、日本国有鉄道(国鉄)が運輸営業していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡音威子府村の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続した。日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により第2次特定地方交通線に指定され、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継後の1989年に廃止された。線名は、敷設されていた地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。日本統治下の南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の当初のルートである。1922年に稚内まで全通した。1926年、音威子府 - 南稚内間に、より距離の短い天塩線が幌延経由のルートで開通すると、1930年に天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府 - 浜頓別経由 - 稚内の旧来のルートは北見線(きたみせん)として分離された。音威子府から稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにも関わらず、大きく迂回する北見線ルートが相前後して先行開通し、複数の経路を持つに至った背景には、当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク海沿岸の地域開発が建設の名目にされたと言われている。1961年10月1日の全国的な白紙ダイヤ改正(サンロクトオ)を機に、北見線は天北線に改称された。1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の長大3線(名寄本線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年に廃止された。国鉄の廃止路線としては最長の営業キロを持つ路線だった。廃止の時点まで急行「天北」が運行されていた。第三セクター鉄道など他の事業者に運営を引き継ぐことなく、優等列車が運行された状態で全線廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史上当線が初めてである。
天北線(廃線)
音威子府駅 - (臨)上音威子府駅 - 小頓別駅 - 上頓別駅 - 恵野駅 - 敏音知駅 - 周磨駅 - 松音知駅 - 上駒駅 - 中頓別駅 - 寿駅 - 新弥生駅 - 下頓別駅 - 常盤駅 - 浜頓別駅 - 山軽駅 - 安別駅 - 飛行場前駅 - 浅茅野駅 - 猿払駅 - 芦野駅 - 鬼志別駅 - 小石駅 - 曲淵駅 - 沼川駅 - 樺岡駅 - 恵北駅 - 声問駅 - 宇遠内駅 - 南稚内駅
 @宗谷本線の稚内駅-稚泊連絡船駅間の廃線跡。稚泊連絡船は、太平洋戦争終結前の鉄道省(日本国有鉄道の前身)により北海道の稚内と当時日本施政下であった樺太の大泊の間で運航されていた鉄道連絡船である。 日本最北端の路線の碑:平成23年4月までの稚内駅旧駅舎の日本最北端線路地点は、現・新駅舎の北側駅舎外の地点であり、現・日本最北端線路地点は、以前より南側に移動している。以前に日本最北端の線路として存在した車止めとレールは、稚内市がJR北海道より寄贈を受け、当時の記憶を継承するモニュメントとして、旧駅舎時代に最北端であった元の位置へ平成24年3月に復元されている。
@稚内駅の駅舎内にも線路跡が残る。
 @稚内駅は、北海道稚内市中央3丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。日本国有鉄道(国鉄)時代より、遙か南、鹿児島県の指宿駅と姉妹駅提携を結んでいる。終日社員配置駅。特急スーパー宗谷・サロベツは稚内駅到着後、南稚内駅へ折り返して車庫(旧・稚内機関区)に入り整備を行う。日本最北端の駅らしく、前述の指宿駅をはじめ、鹿児島駅・東京駅・函館駅・札幌駅・旭川駅からの距離表示が柱に表示されている。また、新駅舎完成に伴い、かつては外から手軽に見ることができた最北端終点の看板は駅舎に入らないと見られなくなった。現在、当該看板は駅舎内待合室のガラス越しに、かろうじてみることができる程度である。
 @稚内駅構造は単式ホーム1線を持つ地上駅。以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年1月30日をもって2番線が廃止され、線路やポイント、出発信号機、場内信号機はすべて撤去され、棒線化された。これにより、南稚内駅から本駅(線路終端)間は1閉塞となり2列車以上進入できなくなった。駅進入時は過走余裕距離が短いため全列車15km/h以下の速度制限を受ける(冬季は更に速度を落として進入する)。棒線化される前は構内踏切(警報機のみ)も設置されていた。
A宗谷本線の稚内駅 - 南稚内駅間の大通り踏切より撮影。
B宗谷本線の稚内駅 - 南稚内駅間の弁天通り踏切より撮影。
 C南稚内駅は、北海道稚内市大黒1丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW79。第二次世界大戦後から天北線が廃止されるまでの間は日本最北の乗換駅でもあった。特急「宗谷」・「サロベツ」が停車する。 南稚内駅は、当初は旭川駅から北上してきた宗谷線の終点として、稚内駅という名前で1922年(大正11年)11月1日に開業した。当初の宗谷線は、後に天北線となる浜頓別経由の路線で建設された。この駅は現在の南稚内駅がある場所からは約1kmほど北に所在しており、現在の稚内港郵便局のあるあたりであった。
D天北線の宇遠内駅 - 南稚内駅間の廃線跡。
 E宇遠内駅(うえんないえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市潮見4丁目にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した。南稚内方(西側)にスロープを有し道路に連絡していた。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎および待合所は存在しなかった。 駅名の由来は当駅の所在地近辺の地名より。地名は、アイヌ語の「ウェン・ナイ」(悪い川)に由来する。付近を流れるウェンナイ川は、鉱物が溶け込んだ水質のために魚が棲まなかったことから付けられた。
F天北線の声問駅 - 宇遠内駅間の廃線跡。
G天北線の声問駅 - 宇遠内駅間の廃線跡。
