更新日時 2012年11月06日

 庄内交通湯野浜線は、山形県鶴岡市の鶴岡駅から湯野浜温泉駅までを結んでいた庄内交通の鉄道路線である。最盛期は善宝寺への参拝客や湯野浜温泉への観光客の輸送、庄内米の貨物輸送等で活況を呈したが、モータリゼーションの波には勝てず1975年4月1日をもって廃止された。現在、車両の大半が廃車され、辛うじて保存されている1両も荒廃が進んでいる。また、善宝寺鉄道記念館の閉館および庄内クラフトステーションの移転により、湯野浜線に関する資料も散逸している。路線の大半は水田地帯を走っていた。そのため、廃止後に行われた圃場整備事業により、善宝寺駅あたりまでの廃線跡はほとんど消えた。現在は駅跡付近に若干残っている程度である。庄内砂丘付近の善宝寺 - 湯野浜温泉間の線路跡はサイクリングロードとなっている。
庄内交通湯野浜線(廃線)
鶴岡駅 - 京田駅 - 安丹駅 - 北大山駅 - 善宝寺駅 - 七窪駅 - 湯野浜温泉駅
 @鶴岡駅(つるおかえき)は、山形県鶴岡市末広町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線の駅である。鶴岡および出羽三山への玄関口であるとして、2002年(平成14年)、東北の駅百選に選定された。
 @鶴岡駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。かつては庄内交通の湯野浜線が乗り入れており、現在の跨線橋の2・3番線側の先に湯野浜線ホームへの跨線橋が延びていた。また、駅東側(酒田・秋田側)には電車庫があった。現在ホーム跡には庄内丸と書かれた建物が建っている。
@庄内交通湯野浜線の鶴岡駅があった場所。
A庄内交通湯野浜線の鶴岡駅 - 京田駅間の廃線跡。
 B京田駅(きょうでんえき)は、山形県鶴岡市高田にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。駅構造は 単式ホームで1面1線の地上駅だった。 一般名称は駅であるが、厳密には停留所である。現在は周辺にわずかに路盤が残っている程度である。
B京田駅跡の近くには阿部酒店がありその店内に京田駅の写真が飾られている。
 C安丹駅(あんたんえき)は、山形県鶴岡市安丹にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。駅構造は島式ホームで1面2線の列車交換可能な地上駅だった。 一般名称は駅であるが、厳密には停留所である。 晩年は列車交換もなく、無人駅となっていた。廃止後すぐに区画整理が行われ、現在は跡形もない。駅は安丹公民館付近にあったと思われる。
D庄内交通湯野浜線の安丹駅 - 北大山駅間の廃線跡。畦道は整備されているため廃線跡ではない。
 E北大山駅(きたおおやまえき)は、山形県鶴岡市大山にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。駅構造は 単式ホームで1面1線の地上駅だった。 単式ホームの駅だったが、駅舎もあり有人駅だった。
F庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。鶴岡第五中の先から廃線跡が続く。
G庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。
H庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。
I庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。
J庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。
 K庄内交通湯野浜線の北大山駅 - 善宝寺駅間の廃線跡。善宝寺駅の鶴岡方の農業倉庫沿いに側線があり、米や肥料等の貨物取り扱いをしていた。
 L善宝寺駅(ぜんぽうじえき)は、山形県鶴岡市大字下川にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。
 L善宝寺駅構造は相対式ホームで2面2線の地上駅だった。列車交換できる構造だが、営業末期は全列車併合閉塞となり、電車は全て駅舎側のホームに発着していた。駅舎は近くにある善宝寺をモデルとしたもので、特徴的な駅舎だった。
 L善宝寺鉄道記念館は、湯野浜線廃止後、当駅に設けられていた鉄道保存展示施設である。当駅の駅舎を利用し湯野浜線の資料を展示していたほか、毎年5月5日には鉄道模型大運転会を開催していた。また構内には庄内交通モハ3形と 蒸気機関車の動輪のみ保存されていた。しかし、駅舎や施設の老朽化及び入場者が減少したために閉館となった。現在も施設や車両は残されているが、手入れがなされていないため、荒廃が進んでいる。
 Lモハ1、3、5については1929年(昭和4年)日本車輌へ発注時はそれぞれモハ1、2、3とし、その内モハ1、2は1929年(昭和4年)11月頃完成、受領した。開業時はこの2両で運行したが、まもなくモハ2号のモーターが連続故障を起こした。その後モハ2号はモーターを交換して運用を再開したが、今度はモハ2号ばかりが線路上に石、材木等が置かれるいたずらに遭い、乗務員たちはモハ2号に乗ることを極度に嫌うようになった。そこで会社は悪いイメージを払拭する意味合いで車両番号を変えることとし、1930年(昭和5年)5月完成のモハ3の車番をそのままで、モハ2をモハ5として全車両を奇数番号で統一した。モハ1、3、5の後に入線したモハ7、デハ101、103もこれに従っているが、モハ8のみ9が「苦」に通じるとして末広がりを意味する8番を与えられた。(善宝寺鉄道記念館に保存されているモハ3)
L庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
M庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
N庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
O庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
P庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
Q庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
R庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
S庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
@庄内交通湯野浜線の善宝寺駅 - 七窪駅間の廃線跡。
 A庄内交通湯野浜線の七窪駅(ななくぼえき)は、山形県鶴岡市下川にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。駅構造は島式ホームで1面2線の地上駅だった。かつて駅には電車庫があったが、晩年には撤去された。
B庄内交通湯野浜線の七窪駅 - 湯野浜温泉駅間の廃線跡。
C庄内交通湯野浜線の七窪駅 - 湯野浜温泉駅間の廃線跡。
D庄内交通湯野浜線の七窪駅 - 湯野浜温泉駅間の廃線跡。
 E湯野浜温泉駅(ゆのはまおんせんえき)は、山形県鶴岡市湯野浜にあった、庄内交通湯野浜線の駅(廃駅)である。湯野浜線廃止に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃止された。駅構造は島式ホームで1面2線の地上駅だった。駅舎はコンクリート製だった。貨物側線があった。駅跡は現在湯野浜振興センター「コスパ」が建っている。善宝寺駅までの線路跡は、サイクリングロードになっている。
 E湯野浜温泉駅跡地:鶴岡と湯野浜間の沿線群集の期待と熱気の中、颯爽と花電車で登場し運行を開始した電車は、その後数え切れない人々の旅の思いを運び、夏には親子連れの行楽で賑わい、朝夕の通勤通学や行商のあば達等を乗せ、ある時は貨物を牽引して庄内平野の春夏秋冬を休まず走り続けてきた。そして昭和50年の春3月、再び車体を花いっぱいに着飾って、駅頭に別れを惜しむ人々が溢れる中を、最後の運転を行って姿を消していった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 庄内交通湯野浜線