更新日時 2010年12月30日

| 佐賀線(さがせん)は、佐賀県佐賀市の佐賀駅と福岡県みやま市(廃線時:山門郡瀬高町)の瀬高駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法に基づき第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。矢部川は現在の瀬高、隈府は菊池市であり、さらに豊肥本線の肥後大津へ、隈府からは分岐線が久大本線の豊後森に至るという壮大な計画であった。矢部川からは東肥鉄道(後に九州肥筑鉄道と改称)が熊本県南関までを開業、分岐線も1937年に国鉄宮原線として豊後森 - 肥後小国間が一部開業したが、いずれも廃止されている。また、佐賀線の開業前に矢部川 - 柳河間で1911年より軽便鉄道の柳河軌道が営業を行っていたが、佐賀線の開業に際して廃止補償を受ける形で、矢部川 - 筑後柳河間開業後の1932年2月21日に廃線となった。当線は諸富 - 筑後若津間で筑後川を、筑後若津 - 筑後大川間で花宗川を渡ることになったが、通常の橋では大型船舶の航行に支障をきたすおそれがあるため、筑後川に架かる筑後若津橋梁(通称筑後川昇開橋・全長506m)は、列車通過時以外は橋桁中央部を23m上昇させることができる可動橋(昇開橋)とし、花宗川に架かる花宗川橋梁(全長64m)は橋桁を両側に75度跳ね上げることのできる跳開橋(跳ね橋)とした。佐賀線廃止後、花宗川橋梁は撤去されたが、筑後川橋梁は保存され、国の重要文化財に指定されている。 | |
| 駅一覧 佐賀駅 - 東佐賀駅 - 南佐賀駅 - 光法駅 - 諸富駅 - (筑後川信号場) - 筑後若津駅 - 筑後大川駅 - 東大川駅 - 筑後柳河駅 - 百町駅 - 三橋駅 - 瀬高駅 |
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| @佐賀駅(さがえき)は、佐賀県佐賀市駅前中央1丁目11番10号に所在する九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。佐賀県の県庁所在地の代表駅で1日に発着する列車は長崎本線・佐世保線・唐津線合計190本。以前は佐賀線という路線が存在した。 | |
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| @島式ホーム2面5線を有する(1番線の外側に機回し線がある)複線高架駅で高架下に駅舎・コンコースがある。1番線の鳥栖方には切り込み線があるが、これはかつて佐賀線(1987年廃止)の列車が発着していた名残である。 | |
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| @1番線の鳥栖方には切り込み線があるが、これはかつて佐賀線(1987年廃止)の列車が発着していた名残である。一部であるが佐賀線の高架も残っている。運転扱い上は、1番が機回し線、2番が1番のりば、4番が2番のりば(下り本線)、5番が3番のりば、6番が4番のりば(上り本線)となっており、3番はかつての佐賀線用切り欠きホーム(線路は撤去済)で欠番となっている。なお、旧国鉄の高架新駅誕生当初の番号が現在も使用されている。 | |
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| A長崎本線と佐賀線の分岐部。佐賀線は廃線時は高架だったようだ。 | |
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| A佐賀線の分岐後は高架は一部残っているが、枕木線路は取り外されているようだ。 | |
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| A佐賀線の高架が残っているのは分岐して直ぐの所まで。 | |
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| A佐賀銀行事務センター方向へ延びていた。 | Aこの橋台は引き込み線跡? |
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| A佐賀銀行事務センター脇を通っていた。 | Bブロック塀の細い土地の部分が廃線跡。 |
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| B佐賀駅 - 東佐賀駅間に残る旧国鉄時代の境界杭。廃線跡の証しである。 | |
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| C東佐賀駅(ひがしさがえき)は、かつて佐賀県佐賀市東佐賀町にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。 | |
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| C東佐賀駅の駅跡は国道を跨ぐ築堤の途中にホームがあり、駅舎は築堤の下にあった。廃線後は築堤は取り除かれ、道路になっていて記念碑などは建てられていない。 | |
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| C佐賀駅 - 南佐賀駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| D佐賀駅 - 南佐賀駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| D曙橋。佐賀駅 - 南佐賀駅間の廃線跡。 | D都市計画道路に架かる「佐賀線偲橋」(付近を流れる八田江川に架かる)の欄干に蒸気機関車の彫刻が施されている。 |
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| E南佐賀東交差点。 | E徐福サイクルロード入口。 |
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| E南佐賀駅(みなみさがえき)は、かつて佐賀県佐賀市北川副町大字木原(現・南佐賀二丁目2番)にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。 | |
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| E南佐賀駅は廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅。佐賀駅方に貨物・保線用の引込み線があり、国鉄無線の中継所があった。 | |
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| E南佐賀駅は廃線後は、当駅から筑後川昇開橋まで、徐福サイクルロードとして整備されている。 | |
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| Eまた、ホームや、レールなどが残されているが、駅舎だけは当時からの建物を改築し、内部はトイレになっている。 | |
