更新日時 2010年06月04日

| 草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)とは長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)を運営していた東急グループの鉄道事業者。 草津温泉は古くより名湯として知られていたが、明治終わりの頃になっても未だ交通機関が未発達であった。草軽電気鉄道はスイスの登山鉄道に着想を得て、草津と浅間山麓の高原地への輸送を目的に着工されることとなった。大正期の1914年 - 1926年に順次路線を開通させた。 建設費用をできるだけ抑えようとしたため、急曲線やスイッチバックがいくつも存在し、山岳地帯を走るにもかかわらず、トンネルは存在しなかった。それに加え、本来軌道敷に必要な砕石も敷かれない区間もあった。線路規格も極端に低いものであったことから、55.5kmを走破するのに2時間半 - 3時間を要した。 高原地には、嬬恋・北軽井沢等の途中駅があった。高原列車として親しまれ、1951年には日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』にも登場し、当時の様子を知ることができる。しかし、1935年に渋川 - 草津間などに国鉄バスが運行開始され、一般のバスの大型化が進むなど、草軽の輸送力は、他の輸送手段に比べてその差は歴然としており、乗客は次第に減少した。 さらに国鉄長野原線(現・JR吾妻線)の開通(長野原 - 草津温泉間は国鉄バスが旅客輸送を受けた)により利用者が国鉄側へシフト。さらに度重なる台風災害は草軽創設以来、鉄道施設に最大の被害をもたらし、第一次廃線として1960年に新軽井沢 - 上州三原間が廃止。採算性もとれないと判断されていた上州三原 - 草津温泉間も1962年には廃止になった。 草軽電気鉄道は、観光に大きな功績を残しただけではなく、沿線町村の活性化にも重要な役割を果たした。物流の面でも、この小さな鉄道が大きな役割を持っていたのである。温泉地である草津町には食料を中心にした物資を運び、長野原町、六合村、嬬恋村の3町村から産出される農産物や、白根山周辺に点在した鉱山からの硫黄鉱石などが草軽電鉄によって輸送されたのである。そのため、定期列車は貨客混合列車が普通であった(貨物列車も設定されていた)。第二次世界大戦が終盤を迎える頃、草軽電鉄の輸送はピークに達した。その頃、硫黄の産出もピークを迎え、当時の硫黄鉱山を経営していた「帝国硫黄工業」と連携して、多量の硫黄鉱石が搬出され、戦争へ出てゆく兵士の出立なども草軽電鉄が使われることが多かった。 |
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| 駅一覧 新軽井沢駅 - 旧道駅 - 旧軽井沢駅 - 三笠駅 - 鶴溜駅 - 小瀬温泉駅 - 長日向駅 - 国境平駅 - 二度上駅 - 栗平駅 - (臨)湯沢駅 - 北軽井沢駅 - 吾妻駅 - 小代駅 - 嬬恋駅 - 上州三原駅 - 東三原駅 - 万座温泉口駅 - 草津前口駅 - 谷所駅 - 草津温泉駅 |
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| @(旧)軽井沢駅舎記念館:新幹線開業に伴い取り壊された旧駅舎を再築し、1階に展示室、2階には歴史記念室があり、軽井沢駅旧1番線(旧上りホーム)にはEF63やED40等を展示しています。 | |
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| @草軽電鉄電気機関車:この機関車はデキ12形機関車といいアメリカのジェフリー社で大正9年に製作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。 大正4年7月より草軽軽便鉄道営業を開始、大正15年軽井沢〜草津間(55.5キロ)の電化が完成してから、昭和37年1月31日路線を廃止するまでの約35年の間、地元民の足として、また、旅行者・避暑客の良き案内人として親しまれた電気機関車である。 南側の一対の車輪は、同機関車が牽引した客車の車輪である。 |
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| @デキ12形(12・13・15 - 24) 1920年米国ジェフリー社製の電気機関車。東京電燈が発電所建設工事用として使用したものを電化の際に譲り受けた。譲受後、運転室および従輪を設置してL字形に改造し、集電装置をトロリーポールから独特の形状のパンタグラフに交換した。1959年に老朽化により廃車となった14を除き廃線時まで使用された。 | |
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| @息子とデキ12形の操縦席 | |
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| @18号線を渡った所に新軽井沢駅が有った。 | @右側の道路が旧国鉄との貨物積み替え線が有った場所。 |
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| A草軽電鉄廃線跡(新軽井沢駅−旧軽井沢駅間) | |
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| B草軽電鉄廃線跡(新軽井沢駅−旧軽井沢駅間) | |
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| C草軽電鉄の旧軽井沢駅跡と思われる。 | |
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| C草軽電鉄の旧軽井沢駅跡と思われる。 | C旧軽井沢駅写真(草津のどかな日々 宮田道一著書) |
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| D草軽電鉄廃線跡(旧軽井沢駅−三笠駅間) | |
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| D左側の一段高くなった道路が草軽電鉄廃線跡(旧軽井沢駅−三笠駅間) | |
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| E車輌進入禁止の標識がある画像右側がかつての線路跡で、この地点で線路は左側へ(画面では右方向)ほぼ直角にカーブしていた。 三笠駅周辺。 | |
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| F草軽電気鉄道のルートとは外れるが、重要文化財の旧三笠ホテル:旧三笠ホテルは、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良(1870〜1945)が創業しました。この山本直良という人は、有名な音楽家・山本直純の祖父に当たる人です。あの懐かしい森永製菓のTVコマーシャル『大きいことはいいことだ』や映画『男はつらいよ』の主題歌の作曲者としても有名であり、テレビ『オーケストラがやってきた』などでも活躍した山本直純さんののおじいちゃんなんですね。 | |
