更新日時 2013年11月08日

 陸軍帯広第一飛行場引き込み線:1940年(昭和15年):陸軍航空隊が創設され、それと同時に陸軍帯広第一飛行場引き込み線が敷設され、軍用物資が運ばれたと思われる。設置期間は戦後の昭和20年代後半頃迄と推測される。1951年(昭和26年):警察予備隊帯広駐屯地として創設され、第5管区隊が設置される。帯広駐屯地は、北海道帯広市南町南7線31番地に所在し、現在は第5旅団等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。平成15年度末に第5師団を総合近代化旅団として改編された。駐屯地内には通称十勝飛行場があり、北部方面隊及び第5旅団のヘリコプター部隊が使用している。帯広空港が開港するまでは、民間機の運行も行われていた。
 @帯広駅(おびひろえき)は、北海道帯広市西2条南12丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅である。帯広市の代表駅で、帯広市西2条南12丁目4にある。JR北海道の駅番号はK31。電報略号はオロ。札幌駅 - 帯広駅間の特急「スーパーとかち」の終点であり、札幌駅 - 釧路駅間の特急「スーパーおおぞら」を含め、すべての列車が停車する。正面には駐車場、タクシー乗り場、帯広駅バスターミナル(旧帯広駅バスタッチ後継施設)があり、帯広市内路線バス、帯広空港、都市間バスの乗降ができる。
 @帯広駅構造は島式ホーム2面4線を持つ高架駅である(ちなみにこの駅より東に有人高架駅はないため、当駅は日本最東端の有人高架駅である)。高架化以前からホテル事業と小売事業を行っていた帯広ステーションビル(1965年(昭和40年)発足 帯広市が筆頭株主の第三セクター)が、1996年(平成8年)エスタ帯広を開業したが、中心街の空洞化が進んだことなどから開店直後から集客難が続き、テナントの撤退が相次いだ結果、開業後わずか2年で自己破産した。現在もテナントに空きが見られる。終日社員配置駅。1・2番のりば改札口はジェイ・アール道東トラベルサービスが受託している。駅舎の1階はショッピングエリア・各種施設・待合室・みどりの窓口(営業時間6時00分 - 22時30分)・ツインクルプラザ・改札口(自動改札機(Kitaca非対応))があり、2階がホームとなる。駅弁は1階売店で販売している。また、ふるさと銀河線の廃止まで、連絡乗車券を買える自動券売機が設置されていた。改札口は当初駅中央部にあったため、連絡通路があったが、テナントの撤退が相次ぎ要望を受けて改札口が後退、中央部が開放された。このような方式は九州旅客鉄道(JR九州)宮崎駅にも見られる。コンコースに、からくり時計が設置されている。2番線と3番線の間は完全に吹き抜けとなっており、1番線と4番線も完全に覆う形にはなっていない(ホームは屋根で覆われている)。
 @このレールは、十勝の発展と共に歩んだ鉄道の歴史を記念し、明治38年(1905年)に最初に鉄道が敷設された位置に復元されたものです。
A陸軍帯広第一飛行場引き込み線はここから根室本線から分岐していた。
B陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。根室本線から分岐した後の緩やかなカーブが解る。
C陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。帯広競馬場沿いに進む。
D陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。
E陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。
F陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。
G陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。
H陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。
I陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。道路脇の築堤状の廃線跡。
J陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。この後道路とクロスして飛行場方向へ。
K陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。この先緩いカーブを描きながら飛行場方向へ。
L陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。道路から分岐して飛行場方向へ。
M陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。この先は住宅地に転換。
N陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。公園が廃線跡。
O陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。道路の挟まれた住宅地が廃線跡。
P陸軍帯広第一飛行場引き込み線の廃線跡。この先は自衛隊の官舎。
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廃線探索 陸軍帯広第一飛行場引き込み線