更新日時 2010年11月04日

廃線探索 帝釈人車鉄道
 帝釈人車鉄道は柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年(明治30年)に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改めた。1909年(明治42年)、成田山や柴又帝釈天の参詣客輸送を目的に、京成電気軌道(現在の京成電鉄)が設立された。京成電気軌道は、帝釈天を通り金町への路線を計画していたが、ルートが重なる帝釈人車軌道では軌道特許を京成電気軌道へ譲渡することに決め、1912年(明治45年)に譲渡した。同年、京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させた。翌1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始した。
 上記写真は葛飾区郷土と天文の博物館複製の絵はがきより。絵はがきは30円で買えます。葛飾区郷土と天文の博物館は息子の友達のお母さんが学芸員で、かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道の作成に関わられた方です。出典を明記すれば写真の転載の許可を得ています。
上記写真は葛飾区郷土と天文の博物館作成 かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道90,91,92ページより。
 @京成金町駅(けいせいかなまちえき)は東京都葛飾区金町五丁目にある京成金町線の駅。金町線の終点。駅番号はKS51。旅客向け案内では「京成」を省略して金町とされる。東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の金町駅南口の向かいにあり乗換えが可能である。
 @京成金町駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームはちょうど4両編成の電車が停車可能な有効長である。留置線などは存在せず、また隣駅の柴又駅までは単線の為、折り返し運転のみとなる。駅ビルは近年改装されており、一部はテナントとしてコンビニ等が入居している。2010年4月1日、当駅西側に隣接する京成電鉄所有地に東京都認証保育所「京成金町プチ・クレイシュ」が開設された(京成電鉄が建設した建物を運営会社に賃貸)。
@京成金町線柴又6号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
 A京成金町線。柴又 - 京成金町間。京成3500形電車(けいせい3500がたでんしゃ)は、1972年(昭和47年)より製造が開始された京成電鉄の通勤形電車。
B京成金町線柴又5号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
B京成金町線柴又5号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
C京成金町線柴又4号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
D京成金町線柴又3号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
 D真言宗豊山派の良観寺は、弘誓山観音院と号します。創建年代は不詳ですが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられ、その後両観寺・了観寺として一寺となっていたといいます。柴又七福神のうちの宝袋尊、江戸川七福神の布袋尊、また南葛八十八ヶ所霊場の52番札所です。お腹に両手を願掛けを祈る宝袋尊があります。良観寺の創建年代は不詳ですが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられます。江戸時代初期に両観寺・了観寺として一寺となっていたといいます。
D柴又七福神。 宝袋尊 良観寺 D願掛け寶袋尊。
E京成金町線柴又 - 京成金町間より撮影。
F京成金町線柴又2号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
G柴又八幡神社。 G柴又用水の碑。
 G柴又八幡神社の由緒:「新編武蔵風土記稿」柴又村の条に「八幡社 村ノ鎮守ナリ。真勝院持」、「東京府志料」柴又村の条には「柴又八幡神社 村ノ鎮守ナリ。末社四宇アリ。社地九十坪」とある。柴又は「正倉院文書」の「養老5年(721)下総国葛飾郡大島郷戸籍」に見える<島俣里>に比定される古地名であり、当社の本殿は古墳の上に建てられている。社殿は寛永10年(1633)・宝暦3年(1753)・天明7年(1787)・寛政11年(1856)・大正15年・昭和2年・同7年の再建または修築を経て、昭和43年5月、現在の社殿が造営された。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
H京成金町線柴又1号踏切より撮影。(帝釈人車鉄道廃線跡)
I歩道に案内のタイルが埋め込まれている。 I柴又駅前の寅さんの銅像。
I柴又駅(しばまたえき)は、東京都葛飾区柴又四丁目にある京成電鉄金町線の駅。駅番号はKS50。
 I駅舎は高砂方面ホーム側にある。改装時には山田洋次の意見も得て、純和風の外観となった。金町方面ホームとは構内踏切により連絡している。初詣などの多客時には金町方面ホーム側の臨時改札口(有人)や臨時出札口も営業する事がある。
 I2010年7月4日まで、当駅 - 高砂高砂間は複線で、列車交換も一部時間帯で行われていたが、成田スカイアクセス開業に伴う高砂駅東側の踏切の遮断時間短縮のため、翌5日から同駅の金町線ホームが高架化されたため、高砂方が単線並列(但し1本は入・出庫線)となり、早朝と深夜を除くほとんどの時間帯で列車交換が行われるようになった。金町方は現在も単線となっている。
 I柴又駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。ホーム有効長は6両編成分であるが、発着する列車はすべて4両編成である。
J帝釈天参道。
 K柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。尚、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、日本においてはこの柴又帝釈天を指す場合も多い。
 K「柴又帝釈天」の通称で専ら呼ばれるところから、帝釈天が当寺の本尊と思われがちだが、日蓮宗寺院としての本尊は、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「大曼荼羅」(中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの)である。また、当寺が柴又七福神のうちの毘沙門天にあたることから、「帝釈天=毘沙門天」と解説する資料が散見されるが、帝釈天と毘沙門天はその起源を全く異にする別々の尊格であり、柴又七福神の毘沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される。
K帝釈天境内案内図。 K帝釈天の渡り廊下。
K帝釈天の渡り廊下に帝釈人車鉄道の木彫りの彫刻がある。明治30年頃人車の図。加藤正春作。
L寅さん記念館。
L寅さん記念館の動く帝釈鉄道の模型。
L寅さん記念館の動く帝釈鉄道の模型。金町駅。
L寅さん記念館の動く帝釈鉄道の模型。柴又駅。
寅さん記念館の動く帝釈鉄道の模型動画リンク
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出典:寅さん記念館 出典:葛飾区郷土と天文の博物館