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| E草軽電鉄廃線跡(三笠駅− 鶴溜駅間)の三笠橋 | |
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| G鶴溜駅周辺のお猿さん | G鶴溜駅周辺 |
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| H草軽電鉄廃線跡(鶴溜駅間−小瀬温泉駅間) | I草軽電鉄廃線跡(鶴溜駅間−小瀬温泉駅間) |
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| I草軽電鉄廃線跡(鶴溜駅間−小瀬温泉駅間)右写真が廃線跡 | |
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| J小瀬温泉駅周辺? | K草軽電鉄廃線跡(小瀬温泉駅−長日向駅間) |
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| L長日向駅周辺? | L草軽電鉄廃線跡(長日向駅−国境平駅間) |
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| L草軽電鉄廃線跡(長日向駅−国境平駅間)軽井沢林道 | |
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| M草軽電鉄廃線跡(長日向駅−国境平駅間)軽井沢林道 | |
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| 昔の写真(草津のどかな日々 宮田道一著書) | |
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| M国境平駅周辺 | |
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| M草軽電鉄廃線跡(国境平駅−二度上駅間) | |
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| 数10万年以上前:この時代、吾妻側上流にかけて古嬬恋湖が広がっていました。また、吾妻川は千曲川水系に流れ込んでいました。遠くでは草津白根山が噴火していました。 数万〜2万年前:浅間山の前身である黒斑火山が成長を続けていた時代です。ちょうど富士山と同じような形をした成層火山で、標高は2,800m以上あったと推定されます。 |
約2万年前:大爆発により黒斑火山の山体が崩壊して、土石なだれが北麓と山麓に堆積しました。北麓の応桑地区でこのときの堆積物がつくった小山(流れ山)を見ることができます。また、吾妻川に流れ込み、泥流となって前橋付近まで達し、数メートルの厚さで堆積しています。 約2万年〜1.7万年前:山体崩壊により形成された馬蹄型のカルデラの中から粘性の高い溶岩が流れ出して、なだらかな火山が形成されました。これが仏岩火山です。小浅間山もこの時代につくられました。 |
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| 1.7万年〜1.1万年前:軽石の噴火や軽石に富む火砕流が頻繁に発生した時代です。なかでも1.4万年前と1.1万年前の2回にわたり、40億立法メートル(東京ドーム3200杯分)の火砕流が流出しました。火砕流は南麓、北麓に30m〜50m近い厚さで堆積したため、広大な軽石砂漠が出現しました。 1万年〜900万年前:この時代は前掛山が成長する時期にあたり、溶岩流や火砕流、降下火砕物(火山灰、軽石、火山弾など)を繰り返し噴出し、仏岩火山の上に新しい山体がつくられました。 |
天仁元年(1103年):天仁元年9月5日(新暦)に始まった噴火は当初軽石を噴火していましたが、続いて大規模な火砕流(追分火砕流)が発生し、北麓と南麓に広く堆積しました。このときの火砕流の堆積は、6億立方メートル(東京ドーム500杯分)に達しました。最後に舞台溶岩流を流出して噴火が終息しました。 天明3年(1783年):天明3年5月9日(新暦)に始まった噴火は、7月末より次第に激しさを増し、8月5日には火砕流が発生して山麓の土砂や沼地の水を取り込みながら土石なだれとなって、北麓の鎌原村を襲いました。その後吾妻川に流入して泥流となり、吾妻川、利根川沿川に洪水をもたらし犠牲者は1400名以上にのぼりました。 |
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| N草軽電鉄廃線跡(国境平駅−二度上駅間) | O草軽電鉄廃線跡(二度上駅−栗平駅間) |
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| O草軽電鉄廃線跡(二度上駅−栗平駅間)石垣の上が平らになった軌道跡が続く | |
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| P栗平駅周辺と思われる | Q草軽電鉄廃線跡(栗平駅−北軽井沢駅間) |
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| R北軽井沢駅右の写真と同じ構図 | R北軽井沢駅(草津のどかな日々 宮田道一著書) |
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| R旧草軽電鉄北軽井沢駅舎:草軽電鉄は、明治42年(1909年)、当時の草津町の有力者が集まり草津興業株式会社を設立し、大正4年(1915年)小型蒸気機関車により営業を開始した。大正13年(1924年)には動力を電化し、同15年(1926年)には草津温泉から新軽井沢駅間55.5qが全線開通した。昭和14年(1939年)には、社名を草軽電気鉄道株式会社と改め発展の一途をたどった。その後、台風被害や急速な自動車輸送により草軽電鉄は、昭和36年(1961年)廃止されることとなった。 開通当初は「地蔵川停留所」といわれていたが、昭和4年地蔵川地区内に法政大学村が開村され、大学村が駅舎を新築し草津電気鉄道株式会社に寄付した。名称は軽井沢の北側に位置していたので「北軽井沢駅」と呼ばれるようになった。正面玄関は和洋折衷形式で、欄間には法政大学を示す「H」の文字が白くデザインされている。 平成17年長野原町は草軽電鉄や北軽井沢の歴史を後世に伝えるべく改修工事を実施しその保存に努めた。 この「北軽井沢駅舎」はその土地を知る上で重要な建物であり、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当すると考えられ、平成18年11月29日国の登録文化財になった。 |
