廃線探索 豊橋鉄道田口線

更新日時 2019年02月13日

 豊橋鉄道田口線は、愛知県新城市(廃線当時は南設楽郡鳳来町)の本長篠駅(開業時は鳳来寺口駅)から北設楽郡設楽町の三河田口駅までを結んでいた豊橋鉄道の鉄道路線である。敷設の経緯などから1067mmの森林鉄道とも呼ばれた。木材輸送を目的として1929年(昭和4年)に一部区間が、1932年(昭和7年)に全線が開業し、1968年(昭和43年)に全線が廃止された。段戸山系の御料林の木材を運搬する目的から、設立時は宮内省(今の宮内庁。戦後、御料林は国有林となり林野庁の所管)の出資も得ており、豊川鉄道・鳳来寺鉄道との3者で資本金の77%を占めていた。田峰駅と三河田口駅からは、集材用狭軌トロッコも設置された。豊川・鳳来寺両鉄道と車両も共通運用されていたが、1943年(昭和18年)8月1日の2社の国有化に対して、田口鉄道は国有化されなかった。これは鉄道敷設法別表で計画された遠美線(大井 - 稲武 - 浦川 - 三河大野 - 遠江二俣)の経由地に田口の名前がなく、敷設法の先行建設路線とみなされなかったためと思われる。しかし、国有化以前から3鉄道の一体運営がなされていたとの歴史的経緯から1952年まで国鉄による運転管理が行われた。
駅一覧
本長篠駅 - 三河大草駅 - 鳳来寺駅 - 玖老勢駅 - 三河大石駅 - 三河海老駅 - 滝上駅 - 田峯駅 - 長原前駅 - 清崎駅 - 鮎淵駅(臨時駅) - 三河田口駅
P設楽町奥三河郷土館に保存されているモハ14。
 @本長篠駅(ほんながしのえき)は、愛知県新城市長篠字具津にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。かつては、飯田線と豊橋鉄道田口線の分岐駅であった。本長篠駅は、豊橋駅(愛知県)から飯田駅(長野県)を経て辰野駅(同)までを結ぶJR飯田線の中間駅(途中駅)の一つである。新城市鳳来地区(旧南設楽郡鳳来町域)の長篠地区に位置する。豊橋と飯田を結ぶ特急「伊那路」の停車駅の一つであるほか、普通列車ではこの駅で折り返す列車が存在する。1923年(大正12年)の開業。開業当初は鳳来寺鉄道という私鉄の駅であったが国有化により国鉄飯田線の駅となり、民営化によりJR東海に継承されて現在に至っている。鳳来寺鉄道時代は、「鳳来寺駅」(ほうらいじえき)または「鳳来寺口駅」(ほうらいじぐちえき)という駅名であった。1929年(昭和4年)に、この路線とは別に、北設楽郡設楽町の三河田口駅までを結ぶ田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)が開通し乗換駅となったが、同線は1968年(昭和43年)に廃止されている。
 @本長篠駅構造はホームが地面に接する地上駅である。ホームは1面あり、その南北両側に線路が接する島式ホームである。ホーム番線は北側が1番線、南側が2番線。ホームに接しない線路も、1・2番線双方の外側に1線ずつ存在する。駅舎は構内北側にあり、木造の建物が使用されている。駅舎と前述のホームとは構内踏切で繋がっている。かつてはこの駅舎に接するホームに田口線の列車が発着していた。
A豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。飯田線とはここで分岐していたようだ。
B豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。
C豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。
D豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。内金隧道本長篠駅側。
D豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。内金隧道三河大草駅側。
E豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。
F豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。
G豊橋鉄道田口線の本長篠駅 - 三河大草駅間の廃線跡。大井川橋梁の橋台が残る。
 H豊橋鉄道田口線の三河大草駅跡。篠駅から三河海老駅までの区間が1929年(昭和4年)に開通した。このとき三河大草駅は設置されていないので、同駅は路線の開通から1年遅れて追加される形となった。駅が置かれたのは、大草トンネルの手前にあたる山中であった。1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となった。そして田口線の廃線に伴って1968年(昭和43年)9月1日、駅も廃止された。山中の駅跡地にはホーム跡が残されている。 構造は片面ホーム1面1線で列車の行き違いが不可能な駅であった。駅員は配置されていない(無人駅)。
I豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。
 I豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。このアンカーは昭和初期なのでケミカルアンカーが無かった時代で、穴にクサビを打ち込んで止めている。
I豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。
J豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。碍子が残る。
J豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。
K豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。
L豊橋鉄道田口線の三河大草駅 - 鳳来寺駅間の廃線跡。
 M豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅跡。鳳来寺駅(ほうらいじえき)は、愛知県新城市門谷字笠川にかつて存在した豊橋鉄道田口線の駅。鳳来寺の最寄り駅であった。1929年(昭和4年)に田口鉄道により開業。1956年(昭和31年)に豊橋鉄道の駅となるが、1968年(昭和43年)に路線の廃線に伴って廃止された。南設楽郡鳳来寺村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。駅の跡地は上記の鳳来寺バス停付近である。駅舎跡は愛知県道32号と鳳来寺の参道(愛知県道441号)の交差点付近にあたる。線路跡は県道32号に吸収された。
