更新日時 2019年07月29日

 アサヒビール名古屋工場専用線:アサヒビール名古屋工場は1973年操業。それと同時に専用線が敷設された。新守山駅は開業以来、貨物業務が中心であったため、旅客業務についても貨物職員が兼任していた。しかし、その後貨物の取り扱いは、徐々に縮小していった。一旦は、コンテナ貨物の取り扱いも廃止されたが、国鉄分割民営化後の1989年(平成元年)1月19日にコンテナ貨物の取扱いを再開した。しかし、1997年(平成9年)3月22日からは、貨物列車の発着がない自動車代行駅となった。コンテナホームのみは残されたものの、取り扱う貨物は、拠点駅である名古屋貨物ターミナル駅とのトラック便にて輸送する取り扱いとなった。自動車代行後は、輸送力を柔軟に調整することができるようになり、取扱量そのものは一時的に増加した。国鉄分割民営化前後に専用線は廃止。
 @1958年(昭和33年)1月、名古屋市は、千種駅と大曽根駅の貨物事業を統合し移転する都市計画案を策定し、貨物新駅として、現在の新守山駅の場所を候補地とした。旅客扱いも含めた一般駅として開業することになり、各機関と個別に協定が締結され、新駅設置が決定した。1960年(昭和35年)4月から、土地の買収が開始され、その後、新駅設置工事が始まった。1999年(平成11年)11月1日、コンテナホームは、以前に仕分線であった場所へ移転した。これにより、貨物施設の敷地面積は、4,000平方メートルから1,500平方メートルへと、コンテナ留置個数は350個から120個へと縮小した。これにより捻出されたコンテナホーム跡地は、JR貨物の関連事業用地として、アピタ新守山店・ロイヤルホームセンター新守山店などが入居するショッピングセンターとして再開発された。
Aアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。雑草が生い茂る場所が廃線跡。
Bアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。
Cアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。鉄橋の名盤が盗難されている。
Cアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。荒川函渠と書かれているので元水路?
Dアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。朝日橋梁の名前から専用線の橋梁と判る。
Dアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。道路の線路の痕跡が残る。
Eアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。
Fアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。
Gサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。
Hアサヒビール名古屋工場専用線の廃線跡。プラットホーム跡が残る。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『名古屋市』を掲載」
廃線探索 アサヒビール名古屋工場専用線