更新日時 2010年11月20日

日本工業大学 工業技術博物館
 工業技術博物館は日本工業大学の博物館で昭和42年に、開発能力と実務能力とをそなえた高級技術者の育成 を目指して日本工業大学が開学して以来、可能な限り実践をともなった教育を行なってまいりました。今回、その建学の理想に基づく教育方法の一環として学内に常設の工業技術博物館を設置し、あわせて、工業技術の啓蒙をはかることにより社会的貢献をはかっていきたいと願っております。もとより、工業技術博物館として完成させるためには、工業技術全般に広くわたる必要がありますが、これを短い期間で行なうことは不可能であり、そのゴールは遥かに遠くにあります。 そこで、第一段階としては本学の設置学科である機械工学・電気電子工学・ 建築学・システム工学および情報工学に直接関連する部門の展示の充実をは かることとし、順次、他分野にもおよんで行きたいと考えております。詳細 な調査に基き、わが国技術史上の代表的な機械類を発掘し、各界の御協力を頂いてその収集、補修に努めるとともに、各種機関で保管されている貴重な 機械については保管機関の御協力を得ながら、その複製に努めていきたいと思います。博物館の利用は、本学園関係者に限定せず、工業技術に関する研究・学校教育・社会教育など広く社会の要請に応えてまいります。
2109号蒸気機関車動画リンク-1 -2
工業技術博物館機関車庫。
腕木式信号機。 腕木式信号機切り換え機。
ピット。 地図上で測定すると車庫も含めて約130mの線路。
アント車両移動機。アント工業株式会社製。
 明治24年(1891年)にイギリスのダブス社で製造された2100形蒸気機関車です。2100形蒸気機関車には、同一設計の2120形、ドイツ製2400形、アメリカ2500形が存在し、これらは「B6」と総称され、総数500両以上が輸入されました。この機関車は2100形の9号機であったため2109号と呼ばれ、最初期のものであることがわかります。当時としては、大馬力であり、設計・性能共に優れていたため、急勾配用・貨物用や山岳線の客貨物両用に使用されました。その後は、各地の幹線に重用され、昭和30年代まで活躍するという長寿ぶりを示しました。本蒸気機関車は、スチブンソン式弁装置等を採用した貴重な蒸気機関車の中のひとつです。この機関車の特徴は、スチブンソン式弁装置、リベット接合を用いたボイラー、特殊な加工方法等、各所に当時のさまざまな先進の技術を駆使して造られています。形態的には、美しいプロポーションが持つ、C1タンク機関車です。水の積載量が多く、初期のテンダ機関車級であり、引張力も強く、引張重量は、時速32.2Km、1/100勾配で310ton、1/40勾配で155tonと設計上算定されています。
明治24年 (1891)  イギリス・ダブス社で製造され、日本鉄道が輸入。
明治39年 (1906)  鉄道国有法により、日本鉄道が日本国有鉄道となり、東北本線・中央線などで活躍。
昭和03年 (1928)  西濃鉄道に移籍。
昭和45年 (1970)  ディーゼル機関車の台頭により、廃車となる。しかし、その歴史的価値を保存する
            声が鉄道友の会からおこり、大井川鉄道が、これに応じた。日本の蒸気機関車の
            動態保存の先駆けとして千頭-川根両国駅間を運転。
昭和51年 (1976)  静態保存に切り替え、千頭駅や金谷駅構内で展示・保存。
平成04年 (1992)  産業考古学会より産業遺産として認められる。学校法人日本工業大学への寄贈が
            決定され、大井川鉄道において動態保存のための修復作業を開始。
平成05年 (1993)  日本工業大学技術博物館で動態保存。
2109号銘板。 ダブス社の銘板。
大井川鐵道時代の2109号。 西濃鉄道当時の2109号。
作業局当時の2104号。 作業局当時の2140号。
2100形−2109号蒸気機関車の修復過程。 機関士の制服他。
線路図、運転図表、教本・規定集、ボイラー使用検査申請書、教本。
通表閉塞機と大塊炭。 キャリアー、第1種、第2種、第3種、第4種。
アント車両移動機。アント工業株式会社製。
日本工業大学構内の線路。
2109号蒸気機関運転風景。
2109号蒸気機関運転風景。
2109号蒸気機関運転風景。
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