更新日時 2018年10月01日

廃線探索 稚泊航路・稚内港駅・稚内桟橋駅
 稚泊航路・稚内港駅・稚内桟橋駅:1922年(大正11年)に開業した稚内駅は現在の南稚内駅で1923年(大正12年)5月1日から、当時日本の統治下にあった南樺太の大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」の運航が始まった。1924年(大正13年)11月10日に稚内連絡待合所が現在の稚内駅近くに建設されたが、当時の稚内駅からは約2 kmの距離を旅客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。なお、当時の稚泊航路は夏期は隔日、冬期は10日で2往復の運航体制であり、東京から樺太の大泊港までは夜行3泊を要した。 1928年(昭和3年)12月26日に現在の稚内駅である「稚内港駅」まで鉄道路線が延伸された。開業時の駅舎は、稚内連絡待合所の建物を改修した上で利用していたと推測されている。「稚泊航路」への連絡を重要としていたため市街地とは反対側の海側に駅舎があったが、1938年(昭和13年)6月30日に木造平屋建ての駅舎(2代目駅舎)を市街地側に建設した。1936年(昭和11年)には稚内港の北防波堤桟橋が竣工し、1937年(昭和12年)から防波堤桟橋内への線路延長敷設工事(約850 m)が始まり、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内に「稚内桟橋駅」を設置した(ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱いであり、独立した駅とは見なされていなかった)。稚内桟橋駅は、現存する北防波堤ドーム沿いに線路が敷かれてドーム内に旅客ホームがあり、線路を跨線橋で渡った南側に駅舎を設置していた。駅舎はコンクリート造り2階建てで、1階が乗船口や待合室・事務室・貨物保管庫、2階が日本食堂の構内食堂であった。駅舎南側には連絡船などが着岸する桟橋があり、陸地に近い側から利尻島・礼文島を結ぶ「利礼航路」、樺太の本斗町を結ぶ北日本汽船の「稚斗航路」、鉄道省の「稚泊航路」の順で離着岸していた。1939年(昭和14年)2月1日に稚内駅を「南稚内駅」に、稚内港駅を「稚内駅」に改称した。その後、「稚泊航路」は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たっていたが、同年8月24日に稚内港に入港した便を最後に運航停止となり、稚内桟橋駅も実質的に廃止となった。また、かつての駅構内には「稚泊航路」との連絡のほかに貨物扱いで多くの側線を敷設していたが、1984年(昭和59年)2月1日に貨物の取り扱いが廃止となって旅客専用駅になり、徐々に側線の撤去を進めていった。
 @宗谷本線の稚内駅-稚泊連絡船駅間の廃線跡。稚泊連絡船は、太平洋戦争終結前の鉄道省(日本国有鉄道の前身)により北海道の稚内と当時日本施政下であった樺太の大泊の間で運航されていた鉄道連絡船である。 日本最北端の路線の碑:平成23年4月までの稚内駅旧駅舎の日本最北端線路地点は、現・新駅舎の北側駅舎外の地点であり、現・日本最北端線路地点は、以前より南側に移動している。以前に日本最北端の線路として存在した車止めとレールは、稚内市がJR北海道より寄贈を受け、当時の記憶を継承するモニュメントとして、旧駅舎時代に最北端であった元の位置へ平成24年3月に復元されている。
 @稚内駅は、北海道稚内市中央3丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。日本国有鉄道(国鉄)時代より、遙か南、鹿児島県の指宿駅と姉妹駅提携を結んでいる。終日社員配置駅。特急スーパー宗谷・サロベツは稚内駅到着後、南稚内駅へ折り返して車庫(旧・稚内機関区)に入り整備を行う。日本最北端の駅らしく、前述の指宿駅をはじめ、鹿児島駅・東京駅・函館駅・札幌駅・旭川駅からの距離表示が柱に表示されている。また、新駅舎完成に伴い、かつては外から手軽に見ることができた最北端終点の看板は駅舎に入らないと見られなくなった。現在、当該看板は駅舎内待合室のガラス越しに、かろうじてみることができる程度である。
 @稚内駅構造は単式ホーム1線を持つ地上駅。以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年1月30日をもって2番線が廃止され、線路やポイント、出発信号機、場内信号機はすべて撤去され、棒線化された。これにより、南稚内駅から本駅(線路終端)間は1閉塞となり2列車以上進入できなくなった。駅進入時は過走余裕距離が短いため全列車15km/h以下の速度制限を受ける(冬季は更に速度を落として進入する)。棒線化される前は構内踏切(警報機のみ)も設置されていた。
A宗谷本線の稚内港駅 - 稚内桟橋駅間の廃線跡。レールのモニュメントが残る。
B宗谷本線の稚内港駅 - 稚内桟橋駅間の廃線跡。レールのモニュメントが残る。
C宗谷本線の稚内駅港駅の貨物線ヤード終端。
D宗谷本線の稚内桟橋駅跡。
E稚泊連絡船:稚内桟橋(北防波堤)に接岸する亜庭丸。Wikipediaより写真を借用。
F宗谷本線の稚内港駅の貨物ヤードの廃線跡。
G宗谷本線の稚内港駅の貨物ヤードの廃線跡。
H宗谷本線の稚内港駅の貨物ヤードの廃線跡。
I宗谷本線の稚内港駅の貨物ヤードの廃線跡。
J宗谷本線の稚内港駅の貨物ヤードの廃線跡。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『稚内市』を掲載」