更新日時 2015年12月15日

 三菱鉱業美唄鉄道線:は、北海道美唄市の美唄駅から三菱美唄炭鉱の事業所が存在した常盤台駅間を結んでいた三菱鉱業運営の鉄道路線である。1972年(昭和47年)に廃止された。1950年(昭和25年)、三菱鉱業は企業再建整備法に基づく整備計画によって金属鉱山部門を分離して太平鉱業(のちの三菱金属鉱業)とした上、残る炭鉱部門の効率化を図ることになり、同社美唄礦業所と不可分の美唄鉄道を吸収して三菱鉱業美唄鉄道事務所とした。炭鉱の隆盛により輸送量も増加したが、1955年(昭和30年)に石炭鉱業合理化臨時措置法が施行されると閉山や合理化が始まった。三菱鉱業美唄礦業所も縮小・合理化が進められ、1965年(昭和40年)には美唄炭礦株式会社として三菱鉱業より分離した。さらに、二度にわたる災害に見舞われた常盤坑を1970年(昭和45年)7月に閉鎖し、竪砿のみの単独操業となったことから経営が悪化、事業の効率化のため1971年(昭和46年)7月に同資本系列の三菱大夕張炭礦に吸収合併して同社美唄鉱業所となったが、翌1972年(昭和47年)4月には閉山、美唄鉄道線も5月31日限りで廃止された。
三菱鉱業美唄鉄道線
美唄駅 - 東美唄信号所 - 東明駅 - 盤の沢駅 - 我路駅 - 美唄炭山駅 - 常盤台駅
 @美唄駅(びばいえき)は、北海道美唄市東1条南2丁目3番にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。駅番号はA16。駅名の由来は「美唄」はアイヌ語のピパ=イまたはピパ=オ=イ(カラス貝のいる所)に当て字をしたもの。この地域はかつては沼が多く、カラス貝が沢山生息していた事から来ている。当鉄道の工事と同時期の明治23年に村が設置されたが、旧村名の「沼貝」はこのアイヌ語を意訳したもので、当駅開設後の明治25年に駅周辺が字ピパイと付けられた。地区の字名が駅名と同じ漢字の「美唄」に改められたのは明治33年である。つまり「美唄」は行政より駅名が先行して付けられた。
 @美唄駅構造は2面2線の相対式ホームを持つ橋上駅で、2線の間に中線もある。エレベータ設置有り。社員配置駅。みどりの窓口(営業時間5時40分 - 24時00分)、自動改札機(Kitaca非対応)設置。
@美唄駅の側線跡。
A三菱鉱業美唄鉄道線の美唄駅 - 東美唄信号所間の廃線跡。
B三菱鉱業美唄鉄道線の美唄駅 - 東美唄信号所間の廃線跡。橋台跡?
C三菱鉱業美唄鉄道線の美唄駅 - 東美唄信号所間の廃線跡。
D三菱鉱業美唄鉄道線の美唄駅 - 東美唄信号所間の廃線跡。
 E東美唄信号所は、かつて北海道美唄市東明三区(現・東明2条)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の信号場である。第二次世界大戦中に非常用貯炭場と専用線が設けられた。戦後この貯炭場跡には国鉄の蒸気機関車用燃料のピッチ練炭需要に対処するための工場の一つとして三菱鉱業美唄煉炭工場が置かれ、専用線も増設されてその工場用に転用された。当信号所はその専用線の分岐点に設けられた。 この専用線は東明駅が管理した。当信号所から美唄方面に向かって、美唄煉炭工場への専用線が分岐していた。
F三菱鉱業美唄鉄道線の東美唄信号所 - 東明駅間の廃線跡。
G三菱鉱業美唄鉄道線の東美唄信号所 - 東明駅間の廃線跡。道床が残る。
H三菱鉱業美唄鉄道線の東美唄信号所 - 東明駅間の廃線跡。ここから先は遊歩道になっている。
 I東明駅(とうめいえき)は、かつて北海道美唄市東明5条2丁目に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から3番目の駅であった。美唄市の東明地区に位置し、当鉄道が運行されていた頃は地域住民の最寄駅となっていた。駅構造は1962年(昭和37年)の時点で、駅舎は美唄に向かって左手南側の構内美唄寄りに置かれ、駅舎前を通る貨物積卸線を挟んでホーム上駅舎に近い位置に上屋を持つ島式ホーム1面2線を有し、駅舎からホーム美唄側端へ構内踏切で連絡した。また駅舎の右側は広い空き地になっており、貨物用の上屋もあった。配線は駅裏側が本線と直線の棒線状に近く、駅表側2線が片開分岐で分岐する構造であった。
 I国鉄4110形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が製作した急勾配路線用のタンク式蒸気機関車である。動輪5軸を有する強力形蒸気機関車であり、奥羽本線等の主要幹線の急勾配区間で運用された。4110形は、1912年(明治45・大正元年)にドイツから輸入された4100形の機構を元に、日本で設計を改良して国産された機関車である。基本的な機構面では同形式を踏襲している。美唄鉄道向けに、1920年に2両(2, 3)、1926年に1両(4)が三菱造船所により製造されている。2は、三菱造船所製蒸気機関車の第1号である(3の製造番号は2、4の製造番号は10)。