 H声問駅(こえといえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字声問にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はコヒ。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム東側と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(北側)ホームが上下共用の1番線、対向側ホームが上りの2番線となっていた。そのほか、2番線の南稚内方から対向側ホーム外側に分岐した行き止まりの側線を1線有していた。1973年(昭和48年)から廃止まで、無人駅扱いの運転取り扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の北側(南稚内方面に向かって右側)に位置し、1番線ホーム中央部に接していた。ホームには花壇があり、風が強いために一度温床で苗を育ててから移植していた。乗車券類は、当時駅前に存在していた目時商店に簡易委託化されていた(1986年10月31日限り)。ただし、運転担当の職員は引き続き配置され出札補充券による乗車券販売を実施、平成元年3月1日から営業最終日までは硬券入場券も販売していた。
I天北線の恵北駅 - 声問駅間の廃線跡。
J天北線の恵北駅 - 声問駅間の廃線跡。バラストが一部残る。
K天北線の恵北駅 - 声問駅間の廃線跡。バラストが一部残る。
L天北線の恵北駅 - 声問駅間の廃線跡。バラストが一部残る。
 M恵北駅は、北海道稚内市大字声問村字恵北にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はケホ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。開拓の記念碑である「恵北開基百年記念碑」が建立されていた。
 M恵北駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した。 無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。
N天北線の樺岡駅 - 恵北駅間の廃線跡。道路に線路の痕跡が残る。
O天北線の樺岡駅 - 恵北駅間の廃線跡。
P天北線の樺岡駅 - 恵北駅間の廃線跡。
Q天北線の樺岡駅 - 恵北駅間の廃線跡。廃線跡は農道に転用。
R天北線の樺岡駅 - 恵北駅間の廃線跡。廃線跡にバラストが残る。
 S樺岡駅(かばおかえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字樺岡にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はカハ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(東側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた。そのほか2番線の南稚内方から対向側ホーム手前まで分岐した行き止まりの側線を1線有していた。無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。1983年(昭和58年)時点のホームには500本の上り藤を植えた花壇があり、8月には一斉に花を咲かせた。
@天北線の沼川駅 - 樺岡駅間の廃線跡。
A天北線の沼川駅 - 樺岡駅間の廃線跡。
 B沼川駅(ぬまかわえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字沼川にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はヌワ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
 B沼川駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した。そのほか1983年(昭和58年)時点では音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。但し分岐器近くに車止めが置かれていた。 かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた。尚、分岐器は両方向とも維持されていたが、分岐器近くに車止めが置かれていた。また本線の南稚内方から分岐した分岐器が撤去され途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた。無人駅(駅舎内で発券の簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。事務室の窓だけアルミサッシとなっており、待合室など他の窓は防寒のためにビニールで覆っていた。1983年(昭和58年)時点の簡易委託の駅務員は植木好きの元漁船長で、駅横に櫟などを植樹していたという。また、1933年(昭和8年)から1964年(昭和39年)まで、駅裏に殖民軌道幌沼線(沼川線)の停留場が置かれていた。
C天北線の曲淵駅 - 沼川駅間の廃線跡。
D天北線の曲淵駅 - 沼川駅間の廃線跡。道路がクランクし踏切が有った。
 E曲淵駅(まがりふちえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字曲渕にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はマカ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(北側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが上下共用の2番線となっていた。そのほか島式ホームの外側に2線を側線として有しており、1番線の音威子府方から分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、木造駅舎は構内の北側に位置し、1番線ホーム中央部に接していた。
F天北線の小石駅 - 曲淵駅間の廃線跡。
G天北線の小石駅 - 曲淵駅間の廃線跡。
 H小石駅は、かつて北海道宗谷郡猿払村字小石に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はココ。同線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した。かつては相対式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も、音威子府方の転轍機及び線路が途中まで撤去された行き止まりの側線として残っていた。無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホーム中央部に接していた。
 H地元自治会により「望郷」と記載された石碑が建立されており、天北線の歴史についても記載されていた。小石交流センターが建築されている。 駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている。
I天北線の鬼志別駅 - 小石駅間の廃線跡。
J天北線の鬼志別駅 - 小石駅間の廃線跡。路盤に採石が残る。