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| R北軽井沢駅舎が登録有形文化財として登録されたことを示すプレート。右写真駅舎内 | |
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| S大前駅(おおまええき)は、群馬県吾妻郡嬬恋村大前にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)吾妻線の駅で、同線の終着駅。ほとんどの列車がひとつ手前の万座・鹿沢口駅で折り返してしまうため、当駅には普通列車が5往復運行されるのみとなっている。駅の標高は840.4mで、群馬県内の普通鉄道の駅としては最西端である。 | |
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| S大前駅のキロポスト | @万座・鹿沢口駅(まんざ・かざわぐちえき) |
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| A台風で流された橋梁の橋台跡 | A(草津のどかな日々 宮田道一著書) |
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| A現在も残る草軽電鉄の吾妻川橋梁の橋台。台風による橋の流失が、鉄道線廃止に拍車をかけた。 | |
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| B地元のおばさんに聞いたらこの部分(家の前)を草軽電気鉄道が通っていたそうです。 | B地元のおばさんに聞いたら黒い車が止まっているところが上州三原駅跡。 |
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| C湯窪駅周辺と思われる。 | |
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| スイッチバックを登るデキ12(草津のどかな日々 宮田道一著書) | |
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| D草津前口駅周辺と思われる。 | |
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| E谷所駅周辺と思われる。 | |
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| F地元の人に聞いたら、ここが草津温泉駅跡。 | F草津温泉駅(草津のどかな日々 宮田道一著書) |
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| F地元の人に聞いたら、ここが草津温泉駅跡。 | F草津温泉駅跡から少し離れた小さな公園 |
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| F浅間台公園の記念碑(草軽電気鉄道、草津温泉駅跡)これは、草津温泉駅跡から移築されたらしい。 草津温泉駅は長野県軽井沢町と群馬県草津町を結ぶ草軽電気鐵道として、55.24qの群馬県側始発駅として、大正15年9月18日に開業し、発展途上にある草津温泉の表玄関として多数の浴客や地域民の乗降を主体都市各種建築資材食料など生活必需品の到着した懐かしい駅でもあった。 交通事情の変革により昭和37年1月3日同電鐵の廃線のため、37年間の営業を閉じた。 |
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| G現在の草津温泉駅(バスターミナル) | |
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| H草津温泉(くさつおんせん)とは、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことである。正確には温泉のあるところが町になったというべきであろう。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関にランクされ、名実ともに日本を代表する名泉の一つである。(草津温泉湯畑) | |
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| H湯畑(ゆばたけ) 温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲がロータリー状に整備されている。デザインは当時の町長のホテルに投宿した岡本太郎に依頼したもの。これによって昔からの貴重な囲いが撤去されてしまった。湯が滝のように湧き出る姿は、他の温泉地ではなかなか見ることが出来ない贅沢な光景である。夜間は、ライトアップして湯畑を演出する期間(催し)があり、観光客の目を楽しませている。最後の滝になって落ちる箇所は、昔は「大滝乃湯」(現在は町営温泉施設の名にされている)と呼ばれる露天の共同湯が、近年は昭和35年ころ取り壊されるまでは草津で唯一番台のある「滝の湯」があった。温泉街には熱の湯、 地蔵(じぞう)の湯・白旗(しらはた)の湯・煮川(にかわ)の湯、千代の湯など大小様々の源泉がある。ただし千代の湯源泉はは当時の町長(上記同人)時代に破壊され湯畑から引湯している。ちなみに、湯畑をはじめとして草津温泉の各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、それは藻の一種イデユコゴメであり、光合成をしている。生物学的にも興味深い。 | |
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| H泉質 :基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)。場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられる。酸性が強くpHは2前後である。この強酸性のために下流の品木ダムには酸性中和施設がある。
効能は、皮膚病、神経痛、糖尿病ほか多種多様。効能が戯れ歌になったり、恋の病以外にはすべて効くと言われたりする。源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほか(100余箇所)、ホテル等が所有している小源泉も多数存在する。 湯量は自噴するほど極めて豊富であり、湯温も50〜90度前後と高い。 |
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| H草津温泉の湯畑 | H草津温泉のセブンイレブンは景観を考慮して茶色 |
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| H無料の温泉に入って・・・ | H最後の締めは温泉卵ソフトクリーム \300 |
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