こちらも設計は鉄道省の2次形に準じており、蒸発伝熱面積は118.26u、過熱伝熱面積は33.72uで、大煙管は1本増の22本となっている。運転整備重量は65.29t、水槽容量は7.29立米である。1926年製の4は、運転整備重量67.42t、水槽容量6.95立米であった。その後、国鉄払下げの4122・4137・4142・4144を加えて7両体制となったが、1969年(昭和44年)までに3, 4137, 4142, 4144が廃車となり、4137と3,4142はそれぞれ三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道、北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道に転じた。4122は1971年(昭和46年)に廃車。2, 4が1972年(昭和47年)の美唄鉄道廃止まで使用された。
J三菱鉱業美唄鉄道線の東明駅 - 盤の沢駅間の廃線跡。
K三菱鉱業美唄鉄道線の東明駅 - 盤の沢駅間の廃線跡。
L三菱鉱業美唄鉄道線の東明駅 - 盤の沢駅間の廃線跡。盤の沢川に盤ノ沢橋梁が残る。
M三菱鉱業美唄鉄道線の東明駅 - 盤の沢駅間の廃線跡。
 N盤の沢駅(ばんのさわえき)は、かつて北海道美唄市盤の沢(現・盤の沢町本町)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から4番目の駅であった。美唄市の盤の沢地区に位置し、当鉄道が運用されていた頃は盤の沢地区住民の最寄の駅となっていた。また、滝の沢火力発電所[1]向けと新美唄炭砿向けの2つの専用線を管轄していた。駅構造は1962年(昭和37年)時点で、駅舎は構内我路側に寄った南側の、現・道道135号傍に設置され、駅舎前を通り駅舎横我路側に設けられた貨物ホームを利用する貨物積卸線を挟んで、構内我路寄りに、上屋を持つ島式ホーム1面2線と、その駅裏に留置線2本、その外側に駅構内のほぼ中央やや西寄りに設けられて駅裏の選炭施設から構内をコンベアで跨線して連絡する三菱美唄炭砿滝の沢坑の積み込み設備へ石炭積み込み線1本、さらにその外側に草生す細長い空き地を挟んで、駅裏構外東明側に設けられた坑木置き場へ向かう坑木線2本を有した。構内我路側端の分岐器近くからは、駅裏側集合線から分岐した引き上げ線が本線北側に沿って美唄川に掛かる橋梁付近まで伸びていた。また駅舎からホームへは、駅裏の滝の沢坑の事務棟前へ連絡する跨線人道橋からホーム東明側端へ階段で連絡していた。駅舎前を通る貨物積卸線の我路側から、駅表の南にある三菱鉱業美唄動力所(滝の沢火力発電所)の貯炭場と建屋前に向かって専用線が分岐していた。この分岐点近くからは専用線の外側に蒸気機関車用の給水タンクとアッシュピットをもつ短い側線も分岐していた。また、構内東明側からは三舟鉱業美唄鉱業所(旧・三井新美唄炭礦)の積込み施設へ向かう専用線が、本線北側に400m程並走した後、大きく膨らみながら2本の積込線に別れて向かっていた。
O三菱鉱業美唄鉄道線の盤の沢駅 - 我路駅間の廃線跡。
P三菱鉱業美唄鉄道線の盤の沢駅 - 我路駅間の廃線跡。第1美唄川橋梁のガーター橋が残る。
Q三菱鉱業美唄鉄道線の盤の沢駅 - 我路駅間の廃線跡。
 R我路駅(がろえき)は、かつて北海道美唄市我路(現・我路町2条)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から5番目の駅であった。美唄市の我路地区に位置し、当鉄道が運用されていた頃は我路地区住民の最寄の駅となっており、駅舎も設置されていた。当鉄道が敷かれる前からこの地区には炭鉱に従事する人々が集まって小市街を形成しはじめていた。このため鉄道が敷かれた当初より駅が置かれたが、これによりさらに人々が集まり、はじめはバラック作りではあったが、この市街の急速な発展は当時の人々を驚かせるほどであった。また、我路という地名は初代炭鉱長が付けたとされ、それが駅名になった。廃止後は、駅舎は保存されず、1973年(昭和48年)にこの地域に最後まで残っていた北菱産業の我路炭鉱の閉山もあり、主力炭鉱閉山の相次いだ1960年代以降も残っていた周辺地域の住民の多くがこの地を離れた。駅構造は駅舎は美唄炭山に向かって左側(北側)にあり、単式ホーム1面1線を有した。1962年(昭和37年)時点で既に側線は無く、以降も廃線まで無かったが、1924年(大正13年)の市街図には美唄炭山側の北側に、市街路と道で繋がる小さな貨物積卸場や隣接する倉庫と共に美唄炭山側から分岐してホーム端までの側線が描かれている。 一方、常盤台まで延伸する前の状況と思われる図には、駅舎は無くホームが南側に描かれたものがあるが、事実関係は不明。
S三菱美唄記念館。 S美唄炭鉱で出炭した石炭。
S山神社扁額。 S
S美唄炭鉱坑内図。 S我路駅周辺地図。
S常盤台駅より先の線路も描かれている。 S盤の沢発電所選炭機。
S常盤台全景。 S宮の下、清水台、旭台、一の沢、竪坑方面。
S竪坑選炭機。 S竪坑入坑風景。
@三菱鉱業美唄鉄道線の我路駅 - 美唄炭山駅間の廃線跡。我路ノ沢橋梁。
