更新日時 2009年12月31日

 能登線(のとせん)は、石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅と石川県珠洲市の蛸島駅を結んでいた鉄道路線である。
開業以来30年間の間日本国有鉄道の経営下にあったが、国鉄末期の国鉄再建法により特定地方交通線に選定され、廃止の危機に瀕した。鉄道の存続を希望した石川県は第三セクター鉄道として能登線の存続を図り、のと鉄道を設立してこの運営を引き継がせた。
 能登半島の北部奥能登の南岸を走っていた路線。過疎地域に建設され、政治路線との批判を免れなかった。開業当時には既に自家用車が普及しつつあり、乗降客は数年増加したのちには早くも減少を始めた。1970年から1973年までSLによる「ふるさと列車おくのと号」が運転されるなど、国鉄時代から集客の取り組みが行われていたが、乗客減少には抗えず、沿線自治体は1981年に「能登線存続期成会」を結成して存続活動を展開。しかし1985年に第3次特定地方交通線(以下・第3次指定)候補に選定されてしまう。これを受け石川県は1986年、「能登振興のために鉄道は必要」として、第三セクターを設立して存続する意向を示し、共に三セク化によって第3次指定路線の存続を図っていた高知県・愛知県(それぞれ土佐くろしお鉄道・愛知環状鉄道を設立)とともに能登線の早期の第3次指定を国に求めた結果、1986年5月末に第3次指定に先行承認される異例の事態となった。こうして1987年に第三セクター「のと鉄道」が設立され、1988年にのと穴水駅(現・穴水駅) - 蛸島駅間が「のと鉄道能登線」として開業した。
 転換後に列車のフリークエンシーを向上させた結果、収支はほぼ均衡を保ち、開業初年の1988年から1990年にかけて単年度黒字を計上していた。しかしのと鉄道が七尾線の経営を引き受けた頃からのと鉄道の赤字額が目に見えて増大し始め、同時に能登線の乗客も減少していった。2004年3月23日ののと鉄道の取締役会でついに能登線の廃止が決議され、2005年4月1日付で廃止に至った。廃止後は能登中央バス・奥能登観光開発(現在は統合されて北鉄奥能登バス)による路線バス(代替バス)に転換された。
 能登線にある全49のトンネル入口にはいろは順に起点からひらがなの通称がつけられており、ユニークなものとなっていた。
廃線時の駅名(隧道名)緑字、青字(このページ)は探索済み駅及び隧道、黒字は未探索
穴水駅-い-ろ-は-中居駅-に-ほ-比良駅-へ-鹿波駅-と-ち-甲駅−り−ぬ-沖波駅(立戸の浜駅)-前波駅-古君駅-る-鵜川駅-を-七見駅-矢波駅-わ-波並駅-藤波駅-か-宇出津駅-よ-た-れ-そ-つ-ね-な-ら-む-羽根駅-う-ゐ-の-お-く-小浦駅(能登小浦駅)-や-ま-け-ふ-縄文真脇駅(真脇駅)-こ-九十九湾小木駅(能登小木駅)-え-て-あ-白丸駅(能登白丸駅)-さ-き-九里川尻駅(能登川尻駅)-ゆ-め-松波駅-み-し-恋路駅-ゑ-鵜島駅-ひ-も-せ-南黒丸駅-鵜飼駅(能登鵜飼駅)-す-上戸駅-飯田駅(珠洲飯田駅)-ん-すず-珠洲駅-正院駅-蛸島駅
 N飯田駅(いいだえき)は、かつて石川県珠洲市上戸町北方にあったのと鉄道能登線の駅。かつての急行停車駅。珠洲市中心部に最も近い鉄道駅であったが、2005年の能登線の廃止に伴い廃駅となった。
 単式ホーム1面1線。駅舎はあるが無人駅である。駅舎は蛸島や正院に似ている。 ホームは駅舎や地平より高い位置にあるため階段で連絡している。本来この駅は長野県の飯田駅と区別して能登飯田駅となるべきであったが国鉄バス能登飯田駅との区別をつける必要もあったため珠洲飯田駅とした。それをのと鉄道転換時に飯田駅と改称したのである。 しかし、ホームの駅名標は珠洲飯田表記のままのものが残っていた。
Oん 春日隧道 96.3m 飯田駅側 施工:株式会社北都組
工期:1962年2月〜1963年9月
Oん 春日隧道内の勾配標 Pん 春日隧道 96.3m 珠洲駅側
Pん 春日隧道 96.3m 珠洲駅側 Pすず 珠洲隧道 174.2m
P春日橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1962年4月〜1963年12月
P春日橋梁。奥は、ん 春日隧道 P56.5qのキロポスト
Pすず 珠洲隧道 174.2m 飯田駅側 施工:株式会社北都組 工期:1962年3月〜1963年4月
Qすず 珠洲隧道 174.2m 珠洲駅側
Q飯田駅−珠洲駅間の廃線跡 Qすず 珠洲隧道 174.2m 珠洲駅側
Q飯田駅−珠洲駅間の橋梁の橋台跡
R飯田駅−珠洲駅間の廃線跡
 S珠洲駅(すずえき)は、石川県珠洲市野々江町にあったのと鉄道能登線の駅。2005年、能登線の廃止により廃駅となったが駅舎は一時保存され、珠洲市が待合室ならびに駅事務室を改装、奥能登すずなり市場と称し地元特産物を販売していたが、08年末に検車庫等の付随施設も買収、さらに翌09年初頭には駅舎ごと取り壊し、それ以降は多目的広場ならびに駐車場、また前述の市場に付随したバスターミナルを再建する予定である。
 S島式ホーム1面2線をもつ地上駅であった。側線や車庫が設置された主要駅で、夜間滞泊も設定されていた。