Mおかめ茶屋に展示されている当時の駅舎。ホームの木は現在も残る。
N豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅 - 玖老勢駅間の廃線跡。
O豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅 - 玖老勢駅間の廃線跡。ここから先遊歩道になる。
P豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅 - 玖老勢駅間の廃線跡。
Q豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅 - 玖老勢駅間の廃線跡。
R豊橋鉄道田口線の鳳来寺駅 - 玖老勢駅間の廃線跡。
 S豊橋鉄道田口線の玖老勢駅跡。玖老勢駅(くろぜえき)は、愛知県新城市玖老勢にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。南設楽郡鳳来寺村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。駅があった玖老勢には、駅名と同じ「玖老勢」などのバス停留所がある。一方、駅の跡地には消防団の詰め所が建設され、駅付近の線路跡はサイクリングロードとして整備されている。
@豊橋鉄道田口線の玖老勢駅 - 三河大石駅間の廃線跡。
 A豊橋鉄道田口線の玖老勢駅 - 三河大石駅間の廃線跡。大石村の地名および三河大石駅の名の元となった岩。
 B豊橋鉄道田口線の三河大石駅跡。三河大石駅(みかわおおいしえき)は、かつて愛知県南設楽郡鳳来町副川(開業時は鳳来寺村副川、現・新城市)にあった豊橋鉄道田口線の駅である。駅跡は豊鉄バス田口新城線「鳳来大石」停留所となっている。愛知県道32号鳳来東栄線の建設時に廃線跡を利用してホームの周辺を埋め立てたため、鉄道時代の待合所がそのままバス停の待合所になった。現在の待合所は改築されているが、鉄道時代の面影をよく留めている。
C豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。
D豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。海老川に架かる平谷瀬橋。
E豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。
F豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。
G豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。
H豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。双瀬隧道の三河大石駅側。
H豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。双瀬隧道の三河海老駅側。
H古い写真はこの場所と思われる。
I豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。三河海老駅側。
I豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。三河海老駅側。
J豊橋鉄道田口線の三河大石駅 - 三河海老駅間の廃線跡。海老川の支流を渡る橋梁。
 K豊橋鉄道田口線の三河海老跡。三河海老駅(みかわえびえき)は、かつて愛知県新城市海老字千原田に存在した豊橋鉄道田口線の駅である。1929年(昭和4年)に田口鉄道により開業。1956年(昭和31年)に豊橋鉄道の駅となるが、1968年(昭和43年)に路線の廃線に伴って廃止された。南設楽郡海老町(廃止時は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。全線単線である田口線のうち、当駅は列車の行き違いが可能な交換駅の一つであった。構内には車庫や変電所があるなど、同線の中枢として機能していた。有人駅であり、1956年(昭和31年)の時点で駅長を含めて7人配置されていた。駅の跡地は整地され駐車場となっているほか、本長篠側に新城市海老構造改善センターがある。「海老車庫前」という名称のバス停留場もあるが、この停留場に発着するのは本長篠駅前・海老車庫前間の系統のみで、前述の新城病院前 - 田口間の系統は経由しない。駅舎は廃止後も残っていたが、1994年(平成6年)に解体された。
L豊橋鉄道田口線の三河海老駅 - 滝上駅間の廃線跡。
 M滝上駅(たきうええき)は、愛知県新城市海老にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。南設楽郡海老町(1956年以降鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。単線である田口線のうち、滝上駅は列車の行き違いが不可能な駅であった。駅員は配置されていない(無人駅)。
NO豊橋鉄道田口線の滝上駅 - 田峯駅間の廃線跡。稲目トンネル。
P豊橋鉄道田口線の滝上駅 - 田峯駅間の廃線跡。第一寒狭川橋梁跡。県道389号線の下に橋台が残る。
 Q豊橋鉄道田口線の田峯駅跡。田峯駅(だみねえき)は、愛知県北設楽郡設楽町田峯字竹桑田にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅である。北設楽郡段嶺村(1956年以降設楽町)にあった駅の一つ。全線単線である田口線のうち、当駅は列車の行き違いが可能な交換駅の一つであった。有人駅であり、1956年(昭和31年)の時点で駅長を含めて4人配置されていた。駅の跡地は田峰バス停に近い、設楽町段峰窓口センターが立つ場所である。跡地には鉄道廃止後、田口線で使用されていた電車が残されていたが、設楽町田口に開設された奥三河郷土館へと1982年(昭和57年)に移設された。