 A美唄炭山駅(びばいたんざんえき)は、かつて北海道美唄市美唄炭山(現・美唄市東美唄町我路の沢)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。石狩石炭の石炭積込場の駅として開業。後に飯田美唄炭砿や、それを買収した三菱鉱業美唄炭砿の初期の主力坑であった一坑と二坑および三坑の選炭積込場を擁する、美唄の炭鉱発祥の駅であった。駅構造は駅舎は構内の我路側に寄っていて、南の丘陵に広がる炭鉱住宅街とは逆の北側、常盤台へ向かう道道美唄炭山線(現・道道135号)傍に小さな駅前広場を伴って置かれていた。一方、本線が常盤台まで伸びる前の状況と思われる図では、北側に多くの仕分けまたは留置線が敷かれ、ホームが南側に置かれていた記述[7]があるが、事実関係は不明。またこの図では駅舎は無く、転車台を持っていたことが記されている。当構内は東に長く伸び、構内西端は我路の沢を渡る直前から始まって、駅表側本線と駅裏側仕分けまたは留置線群の二手に分岐した。この分岐点付近から本線に沿って我路側へ、南側は仕分けまたは留置線側から分岐する引き上げ線、北側は本線から分岐して沼東中学校グランド(現・我路ファミリー公園)脇へ伸びる用途不明線(冬期の雪捨て用か?)があった。 我路の沢橋梁と現・道道135号の踏切を越すと構内が広がり、構内西側に駅舎とその前に置かれて少しカーブした単式ホーム1面と、副本線1本を挟んで、少し東側にずれた位置に置かれた上屋を持つ駅裏側片面使用の島状単式ホーム1面の、都合単式ホーム2面2線を有し、駅舎横の東側には給水タンクとアッシュピットを持つ蒸気機関車用の短い側線が1本と、2本の貨物積み降ろし用のスイッチバック状の引き込み線があり、駅裏側に5-6本の仕分けまたは留置線が敷かれていた。また、駅舎側から島式ホームの我路側端へ構内踏切で連絡していた。構内東側には当駅開設以来1961年(昭和36年)頃まで、初期の三菱美唄炭鉱の主力坑だった一坑、二坑および三坑用の選炭機と積込みホッパーが置かれて、1937年(昭和12年)時点で4本、1947年(昭和22年)時点で3本の積込線が西の留置線群から伸びていた。 その後この選炭機とホッパーは撤去されて、戦後に構内西側駅裏の島式ホーム正面に設置され、留置線の内一番外側の線を積込線とした北菱産業我路炭礦我路坑の小規模な積み込み設備だけが残された。当駅構内を過ぎ、常盤台へ向かう本線が90°のカーブを描いて北上する辺りには、その外側(東側)に坑木置場、内側(西側)に修繕工場があり、カーブ手前の東美唄川を渡る橋梁付近から分岐した当駅所轄の側線が、本線に沿ってそれぞれ伸びていた。
A美唄炭山駅跡に木製外装の有蓋車が倉庫代わりに転用されている。
B三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。
C三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。東美唄川橋梁のガーター橋が残る。
D三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。
E三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。跨線橋が残る。
F三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。
G三菱鉱業美唄鉄道線の美唄炭山駅 - 常盤台駅間の廃線跡。道路を横断する踏切跡が残る。
 H常盤台駅(ときわだいえき)は、かつて北海道美唄市常盤台(現・美唄市東美唄町常盤台)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。1914年(大正3年)11月15日から1972年(昭和47年)5月31日まで、運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から7番目の駅であった。ただし、常盤台駅は、1924年(大正13年)12月15日に開業した。1919年(大正8年)7月に、三菱鉱業専用鉄道が実現していたが、美唄鉄道が三菱鉱業専用鉄道を買収し地方鉄道に免許変更を行い、一般駅としての営業が実現した。1.5km 先の北ニノ沢まで、延伸する計画があったが、中止となった。駅近くには、三菱美唄炭鉱があり、常盤台地区の住宅があって鉄筋コンクリートのアパートも存在していた。三菱美唄炭鉱の閉山により、三菱鉱業美唄鉄道も鉄道営業廃止となり、当駅も1972年(昭和47年)6月1日に廃止となった。
 I三菱美唄炭鉱の原炭ポケット。
I開閉所跡。トロッコの軌道が残る。
I三菱美唄炭鉱のR型竪坑。
I三菱美唄炭鉱のR型竪坑。
I常盤台駅の当時の様子。
第四坑。 常盤台駅先の橋梁。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『美唄市』を掲載」
廃線探索 三菱鉱業美唄鉄道線