更新日時 2015年10月31日

 日本タンニン工業専用線:現在の新富公園になっている場所は、かつての出光興産や共同石油などの油槽所へ続く専用線で、元は戦時中に軍需産業として操業していた日本タンニン工業の工場専用線だったものを工場敷地と共に再利用していた。第七師団が置かれた軍都旭川は、日華事変を境として市政や市民生活のうえに、いろいろな形で戦時体制の影響が強くあらわれるようになり、戦時統制経済のなかで、国策パルプ工業株式会社の旭川工場をはじめ、多くの軍需関係工場が設立された。昭和17(1942)年以降、日本タンニン工業株式会社の旭川工場等多くの軍需関係工場が設立されたが、それは旭川工業にとって大きな転機になったとともに、その後の工業発達を促進する要因となった。
@日本タンニン工業専用線の廃線跡。
A日本タンニン工業専用線の廃線跡。
B日本タンニン工業専用線の廃線跡。
C日本タンニン工業専用線の廃線跡。新富公園(旧日本タンニン工業跡地)
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『旭川市』を掲載」
廃線探索 日本タンニン工業専用線