 S当時この駅は列車運行上の節目となる駅とされ、当駅発着または長時間停車する列車が数多く設定されていた。 なお駅舎からホームへは構内踏切で数本の線路を渡る。
 S駅舎は鉄道廃止まで平屋建ての直営駅で、駅裏に位置する石川県立飯田高等学校、ならびに珠洲市総合病院へ向かう人々のためにホームから直接出ることのできる出入り口が設けられ、廃駅後も駅を隔てる南北の往来に利便を図るため、毎日午前8時から午後5時までは徒歩による通り抜けが可能であった。
@珠洲駅−正院駅間の廃線跡 @珠洲駅−正院駅間の廃線跡
A珠洲駅−正院駅間の廃線跡
A珠洲駅−正院駅間の廃線跡
C珠洲駅−正院駅間の廃線跡 C金川橋橋梁
C金川橋橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1963年10月〜1963年11月
 D正院駅(しょういんえき)は、石川県珠洲市正院町正院にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。
D片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 小さなコンクリートの駅舎がある。蛸島駅のものとよく似ている。
DJR時代は委託の駅員が配置されていたがのと鉄道への転換と同時に無人駅となった。
E正院駅−蛸島駅間の廃線跡
F正院駅−蛸島駅間の廃線跡
G飯川橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1963年5月〜1963年11月
H正院駅−蛸島駅間の廃線跡
I正院駅−蛸島駅間の廃線跡
I正院駅−蛸島駅間の橋梁 J正院駅−蛸島駅間の橋梁
J正院駅−蛸島駅間の廃線跡 Jのと鉄道NT100形気動車
 J全長16m級の富士重工業製LE-DCで、能登線の移管に備え1987年から1988年にかけて13両(101〜113、以下1次車)を新製し、七尾線が移管されるとさらに13両(121〜133、以下2次車)を増備、計26両の大所帯となり、当時の私鉄の気動車の最大勢力となった。
 エンジンは日産ディーゼル製PE6HT03を搭載、変速装置は新潟鉄工所製TACN-22-1103Aが採用された。着雪防止のため全体に丸みを帯びたデザインとなり、能登線に連続するトンネルに備えて貫通路上部にヘッドライトを追加して設置するなど、路線の事情に対応した設計が目立つ。車内は中央に左右3組ずつボックスシートを配したセミクロスシートで、モケットの色は1次車がオレンジ、2次車が赤と異なっている。ステップにはヒーターを装備し、汚物処理装置のポンプ凍結防止のためトイレにもヒーターを備える。
 七尾線部分廃止時に3両が廃車され、その後も2004年までに5両が廃車されている。2005年の能登線廃止後はお座敷車両「やすらぎ」を含む5両を残して廃車され、ミャンマー国鉄に譲渡されている。その後、NT200形が3両追加増備されたのに伴って3両が廃車となり、最後まで残ったお座敷車両127も、予備車として残っていた1両とともに2006年12月31日付で廃車となりNT100形は廃形式となった。
 JNPO法人「のとエア・レール21」によって1両 (NT102) が動態保存され、蛸島 - 正院間の保線区間を定期的に走行している(土曜、日曜、夏休み期間中など)。現在も稼働状態にある唯一のNT100形である。
  J廃駅後の2006年8月には、珠洲市で開催されたボーイスカウトの全国大会「第14回日本ジャンボリー」において、列車と綱引きをして何人の力で動かせるかというプログラムに利用され、ホームに置かれていた気動車が、汽笛を鳴らしたりと往年の姿を思わせる復活をした。
 J現在駅舎はNPO法人「のとレールエア21」が管理しており、内部が一般公開されることがある。このほか、NT100形気動車が、駅から200mほど西側の築堤上に設置された「新蛸島駅」に保存され、ゴールデンウィークや夏休みなどを中心に走行している。この車両は、蛸島駅西側に新しい道路が建設されたことにより線路が分断されたため、新蛸島駅に移設されたものである。
 K蛸島駅(たこじまえき)は、石川県珠洲市正院町にあったのと鉄道能登線の駅(廃駅)。能登線の終着駅でもあった。能登線の廃線に伴い、2005年(平成17年)に廃止された。
 KJR時代は駅員が配置されていたが、のと鉄道への転換以来無人駅となっていた。また出札窓口が残っており、鉄道グッズが販売されていた。転換後、当駅以東への延伸が検討されたこともあるが、実現することはなかった。
 K単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅。線路は当駅から先ほんの数メートルほど伸びて終わっていた。線路の末端にあった車止めは廃止後撤去され、現在は穴水駅構内で使用されている。小さなコンクリート造りの駅舎は、珠洲市正院町にあったが、ホームは珠洲市正院町と同市蛸島町にまたがっていた。
廃線探索 のと鉄道能登線-1,2,3,4,5,6,7
戻る Copyright (C) 2008-2010 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 のと鉄道能登線(飯田−蛸島)