更新日時 2009年12月31日

| 山梨交通電車線(やまなしこうつうでんしゃせん)は、山梨県甲府市の甲府駅前駅から同県南巨摩郡増穂町の甲斐青柳駅までを結んでいた山梨交通の鉄道路線である。地元では親しみを込めて「ボロ電」とも呼ばれていた。甲府駅前-荒川橋間は併用軌道となっていた。1953年以前は市内のルートが一部異なっていたため、路線距離は20.3km、駅数は30駅であった。また路線名は当初の路線計画の名残で、甲府駅前-警察署前間が「市内線」、警察署前-相生町間が「錦町線」、相生町より先が「西部線」と呼ばれていたが、運行系統は1本の路線で書類上だけの区別であった。国鉄甲府駅の駅前広場にあった甲府駅前駅から併用軌道で市内中心部を抜けた後、市街地南西端の荒川橋で荒川を越えて専用軌道に入り、そこから峡西地域の平坦部を逆L字形に走り抜けて増穂町の中心部にある甲斐青柳駅に至っていた郊外型路面電車であった。全線20.2kmを所要時間55分程で走り、30分間隔で運行した。 | |
| 駅一覧 甲府駅前 - 警察署前 - 相生町 - 泉町 - 第二高校前 - 寿町 - 荒川橋 - 上石田 - 貢川 - 徳行 - 榎 - 玉幡 - 農林高校前 - 今諏訪 - 西野 - 在家塚 - 甲斐飯野 - 倉庫町 - 桃園 - 巨摩高校前 - 小笠原 - 小笠原下町 - 甲斐大井 - 古市場 - 荊沢 - 長沢新町 - 長沢 - 甲斐青柳 |
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| @甲斐青柳駅跡。現在はローソンの駐車場になっている。専用軌道の跡地である「廃軌道」が増穂町の町役場へ通じる道にぶつかり、唐突に行き止まりになった先が駅跡である。かつては駅舎が残り、山梨交通の乗合自動車の転回場が設けられていたが、現在では駅舎・転回場ともに撤去され、手前側がコンビニ、奥が町民会館となって街並みの一部と化し、駅のにおいはまったくない。 | |
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| @甲斐青柳駅跡。 | |
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| @甲斐青柳駅跡から真っ直ぐに廃線跡が続く。 | |
| A長沢駅 - 甲斐青柳駅間の廃線跡。 | |
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| B旧長沢駅跡。左側の広い部分が駅跡。地元のおばさんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上にあったが、附近には駅跡に酷似したくぼみがいくつもあり、分かりづらいものとなっている。また長沢の市街も西側に広がり、郊外との境目であった当駅周辺の景観も一変している。 | |
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| C長沢駅 - 甲斐青柳駅間の廃線跡。 | |
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| D長沢駅 - 甲斐青柳駅間の廃線跡。 | |
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| E昔は利根川は天井川で有ったため、川の下を潜るトンネルが有った。現在は埋め戻されている。 | |
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| E利根川は昔は天井川で有ったが、整備が進み現在はこの様な状況である。 | |
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| Eモハ7形:利根川公園に保存されている旧モハ7形の江ノ島電鉄8011948年(昭和23年)に汽車製造会社東京支店で製造された全長13.8mの半鋼製2軸ボギー車。7・8の2両が製造された。側面両端に乗務員用扉を設け、その隣に片開き扉があり、扉間には12枚の上段固定下段上昇窓を配していた。その他の構造はモハ1形に準じる。 | |
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| E廃止後は上田丸子電鉄(現・上田交通)に譲渡されモハ2340形となったのち、同社の丸子線が廃止された1971年(昭和46年)に江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)に譲渡され、同社の800形となった。「チョコ電」として江ノ島・鎌倉の人々に親しまれながらも老朽化に伴い1986年4月に廃車された。801は同年6月故郷に里帰り、3扉化された江ノ電での晩年の姿のまま2006年現在も南巨摩郡増穂町の利根川公園で保存されている。 | |
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| Eモハ7形の車内。 | Eモハ7形の運転台。 |
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| F昔は利根川は天井川で有ったため、川の下を潜るトンネルが有った。現在は埋め戻されている。 | |
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| F旧長沢新町駅跡。草原の部分の電柱から手前側に駅があった。駅隣に住んでいるおばさんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、上行寺の附近にあった。駅跡にはくぼみもなく、駅の痕跡は何もない。駅の南にあった利根川をくぐる隧道は、後に利根川が改修されて天井川から通常の川となったため取り壊され、現在は見ることが出来ない。なお、利根川改修の際に北側の河川敷に「利根川公園」が開設され、江ノ島電鉄で廃車された後に里帰りした当線のモハ8が静態保存されている。 | |
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| F薬王山。上行寺。 | G荊沢駅 - 長沢新町駅間の廃線跡。 |
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| G荊沢駅 - 長沢新町駅間の廃線跡。 | |
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| G荊沢駅 - 長沢新町駅間の廃線跡。長沢川。長沢橋。 | |
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| H荊沢駅 - 長沢新町駅間の廃線跡。坪川を渡る。 | |