 K鬼志別駅(おにしべつえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字鬼志別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はオニ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。廃止時まで運行されていた急行「天北」の停車駅であった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(北側)ホームが上りの1番線、待合所が設置された。島式ホームが下りの2番線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では島式ホームの外側に3線を側線として有しており、1番線の音威子府方から分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、木造駅舎は構内の北側に位置し1番線ホーム中央部に接していた。
 K鬼志別駅跡のバスターミナル館内の1階に天北線の資料展示室が設けられ、周辺駅の駅名標、乗車券、備品、写真などの天北線関連資料が保存・展示されている。
K天北線の資料展示室の小石駅の駅名標。 K天北線の資料展示室の鬼志別駅の駅名標。
K天北線の資料展示室の芦野駅の駅名標。 K天北線の資料展示室の猿払駅の駅名標。
K天北線の資料展示室の浅茅野駅の駅名標。 K天北線の資料展示室の飛行場前駅の駅名標。
L天北線の芦駅野 - 鬼志別駅間の廃線跡。
M天北線の芦駅野 - 鬼志別駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
N天北線の芦駅野 - 鬼志別駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
O天北線の芦野駅 - 鬼志別駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
 P芦野駅(あしのえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字芦野にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はアノ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては列車交換可能な交換駅であった。無人駅(駅舎内で発券の簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。出入口だけアルミサッシに変更された古い木造駅舎であった。ホームには花壇が設けられていた。1983年(昭和58年)時点の簡易委託の駅務員は70歳を過ぎた老人男女であった。
Q天北線の猿払駅 - 芦野駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
R天北線の猿払駅 - 芦野駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
S天北線の猿払駅 - 芦野駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
 @猿払駅(さるふつえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村猿払にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はサフ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側、旧1番線)に存在した。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央と島式ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側(東側)が上りの1番線、島式ホーム(西側)が下りの2番線となっていた。島式ホームの外側に1線を側線として有しており、そのほか1番線の音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホーム中央部分に接していた。
A天北線の浅茅野駅 - 猿払駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
B天北線の浅茅野駅 - 猿払駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
C天北線の天北線の浅茅野駅 - 猿払駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
D天北線の浅茅野駅 - 猿払駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
E天北線の浅茅野駅 - 猿払駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
 F浅茅野駅は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字浅茅野にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はチノ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[1]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた。そのほか本線の南稚内方から分岐し駅舎北側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、また本線の音威子府方から分岐した分岐器が撤去され途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板張りの駅舎であった。
G天北線の飛行場前駅 - 浅茅野駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
H天北線の飛行場前駅 - 浅茅野駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
I天北線の飛行場前駅 - 浅茅野駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。
 J飛行場前駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字共和にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅だった。ホームは線路の西側、南稚内方面に向かって左手側に存在した。ホームは木製のデッキ式で、音威子府方(南側)にスロープを有し踏切際の道路に連絡していた。仮乗降場に出自を持つ無人駅であり、駅舎は存在せず、ホーム出入口から少し離れた位置にマンサードの待合所を有してい。待合所入口には「飛行場前停畄場」と表記されていた。仮乗降場時代の一時期、駅名標には駅名の読みとして「ひこうじょまえ」と記載されていたが、その後訂正されている。
 K安別駅は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字安別に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は存在せず、ブロック造りの待合所を有していた。 周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている。サイクリングロード沿いに待合所、通信中継室が残存し、待合所はサイクリングの休憩所に再利用されていた。
