更新日時 2011年11月30日

 米陸軍相模補給廠専用線は淵野辺駅から矢部駅の横を通り米陸軍相模補給廠まで通じる専用線があった。その名残で1990年代中頃まで北口側には専用鉄道の踏切や踏切の標識が撤去されずに残っていた。米陸軍相模補給廠敷地に沿って走っている横浜線淵野辺駅より矢部駅近くまで横浜線に沿って北上した後、補給廠内へと乗り入れる専用線が敷設されていた。この6.1キロに及ぶ専用線にて、鉄道貨物による軍需物質の輸送が行われていたが1979年(昭和54年)10月1日に廃止。今では、淵野辺駅構内から矢部駅にかけて、住宅の敷地内に草に埋もれるように線路が残存している。
 @淵野辺駅(ふちのべえき)は、神奈川県相模原市中央区淵野辺三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。渕野辺と記載される場合もあるが、こちらは淵の異字体である渕を用いた書き方であり、正しくは淵野辺である。
 @淵野辺駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。直営駅(橋本駅管理)。みどりの窓口設置。自動改札・自動券売機、指定席券売機が設置されている。かつては貨物扱いが行われており、北口側の東神奈川方面に貨物扱い施設が、橋本方面には相模総合補給廠への専用線のための入換線があった。東神奈川方面のりばの向かい側にある現在使用されていない線路は元の貨物着発線である。貨物列車が運転されなくなって久しいが、2000年代初頭まで貨物列車着発用の信号機と本線への渡り線が設置されていた。敷地は貨物扱いの廃止後も長く放置されていたが、現在では旧貨物扱い施設の敷地が桜美林大学淵野辺キャンパス等に、また補給廠専用線入換線敷地の一部は北口ロータリーに転用されている。
A米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。廃線跡は草で覆われている。
B米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。東神奈川方面脇の草むらが廃線跡。
C米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。この辺の廃線跡の一部は住宅に転用され、一部には線路も残る。
D米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。矢部踏切脇には米陸軍相模補給廠専用線跡のレールも残っている。
E米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。矢部踏切から矢部駅迄は線路跡は消滅している。
 E矢部駅(やべえき)は、神奈川県相模原市中央区矢部三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。
 E矢部駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。1979年(昭和54年)築の橋上駅舎を有しており、駅の南側に南口、北側に北口が設けられている。駅舎内部には窓口、自動券売機、自動改札、トイレ、新聞販売機などが設置されている。2008年(平成20年)4月からエレベーターとエスカレーターが稼動した。開業当初は単線区間に1面1線の片面ホームを持つだけの構造で、線路の北側にホームと駅本屋があったが、1979年(昭和54年)の複線化に際して橋上駅舎が設置されて現在のような構造の駅となった。東日本環境アクセスによる業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。橋本駅管理。
F米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。道路にレール跡が残る。
F米陸軍相模補給廠。コンテナ用の重機。 G米陸軍相模補給廠。
H米陸軍相模補給廠。 I米陸軍相模補給廠。軍用トラック。
J米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。敷地内のレールは撤去されている。
J米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。敷地外の廃線跡は花壇になっている。
K米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。敷地外の廃線跡は花壇になっている。
L米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。敷地外の廃線跡は花壇になっている。
L米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。ここから先はレールが撤去されている。
M米陸軍相模補給廠専用線廃線跡。
N相模陸軍造兵廠跡の石碑。
O米陸軍相模補給廠。西門踏切より撮影。
P米陸軍相模補給廠。
 Q相模原駅(さがみはらえき)は、神奈川県相模原市中央区相模原一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。
 Q相模原駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、南北自由通路と橋上駅舎を有している。直営駅(橋本駅管理)で、みどりの窓口・自動券売機・自動改札機・自動精算機・指定席券売機設置。橋上駅舎化以前は、開設当初以来の木造平屋建ての駅舎が長らく使用されていた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 米陸軍相模補給廠専用線