更新日時 2015年10月24日

 北陸本線旧線(浦本駅-直江津駅):明治時代に建設が開始、開通した糸魚川駅 - 直江津駅間は、フォッサマグナの西縁部にあたり、付近に存在する糸魚川静岡構造線の影響も相まって非常に複雑な地質条件を有する。このため、北陸本線は建設時から地すべり災害に悩まされてきた。この区間の特徴として、山塊が海側へと張り出しており、線路の路盤は山と集落の合間を縫って設置せざるを得なかったという点がある。このため多くの箇所で、山側の斜面を削って路盤を設置することとなるが、時にはその掘削が、新第三紀層の地すべり土塊の末端部を切り取ることにつながり、地すべり土塊を不安定化させ、土砂災害を誘発させることとなった。建設中の路盤は、至る所で隆起したり移動したりを繰り返したため、この区間の建設だけでも10年以上の歳月を要している。浦本駅 - 能生駅間を浦本トンネルと木浦トンネル、能生駅 - 名立駅間を頸城トンネル、名立駅間 - 有間川駅間を名立トンネル、各地すべり土塊の下をくぐるルートが設定された。建設は、多くの破砕帯に直面し難航を極めた。突発的な出水はおろか石油が湧き出した地点もあったという。頸城トンネルをはじめとしたトンネルの工事及び電化複線工事は1966年(昭和41年)3月に着工、1969年(昭和44年)9月29日に供用を開始し旧線は廃止された。
北陸本線旧線
浦本駅 - 能生駅 - 筒石駅 - 名立駅 - 有間川駅 - 谷浜駅 - 郷津駅 - 直江津駅
 @浦本駅(うらもとえき)は、新潟県糸魚川市大字間脇字砂田にある、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの駅である。
 @浦本駅構造は相対式ホーム2面2線をもつ高架駅である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。高架駅ではあるが築堤の上にホームはありその下にある駅舎から見ると高い位置である。ホームとの行き来は、下りホームについては改札を入ったところから階段とスロープが延びているほか、上りホームについては改札を入って左手に小さな道がありその道が線路の下を通ったのちスロープでホームにつながっている。ホームはいずれも高い位置にあるため、海から少し離れているにもかかわらず海が見える。JR西日本時代は糸魚川地域鉄道部管理の無人駅であり、えちごトキめき鉄道への移管後も引き続き無人駅となっている 。駅舎は古くからの木造平屋建てで、内部には駅事務室や待合所が設置されており、後者には作りつけの椅子が設置されている。出札口や改札も設けられているが1970年(昭和45年)から無人駅であるためカーテンで閉じられている。そのほか、上りホームには独立した待合所が一棟設けられている。また駅舎の外部にトイレが一棟設置されている。
 @ET122形気動車:えちごトキめき鉄道のトータルデザインは、建築家の川西康之が手掛けている。車両のエクステリア部や駅名標のカラーリングおよびデザインは、妙高はねうまラインでは妙高山のフレッシュグリーンと山並みをイメージした意匠が、日本海ひすいラインでは日本海のブルーと荒波をイメージした意匠が、それぞれ施される。JR西日本の協力を得て、同社のキハ122形気動車をベースに新造し、開業時に一般車両6両とイベント兼用車両2両の計8両を配備した。エクステリア部のカラーリングおよびデザインは一般車両は前掲のとおりだが、イベント兼用車両は長岡造形大学との共同制作による沿線をモチーフにしたデザイン2種が施されている。
@浦本駅のこの辺から北陸本線の旧線は分岐していた。
A北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
A北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。境界杭とコンクリートも橋梁が残る。
B北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
C北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
D北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
D北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。ムカデが威嚇している。
E北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。岩子平橋。
F北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
G北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
H北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。鬼舞崎橋。
I北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
J北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
K北陸本線旧線の浦本駅 - 能生駅間の廃線跡。
L北陸本線旧線の能生駅跡。
L北陸本線旧線の能生駅跡。
M北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。白山トンネル。L=336m。
N北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。白山トンネル。L=336m。
O北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
P北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。小泊トンネル。L=326m。
P北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。小泊トンネル。L=326m。
Q北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
Qトットコ岩。糸魚川地方の方言で「にわとり」を意味します。岩の上には祠が建てられています。
R北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。百川トンネル。L=161m。
R北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。百川トンネル。L=161m。
S北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
@北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
A北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
B北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
C北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
D北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
E北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
F北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
