更新日時 2016年01月05日

廃線探索 鉄道連隊演習線習志野線
 鉄道連隊演習線習志野線(てつどうれんたいえんしゅうせん)とは日本陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した千葉県内の鉄道路線。習志野線の一部は、戦後陸上自衛隊の鉄道部隊である第101建設隊の演習路線に転用された。 その後、船橋市内にある一部の路盤が現在でも防衛省保有の他、習志野市内では遊歩道に転用されるなどしている。鉄道第一連隊材料廠跡は国鉄のレールセンターとなり、千葉駅から国鉄の専用線に転用されたが、1984年廃止となった。現在は千葉経済学園の敷地内に材料廠の建物が現存している。第一連隊の作業場は現在千葉公園となっている。公園内に橋脚やトンネルが現存している。松戸線の一部は現在の新京成電鉄の用地に転用されている。第二次世界大戦終戦後、跡地の一部を民間に転用するにあたり、京成電鉄と後の西武鉄道の間で争奪戦が起こったが、最終的には近辺の京成電鉄が引き受けることになった。その代わりに、鉄道連隊の資材の一部(蒸気機関車、貨車等)が西武鉄道に引き渡され、さらに新宿線高田馬場 - 西武新宿間の免許が与えられたことになったと伝えられている。
 四輪連結十輪タンク機関車は、イギリスのベイヤーピーコック社が明治27年(1894年)に製造したものを、当時の日本鉄道が輸入し、宇都宮機関区、千葉駅構内(鉄道連隊演習線習志野線)等で使用した後、小湊鉄道が昭和21年(1946年)に当時の国鉄から払い下げを受け、昭和25年まで使用していた。重量(空車状態)は36.3トン、全長11.3m、最大出力550馬力である。B104号機関車。(小湊鉄道五井機関区保存)
 @千葉駅(ちばえき)は、千葉県千葉市中央区新千葉一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・千葉都市モノレールの駅である。当駅は、正式には総武本線と外房線のみの駅であるが、多数の路線系統の列車が乗り入れている。島式ホームが5面10線と、貨物用の線路が1線(0番線、2009年3月14日ダイヤ改正より使用停止)ある。1-6番線と7-10番線は、東側で駅ビル(駅本屋を兼ね、デパート「ペリエ」ファッション館が入っている)に裂かれる様に分かれている。そのため、東側では5・6番線ホームと7・8番線ホームの距離が離れている。台地の斜面に位置しているため、西千葉駅・稲毛駅方向では地上であるが、本千葉駅・東千葉駅方向は高架となっている。駅がこのような型になった理由については、1963年(昭和38年)に現在地に移転するまでは、約800m東千葉駅よりの場所にあり、佐倉駅・銚子駅方面から船橋駅・東京方面と蘇我駅・安房鴨川駅方面の二又に分かれていた。そのため船橋駅・東京方面と蘇我駅・安房鴨川駅方面を結ぶ直通列車は、当駅でのスイッチバックを余儀なくされていた。現在は船橋駅・東京方面から蘇我駅・安房鴨川駅方面と佐倉駅・銚子駅方面の二又に分かれる線形に改良されたが、駅全体がV字状になっているのはその名残である。
@千葉駅周辺地図と線路沿いの側道。
A千葉駅からモノレール沿いに鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡が続く。
B鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。千葉公園入口付近。
C千葉公園地図(遺構の場所が掲載)と荒木山。以前は荒木大尉の銅像が建っていたらしい。
 C千葉公園(ちばこうえん)は千葉県千葉市中央区弁天にある総合公園である。千葉市初の総合公園として1946年(昭和21年)6月に決定した戦災復興計画に基づいて陸軍の鉄道第一連隊跡地に整備された公園で、同公園内には野球場、プール、体育館等の運動施設や綿打池がある。また、春になると660本のサクラが咲く、花見の名所としても知られ、6月下旬から7月の間は大賀ハスが花を咲かす鑑賞地ともなっている。入園料は無料。
C元鉄道連隊架橋訓練跡。
C元鉄道連隊架橋訓練跡の橋台が残る。
Dウインチ台の基礎が残る。
D元鉄道連隊演習時に構築した隧道と鉄道連隊の紋章。
D元鉄道連隊演習時に構築した隧道。
 D好日亭は、千葉公園東門から入ってすぐの大樹に囲まれた閑静な場所にあります。敷地面積は、約900m2、建築面積は約77m2。本格的な茶会はもちろんのこと、俳句会、会合その他のけいこ事など幅広く利用できます。
E鉄道隊駐屯の跡の記念碑。
E鉄道大隊の記念碑、明治36年建立。記念碑の裏には解りづらいが北京周辺の鉄道図が書かれている。
F鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
G鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
H鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
I鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
 J千葉経済大学(ちばけいざいだいがく、英語: Chiba Keizai University)は、千葉県千葉市稲毛区轟町に本部を置く日本の私立大学である。1988年に設置された。大学の略称はCKU。 大学在学中に短大の科目を修得することにより大学の経済学部としては異例の小学校教諭二種免許状や司書の資格取得が可能である。また、千葉経済大学15周年(学園創立70周年)記念事業で建てられた学生ホール(エステリア)にて、フジテレビ系列ドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-の撮影が行われた。
 K旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築。車両やレールの修理工場。明治41年築。戦後も国鉄が昭和59年まで使用。現在は千葉経済大学の倉庫として使用。
K旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築内部。
K旧鉄道聯隊材料廠シャッター前にレールが残っている。線路幅が2種類ある。
K旧鉄道聯隊材料廠シャッター前にレールが残っている。枕木も放置してある。
L鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
M鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は突き当たり民家に転用。
N鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。給水塔?現在は消防署の倉庫として利用。
O鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
O鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
P鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
P鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
Q鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
Q鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
S鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
S鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
@鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
@鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
@鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。花見川大橋。
 @鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。花見川大橋の脇に水道橋が有るが、この場所が廃線跡の橋梁が有った場所。
S鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
S鉄道連隊時代の御影石の境界杭を発見。
A鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
B鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
C鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。池垣の中に枕木を使った柵がある。
D鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は千葉県水道局柏井浄水場に突き当たる。
E鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は千葉県水道局柏井浄水場から再び道路に転用。
F鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
G鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は横戸緑地に突き当たる。
 G鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。花見川を渡る橋梁が有ったと思われるが、痕跡は見当たらなかった。川を渡った後は鷹之台カンツリー倶楽部ゴルフ場内へ。
 H鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は鷹之台カンツリー倶楽部ゴルフ場内から再び道路に転用されている。
H鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
I鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は突き当たり民家の庭へ。
 I鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は民家を過ぎると再び道路?(地図上では道路がある)へ転用。
 I鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。左写真の縁石から右側が廃線跡と草刈りをしていたおじさんが言っていた。草刈りが大変なのでこの土地を買ってくれとの言っていました(笑)保存車両なら欲しいが、この田舎の廃線跡は使い物にならないため要りません(笑)
J鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
K鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
 K鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。廃線跡は花見川団地に突き当たり団地内は廃線跡の痕跡は見当たらなくなる。
L鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
M鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
 N鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。京成本線の高架下を潜る。鉄道連隊演習線習志野線を跨ぐために京成本線は築堤を築き橋梁を設置したようだ。前後の500m〜600m先は踏切の交差点。
 O鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。ここから先の廃線跡は習志野駅近くまでハミングロードの遊歩道になっている。
O鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
P鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
 Q鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。この先は広くなっているので、駅か信号所?又は操車場が有ったと思われる。
Q鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。鉄道連隊時代の御影石の境界杭を発見。
Q鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
R鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
S鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
@京成本線大久保2号踏切より撮影。
@鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。この辺は京成本線と並行している。
A鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。京成大久保駅周辺の廃線跡は駐輪用に転用されている。
B鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。鉄道連隊演習線跡の看板が設置してある。
 Bこの地は、鉄道連隊の演習線が走っていたところです。明治40年(1907年)東京中野にあった鉄道大隊は鉄道連隊に昇格し、千葉市と津田沼町に転営しました。この前年、津田沼−習志野間に軽便鉄道が敷設されました。日露戦争時に購入した鉄道資材を習志野の捕虜収容所跡に保管するためでした。この資材をさらに千葉の鉄道連隊材料廠に移転するため、明治41年〜42年、習志野−千葉間に軽便鉄道が敷設されました。資材の移転は明治44年(1911年)に完了し、その後この鉄道は鉄道連隊の演習線路として用いられました。線路は、初期に多少のルート変更が有りましたが、津田沼−大久保−三山−高津−犢橋−宮之木−園生−千葉の約16.7qの区間で、軌間600mmの軽便鉄道でした。軌間1067mmや1435mmの普通鉄道が並行して布設されたこともあった様です。津田沼に置かれた鉄道連隊第三大隊は、大正7年(1918年)に鉄道第二連隊に昇格し、この演習線や昭和7年(1932年)頃までに敷設が完了したと言われる津田沼−松戸間の演習線で、鉄道の敷設・撤去・修理の訓練や、機関車の運転訓練を行いました。戦後、演習線の跡は津田沼−松戸間がほぼ新京成線になりました。津田沼−千葉間は、津田沼−高津間が一時期自衛隊の演習線として用いられた後、現在は大部分が道路となっています。
B鉄道第二連隊による軽便鉄道敷設演習の様子。 B軽便鉄道の機関車(鉄道第二連隊の運転演習)
C鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
D鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
E鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。
F鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。この石仏は何でしょうかね?
G鉄道連隊演習線習志野線の廃線跡。ここでJR線と合流。
 H新津田沼駅前のイトーヨーカドー前の公園に鉄道連隊で使われたK2形 機関車134号が静態保存されている。この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第二連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍した物です。この度、西武鉄道(株)ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。
 この千葉工業大学の門は明治40年(1907年)当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていた物です。第2次大戦後、ここが千葉工業大学の校地となった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
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