 Q旧段嶺村域には戦前、宮内省所管の段戸御料林が広がっていた。田峯駅にはこの御料林で伐採された木材を搬出するために、駅の開業後に2つの森林鉄道(田峯森林鉄道)が敷設された。1931年度(昭和6年度)にまず鰻沢線、続いて1932年度(昭和7年度)に栃洞線が開通した。この森林鉄道は軽便鉄道であり田口鉄道とは軌間が異なるため、駅には貯木場が設置され、ここで森林鉄道経由で搬出された木材を田口鉄道の貨車に積み替えていた。これらの森林鉄道は戦後、道路の整備と森林資源の枯渇により、鰻沢線が1958年度(昭和33年度)に、栃洞線が1962年度(昭和37年度)に廃止されて消滅した。
Q田峯森林鉄道の隧道が田峯駅跡の近くに残る。
Q田峯森林鉄道の隧道が田峯駅跡の近くに残る。
R橋梁が残る。
 S豊橋鉄道田口線の清崎駅跡。清崎駅(きよさきえき)は、愛知県北設楽郡設楽町にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。北設楽郡田口町(1956年以降設楽町)にあった駅の一つである。
全線単線である田口線のうち、当駅は列車の行き違いが可能な交換駅の一つであった。有人駅であり、1956年(昭和31年)の時点で駅長を含めて4人配置されていた。駅の跡地は国道257号清崎交差点の南方で、線路跡は国道に取り込まれている。駅名標が廃止後も残っていたが、1997年(平成9年)に撤去された。
@豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第3寒狭川橋梁。
A豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第3寒狭川橋梁。
B豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。田内隧道の清崎駅側。
B豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。田内隧道の三河田口駅側。
C豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。
D豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第1入道ヶ嶋隧道の清崎駅側。
D豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第1入道ヶ嶋隧道の三河田口駅側。
E豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第4寒狭川橋梁の清崎駅側。
E豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第4寒狭川橋梁の三河田口駅側。
F豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第2入道ヶ嶋隧道の清崎駅側。
F豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第2入道ヶ嶋隧道の三河田口駅側。
G豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第1大久賀隧道の清崎駅側。
G豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第1大久賀隧道の三河田口駅側。
H豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第2大久賀隧道の清崎駅側。
H豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第2大久賀隧道の三河田口駅側。
I豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。
J豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
K豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
L豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第3大久賀隧道の清崎駅側。
L豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。第3大久賀隧道の三河田口駅側。
M豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。当時の橋台及びガーターが残る。
N豊橋鉄道田口線の清崎駅 - 三河田口駅間の廃線跡。
 O豊橋鉄道田口線の三河田口駅跡。三河田口駅(みかわたぐちえき)は、かつて愛知県北設楽郡設楽町田口字田尻にあった豊橋鉄道田口線の駅。同線の終着駅であった。田口鉄道により1932年(昭和7年)に開業。1956年(昭和31年)に豊橋鉄道の駅となるが、1965年(昭和40年)水害により営業休止となり、再開されることなく路線の廃線に伴い廃止された。北設楽郡田口町(1956年以降設楽町)にあった駅の一つ。ホームは1面1線。有人駅であり、1956年の時点で駅長を含めて8人配置されていた。駅跡は広い空き地となった。駅舎は廃止後も解体されなかったものの、2007年時点では倒壊しかかった状態であった。この旧駅舎建物は2011年(平成23年)8月21日の深夜に倒壊した。駅跡周辺では設楽ダムが建設中であるが、ダム完成によりこの付近は水没する予定である。
 O豊橋鉄道田口線の三河田口駅跡。2012年訪れた時は埋まっていた?ダムの工事で発掘されたのか?
(2019年01月29日)
 Oダム工事でジャンプ台のような重機乗り込み用の構台が設置されている。以前には無かったが、豊橋鉄道田口線の看板が設置されていた。(2019年01月29日)
O豊橋鉄道田口線の三河田口駅跡に設置されていた看板の写真。
O豊橋鉄道田口線の三河田口駅跡に設置されていた看板の写真。
 P設楽町奥三河郷土館に保存されているモハ14。移転準備のため2016年9月30日をもって一時閉館しており、2020年春をめどに移転予定。名称も設楽町歴史民俗資料館に改め、道の駅機能を持つ施設が併設される予定である。
P設楽町奥三河郷土館に保存されているモハ14の車内は展示室になっている。(ここは無料)
Pモハ14の運転席。 P三河田口駅の駅名標。
P通票閉塞器。 P旅客運賃表。
P豊橋鉄道廃止20周年記念乗車券。 P田口鉄道デキ53形電気機関車の当時の写真。
P豊橋鉄道田口線の当時の写真。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『新城市』を掲載」