更新日時 2009年12月21日

廃線探索 三井東圧化学専用線-1
 三井化学茂原工場敷地までの間に、3系統のルートで旧国鉄と連絡した貨物の専用線が敷設されていた。
 1941年(昭和16年)に旧海軍茂原航空基地への引込線としての敷設が最初で、専用線の南方ルートは茂原駅の南側で房総東線から上り方向に東へ分岐北上し旧海軍茂原航空基地に接続していた。
 1957年(昭和32年)旧海軍茂原航空基地跡が東洋高圧工業茂原工場になり旧国鉄との専用線が西方ルートの現在の外房線経塚高架橋の先、上り方向東へ分岐する専用線が新しく設けられた。
 1968年(昭和48年)10月に東洋高圧工業は合併により三井東圧化学となった。
 房総東線(現在の外房線)の貨物列車は土気-大網間は勾配がきつく急勾配の土気−大網間を避けるために貨物列車が、大網−成東−佐倉と東金線、総武本線へと迂回していた。1972年(昭和47)の大網駅のスイッチバック解消以後も短絡線が残され貨物の多くは三井東圧の専用線を発着していた。
 1972年に房総東線が電化され外房線となり、茂原市内の外房線の高架化の計画により、茂原駅の客貨分離が決定された。1986年(昭和61年)に本納〜新茂原間に新茂原貨物駅が開設され、同時に三井東圧専用線の旧国鉄との接続は北方ルートとなる。新茂原貨物駅の発着線南端から外房線に並行して南下した後、1つ目の陸橋をくぐるあたりで東にカーブし、阿久川の東岸沿いに三井東圧化学へと至る専用線が新しく敷設された。
 三井東圧化学は1997年(平成9年)10月1日三井石油化学と合併し三井化学となる。1996年3月16日貨物列車の設定及び専用線発着コンテナ貨物・専用線発着車扱貨物の取扱を廃止。同時に三井東圧化学専用線が廃止。1997年(平成9年)3月 新茂原駅での貨物取扱廃止に伴い、大網駅短絡線廃止した。
@JR茂原駅 東口 @JR茂原駅 東口駅前ロータリー
@JR茂原駅 東口 AJR茂原駅 東口駅前通り
A商店の入口に枕木を利用した物が・・・ A中央分離帯が・・・何かの名残か?
B交差点を通過 B交差点を通過
B右の道は旧道・・・もしかしたら右が廃線跡か? C茂原中学校前
C茂原中学校前 C千葉県立茂原樟陽高等学校
D阿久川 D富士見橋
D富士見橋 D阿久川
D茂原樟陽高校から富士見橋を見る Dここも茂原樟陽高校敷地?
D茂原樟陽高校を見る(富士見橋) D富士見橋
E橋名不明 E三井化学方向を見る
Eこの橋は廃線跡か? E廃線跡は遊歩道になっている
F廃線前は踏切が有ったかも・・・ F木々が生長し時間の経過が思われる
F廃線跡 G萩原交通公園
 G8620形テンダー蒸気機関車(愛称名ハチロク)は、大正3年から製造が開始され、当初の国内SL規格に比べて軽量で牽引力が強く、特に曲線走行の性能も良く、燃料消費も少なく極めて経済性に優れており、以降17年間にわたり普及活躍した。
 千葉には新小岩機関区をはじめ、千葉・佐倉・成田・館山・勝浦の各機関区に合計70両が配備され、管内機関車数110両の約70%を占めた。
Gポイントの切り替えも残っている Gまさか、こんなカーブは曲がれない・・・(笑)
 Gこの蒸気機関車は大正11年に製造された車輌で、総武本線・成田・房総線で運行されていたが、昭和44年に福井機関区へ転属となり越美北線で昭和46年7月の廃車になるまで活躍した。
 廃車となったこの車輌は同年9月に福井より転送され現在地に保存されました。
G曲線走行の性能が良くても・・・(笑) G交通公園前の廃線跡
Hマンションが見える Hこの部分は道路が横断?右は行き止まり・・・
Iここから大きく左へカーブして行く I右側は踏切へ
I左へカーブし、外房線へ合流して行く I境界杭・・・東の文字が見える
東洋工業の東の字か?
Iここで外房線と合流
I外房線と平行して廃線跡が続く
J左側に元踏切跡の枕木が・・・ Jこの辺から高架橋になって行く
K高架橋 K経塚高架橋銘板
L高架橋脇を廃線跡が続く
Mこの辺から左へ大きくカーブして行く M元踏切跡か?境界杭が・・・
M大きく左へカーブして行く
O高架橋沿いに廃線跡は続く
P高架橋沿いに廃線跡は続く
Q高架橋沿いに廃線跡は続く
R高架橋沿いに廃線跡は続く Rこの三角地帯は引込線跡か?
R現在JRの保線区になっている
S茂原駅前に到着  廃線探索 三井東圧化学専用線-2へ続く
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