更新日時 2010年01月19日
神永喜八、片寄平蔵らにより発見された明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸線に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。昭和40年代以降ともなると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退している。 | |
明治42年(1909)5月31日 入山採炭(株)の専用線として開通 軌間1067mm 延長0.76km 昭和42年(1967)6月30日 廃止 |
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@常磐線からこの部分で日渡線と小野田線が別れていた。 | |
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A道路部分が常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡。 | |
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A道路部分が常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡。 | |
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B道路橋の宝橋、これが日渡線の橋梁かと思ったが・・・ | |
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B宝橋の脇に日渡線の煉瓦造りの橋台が残っている。 | |
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C常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡は道路に転用されている。 | |
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C道路を横断し軌道跡が続く。 | C常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡。 |
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D常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡。 | D緑の柵の柱はレールの古材を利用している。 |
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D道路脇の空き地が常磐炭鉱専用鉄道日渡線の廃線跡。 | |
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Dここから先は常磐共同ガス敷地内へ。 | |
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E常磐共同ガス外周部道路。 | E常磐共同ガス敷地内。 |
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E常磐共同ガス外周部道路。 | E常磐共同ガス敷地内。 |
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