L天北線の浜頓別駅 - 山軽駅間の廃線跡。廃線跡はサイクリングロードにに転用。この先浜頓別駅。
 M浜頓別駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字浜頓別154にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はハト。鉄道路線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。天北線廃止時まで運行されていた急行「天北」の停車駅であった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。かつては島式ホーム2面3線(駅舎側ホームは片面使用)を有しており、1985年(昭和60年)7月1日に興浜北線が廃止されたのち、1番線の線路が撤去された。尚、1983年(昭和58年)時点では駅舎側(東側)から1、2、3番線で、2、3番線ホームと駅舎は南稚内方の跨線橋で、1番線ホームと駅舎は通路で連絡していた。1番線が興浜北線専用、2番線が天北線上り、3番線が天北線の下りとなっていた。そのほか1番線ホームの未利用の片面部分に旧貨物側線を1線有し、3番線の外側(西側)に5線の側線、及びそれらから分岐した側線があり、うち1線には転車台も備えられていた。職員配置駅で、駅舎は構内の東側に位置していた。鉄筋の駅舎は内部もかなり広く取られた、天北線の中心駅、また観光の拠点らしい建物であった。1983年(昭和58年)時点では待合室にズワイガニの剥製が展示されていた。「わたしの旅スタンプ」が設置されていた。興浜北線は当駅所属の車掌が担当していた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名の「頓別」は、アイヌ語の「トウ・ウン・ペツ(沼から出る川)」に由来する。これに「浜」を冠する。当初この地は頓別村であり、駅だけが「浜頓別」を称していた。その後、海側の頓別地区から当駅周辺に行政中心が移って市街ができると、まず地区名が浜頓別と名付けられ、さらに1951年(昭和26年)の町制施行時に、町名も駅名に合わせて浜頓別となった。砂川駅などと同様に駅名が町の名前を変更させた例の一つ。
M浜頓別駅(浜頓別バスターミナル)展示品。
M浜頓別駅(浜頓別バスターミナル)展示の写真。
N天北線の常盤駅 - 浜頓別駅間の廃線跡。
O天北線の常盤駅 - 浜頓別駅間の廃線跡。
 P常盤駅(ときわえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字常盤にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いが待合所を有していた。
Q天北線の下頓別駅 - 常盤駅間の廃線跡。
 R下頓別駅(しもとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字下頓別にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はシト。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
 R下頓別駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[1]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては単式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板壁で木枠の窓の駅舎であった。
S天北線の新弥生駅 - 下頓別駅間の廃線跡。
@天北線の新弥生駅 - 下頓別駅間の廃線跡。鬼河原川橋。
 A新弥生駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字弥生にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。 仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いが待合所を有していた。藪の中にコンクリート製のホームが残存。
 B寿駅(ことぶきえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字寿にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
 C寿公園(天北線の廃線跡)に展示されている49648蒸気機関車。国鉄9600形蒸気機関車(こくてつ9600がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。
 C寿公園(天北線の廃線跡)に展示されているF-104J戦闘機。F-104 は、ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機。愛称はスターファイター (Starfighter)。第2世代ジェット戦闘機に分類される、アメリカ合衆国初のマッハ2級のジェット戦闘機。初飛行は1954年2月。細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを一基搭載している。その卓越した高速性と形態はミサイルを彷彿させ、日本やアメリカにおいては「最後の有人戦闘機」とも称された。
D天北線の中頓別駅 - 寿駅間の廃線跡。
 E中頓別駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町中頓別にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はナト。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。天北線廃止時まで運行されていた、急行「天北」の停車駅であった。
 E中頓別駅構造は廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム北側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(西側)が下り線、対向ホーム(東側)が上り線となっていた。貨物用の側線などは撤去されていたが、下り線の浜頓別方から駅舎側に分岐た元貨物側線の留置線が、保線車両(モーターカー)用に残されていた。1983年(昭和58年)時点では駅舎の対向側の単式ホームは島式ホームであり(両側とも乗降可能、上り線から分岐しその島式ホーム外側への側線を1線と、そこから南稚内方に分岐する行き止まりの側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の西側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した。1975年(昭和50年)に中頓別町が国鉄利用債を購入して鉄筋コンクリート製に改築した駅舎で、駅舎に当時のローカル線では珍しい水洗式のトイレを有していた。