G北陸本線旧線の能生駅 - 筒石駅間の廃線跡。
H北陸本線旧線の筒石駅跡。
I北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。煉瓦の橋台が残る。
J北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。345.5kmキロポストが残る。
K北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。
L北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。煉瓦造りの橋台が残る。
L北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。煉瓦造りの橋台が残る。
M北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。上越市と糸魚川市の境目。
N北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。大抜トンネル。L=391m。
O北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。大抜トンネル。L=391m。
P北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。
Q北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。350kmのキロポストが転がっていた。
R北陸本線旧線の筒石駅 - 名立駅間の廃線跡。旧国鉄の境界杭が残る。
S北陸本線旧線の名立駅跡。
@北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
A北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
A北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
B北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
C北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
D北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。乳母岳トンネル。L=463m。
E北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。乳母岳トンネル。L=463m。
E北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。青木坂トンネル。L=321m。
F北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。青木坂トンネル。L=321m。
G北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
H北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。
I北陸本線旧線の名立駅 - 有間川駅間の廃線跡。ここで現役線と合流。
 J有間川駅(ありまがわえき)は、新潟県上越市大字有間川字平浜にある、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの駅である。
 J有間川駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。駅舎に接するホームに直江津方面の列車が発着し、反対側のホームには富山方面の列車が発着する。跨線橋はなく2つのホームは直江津方にある構内踏切(警報機・遮断機つき)で連絡している。えちごトキめき鉄道への移管後も、引き続き無人駅である。駅舎は木造平屋建てである。駅舎内の待合所には各種窓口が塞がれ掲示板となっているほか、ほとんど何もない。駅構内には旅客用のトイレは設置されていないほか、周辺にも公衆便所はない。ホームには駅舎のほかに構内踏切から直接外に出るものや富山方面ホームから直接駅舎とは反対側に出るものなど多数の出入口がある。駅舎から国道に出ると細い坂道をしばらく下らなければならないことから、これらの出入口の方が利便性は比較的高い。ホームはJR西日本・北陸本線複線化の際、海岸沿いに作られた。現在の駅からは、日本海とは国道を隔てて少し離れているが、駅施設は比較的高い位置にあり、駅舎出口から望むことができる。
 JET122形気動車:えちごトキめき鉄道のトータルデザインは、建築家の川西康之が手掛けている。車両のエクステリア部や駅名標のカラーリングおよびデザインは、妙高はねうまラインでは妙高山のフレッシュグリーンと山並みをイメージした意匠が、日本海ひすいラインでは日本海のブルーと荒波をイメージした意匠が、それぞれ施される。JR西日本の協力を得て、同社のキハ122形気動車をベースに新造し、開業時に一般車両6両とイベント兼用車両2両の計8両を配備した。エクステリア部のカラーリングおよびデザインは一般車両は前掲のとおりだが、イベント兼用車両は長岡造形大学との共同制作による沿線をモチーフにしたデザイン2種が施されている。
K北陸本線旧線の有間川駅 - 谷浜駅間の廃線跡。煉瓦造りの橋台が残る。
L北陸本線旧線の有間川駅 - 谷浜駅間の廃線跡。長浜トンネル。
M北陸本線旧線の有間川駅 - 谷浜駅間の廃線跡。長浜トンネル。
N北陸本線旧線の有間川駅 - 谷浜駅間の廃線跡。
 O谷浜駅(たにはまえき)は、新潟県上越市大字長浜字家の下にある、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの駅である。
 O谷浜駅構造は地上駅となっており、ホームは駅舎に接して単式1面1線、その奥に島式1面2線の計2面3線を有する。なお、両ホームは跨線橋で連絡している。この他、構内には側線が数本設けられている。1番のりば西側(糸魚川方)には、かつて貨物発着用ホームとして使用していた側線と車庫がある。えちごトキめき鉄道への移管後も引き続き無人駅である[2]。駅舎は古くからの木造平屋建てで、内部には待合室などがあるほか、待合所にはかつて使われていた出札口が残されている。トイレは男女別汲み取り式。
P北陸本線旧線の谷浜駅 - 郷津駅間の廃線跡。
 Q北陸本線旧線の郷津駅跡。郷津駅(ごうづえき)は、かつて新潟県直江津市(現・上越市)虫生岩戸に存在した日本国有鉄道(国鉄)北陸本線の駅(廃駅)である。北陸本線最東端の駅であったが、当駅周辺は地盤が脆弱な地すべり多発地帯であり、複線電化にあたっては谷浜 - 直江津間を長大トンネル(湯殿トンネル)で短絡することになり、海沿いの当駅は代替駅も設置されず廃止された。
 R北陸本線旧線の郷津駅 - 直江津駅間の廃線跡。旧郷津トンネルも国道用として拡幅改修されて現在も利用されている。
 S北陸本線旧線の郷津駅 - 直江津駅間の廃線跡。旧郷津トンネルも国道用として拡幅改修されて現在も利用されている。
@北陸本線旧線の郷津駅 - 直江津駅間の廃線跡。この辺で新線と合流していた。
@双頭レール。英国ダーリントン製鉄所で明治3年に製造された物です。
@D5175号車製造年月日:昭和13年3月4日、廃車年月日:昭和47年12月9日。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『糸魚川市・上越市』を掲載」
廃線探索 北陸本線旧線(浦本駅-直江津駅)