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| I荊沢駅 - 長沢新町駅間の廃線跡。 | |
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| J旧荊沢駅跡周辺。地元のお婆さんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、街道の「荊沢」交差点から東西に走る道路との交差部、高原病院のある附近にあった。附近には駅の跡を示すくぼみもなく、駅の痕跡を見出すことは難しい。 | |
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| K古市場駅 - 荊沢駅間廃線跡。 | |
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| L駐車場部分が旧古市場駅跡。地元のおじさんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、月星商事山梨営業所の前周辺が駅のあった場所である。駅のあった附近はくぼみとなっているが、駐車場になっていて分かりづらい。 | |
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| M甲斐大井駅 - 古市場駅間の廃線跡。 | |
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| Nこの辺が旧甲斐大井駅跡の様な気がするが確証が無い。小笠原集落を離れ南に下っていったところ、櫛形町と甲西町(双方ともに現在南アルプス市)の境目附近にあった駅で、1面1線の棒線駅であった。1930年の開業時、貢川駅からここまでが開業区間であった。 | |
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| O旧小笠原下町駅跡周辺。右写真の正面部分が駅跡らしい。地元のおじさんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、小笠原駅から続いて来た歩道が突然途切れる場所が駅の跡地である。小笠原駅と同じく、峡西病院の南東部に当たる場所という目標物があるため、場所の特定はさほど難しくない。 | |
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| O山寺八幡神社。山寺八幡神社のシラカシ林:昭和54年2月15日指定:神社南西部を中心にして、シラカシの群生がみられる。目通り幹囲3.4m、樹高23mを筆頭に35本が群生している。暖地性植物カシ林は、盆地周辺が北限で植物分類地理学上貴重である。 | |
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| P旧小笠原駅跡周辺。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、役場のすぐそばにあったため、場所の特定はさほど難しくない。現在櫛形町の町役場が合併によって変更された南アルプス市の市役所の南側が駅のあった場所である。 | |
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| Q巨摩高校前駅 - 小笠原駅間の廃線跡。道路のアンダーパスは昔から有ったのか? | |
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| Q巨摩高校前駅 - 小笠原駅間の廃線跡。滝沢川を渡る桜橋。滝沢川橋梁はそのまま再利用されることはなく、新たに道路橋として架け替えられ、現在は「桜橋」という名になっている。 | |
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| R専用軌道の跡地である「廃軌道」上、県立巨摩高校の南側を通る東西の道と交わる南側、明穂変電所の近くにあった。桃園駅と同じように道がやや変形しているほか、駅の北西に建っていた鉄塔が現在も使用されているなど、細かいところで当時の面影が残っている。 | |
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| S桃園駅 - 巨摩高校前駅間の廃線跡。 | |
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| @旧桃園駅跡。桃園神社。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、桃園神社へ至る東西の道と交わる手前に駅が存在した。ここは現在も道がやや変形しており、今諏訪駅以降の駅では比較的分かりやすい方である。 | |
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| A旧倉庫町駅跡周辺か?巨摩共立病院東交差点。東へ行くと国道52号線倉庫町交差点。専用軌道の跡地である「廃軌道」上、「櫛形町桃園」交差点周辺に駅が存在した。しかしやはり明確な痕跡はなく分かりづらい。周辺は住宅地化し、かつての町はずれじみた雰囲気はなくなっている。 | |
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| B甲斐飯野駅 - 倉庫町駅間の廃線跡。 | |
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| C甲斐飯野駅 - 倉庫町駅間の廃線跡。 | |
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| D旧甲斐飯野駅跡周辺。駐車場の部分が駅跡らしい。地元のおじさんの証言。専用軌道の跡地である「廃軌道」上に跡が存在する。駅の直前、「在家塚」交差点で4車線の道路が終わり、また前のように2車線の道に戻ってすぐのところ、駐在所がある辺りが駅であった。 | |
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| E在家塚駅 - 甲斐飯野駅間の廃線跡。 | |
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| F旧在家塚駅跡。駅は専用軌道の跡地である「廃軌道」上、中部横断自動車道を越えた少し先にあった。しかし西野駅同様、「廃軌道」自体が4車線の大通りになってしまったため、痕跡は一切残されていない。 | |
| 山梨交通電車線-2へ続く | |
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