E中頓別駅跡の展示品及び当時の写真。
E中頓別駅跡に展示されている当時の写真。
E中頓別駅跡に展示されている当時の写真。
F天北線の上駒駅 - 中頓別駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
G天北線の上駒駅 - 中頓別駅間の廃線跡。廃線跡の道路転用はここまで。
 H上駒駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字上駒にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
 I松音知駅(まつねしりえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字松音知にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はマネ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
 I松音知駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北西側に位置しホームに接していた。構内は周囲より高台に位置していたため駅舎は高床式になっており、駅前広場から駅舎出入口まではかなり痛んだ木の階段を上る必要があった。
J天北線の上駒駅 - 中頓別駅間の廃線跡。
 K周磨駅は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字松音知に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
L天北線の松音知駅 - 上駒駅間の廃線跡。
 M敏音知駅は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字敏音知にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はヒネ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
 M敏音知駅構造は廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(南西側)が下り線、対向ホーム(北東側)が上り線となっていた。そのほか上り線の南稚内方から分岐し構内外側への行き止まりの側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の南西側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した。古い木造ながら、チョコレート色の化粧ベニヤ張りの駅舎であった。ホームの長さは50メートルで、サルビアが植えられている花壇があった。
 N恵野駅は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字上頓別に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎はないが待合所を有していた。
O天北線の松音知駅 - 上駒駅間の廃線跡。
 P上頓別駅は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字上頓別に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はミト。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 駅構造は廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては2面2線の相対式ホームを有する列車交換可能な交換駅で、原木の集散駅であった。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホームに接していた。
 Q小頓別駅(しょうとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字小頓別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はトン。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。天北線廃止時まで運行されていた急行「天北」の停車駅であった。 駅構造は廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム西側と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(南側)が上り線、対向ホーム(北側)が下り線となっていた。そのほか上り線の音威子府方から分岐し上り線ホームはす向かいの貨物ホームへの貨物側線を1線、本線の音威子府方から分岐し下り線の外側への貨物側線を2線有していた。かつては豊富な林産資源を背景に多くの側線を有したが、末期にはその多くは撤去されていた。また1983年(昭和58年)時点で、転轍機が撤去された専用線が残存していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の南側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した。1970年(昭和45年)までは、北海道開拓のため建設された殖民軌道の一つであった歌登町営軌道が接続していたが、路線の一部区間が重複する美幸線未成区間建設促進のため廃止された。急行「天北」の停車は歌登・枝幸方面へ向かう乗客の便宜を図ったもので、駅前からは枝幸発着の宗谷バスが連絡していた。
 S音威子府駅(おといねっぷえき)は、北海道中川郡音威子府村字音威子府509番地にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW61。電報略号はオト。事務管コードは▲121830。
 S音威子府駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、あわせて2面3線を持つ地上駅である。1番線は有効長が短いため、普通列車のみ使用する。ホーム間の移動は跨線橋を使う。 社員(駅員)配置駅、みどりの窓口設置(窓口営業時間:8時15分 - 16時10分)。自動券売機はなく、近距離切符・入場券もみどりの窓口での購入となる。営業時間外に列車に乗車する際は無人駅同様の扱いとなる。駅舎は、天北線廃止後、音威子府村の予算によって木造駅舎から現在の交通ターミナル駅舎に改築された。駅本屋の隣には名寄保線所音威子府保線管理室(旧・音威子府駅工務)の事務所もある。 かつては夜間滞泊が設定されていたが、現在は名寄駅に留置されている。 駅舎はバス待合所を兼ねており、「交通ターミナル」と称している。旧天北線代替バスを運行する宗谷バスの出札所があるほか、音威子府村地域バス(咲来・天塩川温泉方面)が発着している。また天北線現役当時の資料が展示されている「天北線資料室」が併設されている。
S音威子府駅の天北線資料室。
S音威子府駅の天北線資料室。
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