更新日時 2010年01月24日

 神永喜八、片寄平蔵らにより発見された明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸線に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。昭和40年代以降ともなると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退している。
明治32年(1899年)綴駅(内郷)〜内郷村宮字峰根 2.91q開設
昭和34年(1959年)年1月 廃止
綴駅(内郷駅)跨線橋建設記念碑。 @常磐炭鉱専用線内郷線の橋台跡。
@常磐炭鉱専用線内郷線の新川に架かる橋梁の橋台跡。
@榎下橋から県道66号線方面へ。ここから専用鉄道と電車軌道が平行して走る。
@内郷線の廃線跡は県道66号線に転用。 @内郷線の廃線跡は県道66号線に転用。
A内郷線の廃線跡は県道66号線に転用。 A県道66号線から右へ分岐。
B内郷線の廃線跡。 B金坂橋。
B宮川。 B金坂橋。
B宮川の金坂橋脇に残る橋台。金坂橋より奥の橋台が電車軌道で金坂橋側の橋台が専用鉄道の橋台。
B橋台の位置から駐車場が廃線跡。電車軌道の金坂駅周辺。
C常磐炭鉱 住吉坑 水中選炭場跡。
C石炭積込場跡は現在駐車場として利用されている。
D常磐炭鉱専用鉄道内郷線廃線跡。右は内郷第二中学校グランド。電車軌道のグランド前駅周辺。
E左は内郷第二中学校グランド。 E右が電車軌道で左が専用鉄道。
E専用鉄道(1,067mm)と電車軌道(762mm)の幅の差がハッキリ解る。
F常磐炭鉱専用鉄道・電車軌道の廃線跡。
G常磐炭鉱専用鉄道の橋台跡。電車軌道の橋台は撤去されたのか?
H軌道は右側の民家辺りを通っていたと思われる。 Hこの川には橋台跡は見つからなかった。
I常磐炭鉱専用鉄道が通っていたと思われる場所だが、この橋は架け替えられたようだ。
J常磐炭鉱専用鉄道内郷線の内郷停車場付近。煉瓦造りの遺構が残っている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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