更新日時 2014年09月20日

 美幸線(びこうせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡美深町の宗谷本線美深駅を起点とし、同町内の仁宇布駅に至る路線であった。計画では、美深より仁宇布を経てオホーツク海沿岸枝幸町の興浜北線北見枝幸駅に至る予定で、仁宇布から枝幸方にかけて一部工事が行われたものの、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)9月17日に全線廃止された。線名は予定線の起終点から採られており、「美」は起点の美深、「幸」は終点の北見枝幸(枝幸郡枝幸町)である。警報機のある踏切は宗谷本線と共用のものを除けば1箇所(道道)のみで、人跡のまれな地帯をゆく路線であった。北海道北部開発の拠点であった枝幸と宗谷本線を短絡する目的で計画された鉄道路線で、1953年(昭和28年)に鉄道敷設法別表第144号の2「天塩国美深ヨリ北見国枝幸ニ至ル鉄道」として追加された。枝幸へは興浜北線が浜頓別で天北線に接続、予定線の興浜線が雄武で興浜南線に接続し、興部で名寄本線に連絡する予定であったが、大消費地である旭川、札幌に出るには遠回りとなることから長年にわたって請願が続けられていたものである。1964年(昭和39年)に第1期線である美深 - 仁宇布間が部分開業し、以遠も日本鉄道建設公団によって建設が進められた。
日本国有鉄道 美幸線(未成区間)
仁宇布駅 - 北見大曲駅 - 上徳志別駅 - 志美宇丹駅 - 辺毛内駅 - 歌登駅 - 下幌別駅 - 南枝幸(信) - 北見枝幸駅
 @仁宇布駅(にうぷえき)は、北海道中川郡美深町字仁宇布にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線の駅(廃駅)である。美幸線の廃線に伴い1985年(昭和60年)9月17日に廃駅となった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ニ・ウプ」(木があるもの)に由来する。
 @仁宇布駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(仁宇布方面に向かって左手側)に存在した。列車の発着に使用する駅舎側の1番線だけではなく、駅舎と反対側の乗り場(2番線)の線路も敷設され側線扱いとなっていた。2線はホームの先で収束し、路線延長時には列車交換が可能な構造となっていた。ほかに2番線の外側に貨物用の側線(3番線)を1本有した。職員配置駅となっており、木造プレハブ造りの駅舎が存在した。駅舎は構内の南東側に位置し、ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。1981年(昭和56年)時点で職員は合計6人が配置されていた。
 @トロッコ王国美深は、北海道中川郡美深町にある観光施設、およびそれを運営しているNPO法人である。日本一の赤字路線として1985年(昭和60年)に全線廃止された日本国有鉄道(国鉄)美幸線の廃線跡の一部、約5kmおよび敷地104,700uを利用し、観光の活性化を目的としてエンジン付きトロッコを運行している。美深町の所有する旧美幸線の線路や鉄橋を始めとする付帯施設をNPO法人「トロッコ王国美深」が無償で借り受け、車両や線路の製造・メンテナンス全般を行い、運営されている。推定最高速度は約20km/h位だが、オープンスタイルとガタンゴトンというジョイント音の響きが、かなりのスピード感とスリル感を醸し出し、さらには自分で運転できる感触が人気を集めている。沿線には、自然の草花や木々の緑が季節ごとに天然の彩を変え、清流のせせらぎと白樺の緑のトンネルを縫うように走る鉄路は、牧歌的な北海道の自然体感の場として、訪れる人々の心を虜にしている。特別豪雪地帯であるため、冬季の運行は休止される。夏休みシーズンや大型連休時には全国各地から多くの人々が訪れ、賑わいを見せている。
@トロッコ王国美深のエンジン付トロッコ。エンジン付トロッコの運転体験ユーチューブリンク
@国鉄583系電車の中間車両が置かれている。状態は良くない。
A美幸線(未成区間)仁宇布駅 - 北見大曲駅間の廃線跡。天の川トンネル。
A美幸線(未成区間)仁宇布駅 - 北見大曲駅間の廃線跡。美幸線のトンネルを拡張転用。
B美幸線(未成区間)仁宇布駅 - 北見大曲駅間の廃線跡。道路脇の草むらが廃線跡。
C美幸線(未成区間)北見大曲駅(予定地)跡。
D美幸線(未成区間)北見大曲駅 - 上徳志別駅間の廃線跡。ここから一部道路に転用。
E美幸線(未成区間)北見大曲駅 - 上徳志別駅間の廃線跡。
F美幸線(未成区間)上徳志別駅(予定地)跡。
G美幸線(未成区間)上徳志別駅 - 志美宇丹駅間の廃線跡。ここで道路とクロスしていた。
H美幸線(未成区間)上徳志別駅 - 志美宇丹駅間の廃線跡。ここで道路とクロスしていた。
I美幸線(未成区間)志美宇丹駅(予定地)跡。築堤が残る。
J美幸線(未成区間)志美宇丹駅 - 辺毛内駅間の廃線跡。
K美幸線(未成区間)志美宇丹駅 - 辺毛内駅間の廃線跡。廃線跡がはっきり解る。
L美幸線(未成区間)志美宇丹駅 - 辺毛内駅間の廃線跡。築堤及び跨道橋が残る。
M美幸線(未成区間)辺毛内駅(予定地)跡。
N美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。
O美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。跨線橋から撮影。廃線跡が解る。
P美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。
Q美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。跨線橋が残る。
Q美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。跨線橋から撮影。廃線跡が解る。
R美幸線(未成区間)辺毛内駅 - 歌登駅間の廃線跡。
S美幸線(未成区間)歌登駅(予定地)跡。
@美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。歌登りトンネル脇にコンクリート橋梁が残る。
A美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。トンネル跡が残る。
A美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。トンネル跡が残る。
B美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。廃線跡が解る。
C美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。跨線橋から撮影。廃線跡が解る。
D美幸線(未成区間)美幸線(未成区間)歌登駅 - 下幌別駅間の廃線跡。廃線跡が解る。
E美幸線(未成区間)下幌別駅(予定地)跡。
F興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の岡島駅 - 南枝幸信号場間の廃線跡。跨線橋より撮影。
G興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。
H興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。この先は道路に転用。
I興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。境界杭が残る。
 J北見枝幸駅(きたみえさしえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡枝幸町字栄町にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線の駅(廃駅)である。電報略号はエサ。興浜北線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、興浜北線の終端駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した。また貨物用などの側線を2線有し、そのほか駅舎側本線の延長上から浜頓別方の駅舎側に分岐し、駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。開業から5年目に改築された白壁の[1]駅舎であった。尚、1981年(昭和56年)6月時点では駅舎正面中央辺りに「興浜北線 終着駅 北見枝幸駅」の看板が建っていた。構内には興浜線・美幸線未成区間の路盤が完成しており、レールの敷設が行われればすぐにでも列車が走行可能な状態であった。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「北見」を冠する。地名は、アイヌ語の「エサシ」(コンブ)に由来する。
J北見枝幸駅前の一級食堂。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 美幸線(未成線区間)