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| F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| G光法駅(みつのりえき)は、かつて佐賀県佐賀市北川副町大字光法にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。 | |
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| G光法駅は廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。 | |
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| H光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。 | |
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| H光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線の大江湖橋。 | |
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| I国道208号線を渡る旧国鉄佐賀線のふれあい橋。 | |
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| I光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線のふれあい橋。 | |
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| J獅子の広場。 | Jふるさとちびっこギャラリー |
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| J諸富駅(もろとみえき)は、かつて佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。地名は「もろどみ」だったが、駅名は「もろとみ」であった。 | |
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| J諸富駅は廃止時は相対式ホーム1面2線を持つ、列車行き違い可能駅であったが、運転要員のみが配置され、営業上は無人駅であった。また、多数の側線を有した。廃線後は、町営の体育館や産業振興会館になっている。ホームなどの当時の設備は残っていない。また、1970年代頃まで、瀬高駅方に、味の素九州工場の引込み線があった。 | |
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| K筑後川信号場(ちくごがわしんごうじょう)は、かつて福岡県大川市大字向島にあった、日本国有鉄道佐賀線の信号場(廃止)である。一般にある列車を行き違いさせるための施設ではなく、昇開橋の橋げたを制御するための施設である。係員は、福岡県側から渡って中央部に行き来していた。 | |
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| K筑後川昇開橋は平成21年10月26日から改修工事のため通行止めだった。もう少し早く来ていれば。 | |
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| K佐賀線は昭和6年9月、瀬高−柳川間が開通したのに始まり、昭和10年に筑後大川−佐賀間が開通して全線開通となった。以後、廃線となった昭和62年まで長崎線(佐賀駅)と鹿児島線(高瀬駅)を結ぶ短縮路線として通勤、通学に利用されたほか、産業面では工場の原料輸送や家具の流通、あるいは観光の足として活躍されてきた。 | |
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| K筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、Chikugo River Lift bridge)は、日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町(廃線時:佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。但し、「筑後川昇開橋」は、あくまでも通称名で、正式名称は筑後若津橋梁(ちくごわかつきょうりょう)である。重要文化財及び機械遺産に指定されている。 | |
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| K筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935年(昭和10年)竣工、同年5月25日に開業した。舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。本橋の設計施行に中心的役割を果たしたのは、鉄道技師の釘宮磐(鉄道省熊本建設事務所長)であった。昇開橋の仕組みそのものは、坂本種芳が考えた。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。また、この筑後川昇開橋の構造を解説するために精巧な模型が交通博物館(閉館)及び鉄道博物館(埼玉県さいたま市)で展示されている。ちなみに、昇開橋の精巧模型は1937年にフランス・パリで行われたパリ万博に出展されたものである。 | |
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| K建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。 | |
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| K国鉄の民営化を前に1987年3月27日限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討されたが、地元では橋存続の要望が強く、1996年(平成8年)に遊歩道として復活し、現在では大川市と諸富町のシンボル的存在である。また、橋の両端には公園が整備されていて、現役当時の橋の姿のモニュメントや佐賀線に使われていた3灯式信号機や警報機などが保存されている。 | |
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| K2003年(平成15年)に、国の重要文化財に指定され、2007年(平成19年)に日本機械学会より機械遺産に認定された。ちなみに、筑後川昇開橋から大川方面に1kmほど進んだところに花宗川があり、佐賀線が廃止されるまでそこには跳開橋(跳ね橋)が設けられていたが、廃止から数年後に撤去され面影も残っていない。 | |
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