更新日時 2010年09月20日

 佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市の佐渡島にある金山である。鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。1601年に金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。江戸時代初期すなわち慶長から寛永年間にかけての最盛期には金が1年間に400kg、銀が40トン以上採掘される日本最大の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。鉱山の労働者の給与水準も高く、周辺の町は大変栄えたという。江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたという金山側の事情もある。現在は金の値段と労働賃金がつりあわなく採算が取れないため採掘を中止して、観光施設となっている。坑道の総延長は実に約400kmに及ぶが、そのうち約300mが観光ルートとして公開されており、採掘風景を再現した人形が70体あまり設置されている。
道遊坑(近代コース)の観覧料。
区  分 個  人 20名様以上 100名様以上
大人(高校生以上) 800 円 / 人 720 円 / 人 640 円 / 人
小中学生 400 円 / 人 360 円 / 人 320 円 / 人
平成20年4月開設の施設で、明治〜昭和の佐渡金山を展示。「道遊の割戸」も見学できます。
所要時間約40〜50分。次助坑、道遊坑、機械工場、高任坑(計約、400m)、「道遊の割戸」(徒歩片道約7分)の見学。これまで佐渡金山を訪れたことのある方にお勧めします。
 入口を入り左側が道遊坑。明治32年、佐渡鉱山の主要鉱脈「道遊脈(どうゆうみゃく)」の開発を目的に開削された主要運搬坑道で、平成元年の操業停止まで使われました。 鉱山の各主要坑道とつながっており、鉱石を積んだトロッコは道遊坑の西側にある高任坑(たかとうこう)から破砕場へ運ばれ、破砕場で鉱石を降ろした空のトロッコがこの道遊坑を経て坑内へと戻ってくるというサイクルで運搬を行っていました。
 鋼枠:坑道内で落石の可能性が有る場所には、鉄骨や坑木で坑道を囲い、安全の確保を行いました。この鋼枠は、幅が約2.0m、高さが2.2mありますが、三菱の経営する多くの鉱山では、この種の鋼枠が使われました。鋼枠の設置間隔は、0.6m、0.9m、1.2m、1.5m、1.8mと周辺の岩盤の状況によって違います。なお、この坑道の鋼枠は、1.5m間隔で設置されています。
 支柱:坑内の岩盤の崩落を防止するためには、三ツ留と呼ばれる坑木による枠を設置します。三ツ留の上には矢木と呼ばれる坑木を渡し、落石を防ぎます。この様な坑木による坑道維持の技術は江戸時代より行われており、基本的な方法は近代の坑道でもほとんど変わっていません。坑木による坑道維持を行っておくと、岩盤が変形した場合に坑木が折れるなどして事前に危険を察知できる点で優れています。坑木の材質は鉱山によって異なりますが、佐渡鉱山の場合は檜が使われています。なお、坑道内には酸性水が垂れることから坑木も鉄骨も耐用年数にあまり差はありません。
立入禁止の坑道が多く有る。 観光坑道内を進む。
 岩盤は熱が伝わりにくいことから、坑道内の温度は年間を通じて11℃程度を示します。この酒の貯蔵所は、一部外気が侵入しますがそれでも年間を通じて8℃〜13℃の温度を示します。この温度は酒やワインの長期熟成に適しており、まろやかな味わいとなります。この場所では日本酒や焼酎が貯蔵されており、数年間貯蔵された後売りに出されます。北雪酒造。尾畑酒造。おけさ酒造。
佐渡金山のトロッコレールが残っている。
これも歩鉄になるのか?(笑)
鉱山内の鉄分です。
この先も立入禁止です。 鉱山内はあちらこちら分岐している。
 この機関車は、2トンバッテリートロッコと呼ばれ、多くの鉱山で鉱車、人車、台車の牽引に使われました。この機関車は、日本輸送機(株)の製造で、佐渡金山では1938年(昭和13年)に最初の6台が導入されています。現在残されている機関車は、昭和30年代〜40年代前半のものが主で、平成元年の佐渡金山閉山まで使われました。この機関車は、1トン鉱車ならば、10輌ほど牽引可能で、スピードは3段階に調節でき、最速で12キロ〜13キロ/時ほどでした。この機関車には、24個の蓄電池が搭載され、作業終了後に機械工場にて充電されていました。採掘現場や立坑(鉱石や物資の運搬に使われた垂直坑道)経由で鉱石や廃石(ズリ)を運搬する場合にこの鉱車が使われました。この鉱車は縦129cm×横74cm×深さ70cm、容積0.622立米で、約1トンの鉱石を積むことができます。この鉱車は立坑のエレベーター(ケージ)に積込可能な大きさで、手押しで出し入れするため鉱車の両側に取手が付いています。明治、大正期の鉱車は木製で車輪等も鉱山で製作されていました。この種の鉄製鉱車は昭和20年代から使われています。
道遊の割戸直下まで50m。ここから先は懐中電灯が必要だ。
坑道内では線路のポイントも有る。
 道遊の割戸直下。大立竪坑迄,840m有るが、ここから先は立入禁止。道遊脈は江戸時代初期に鉱脈の地表部が採掘され、佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」が形成されました。その後明治に入ると初代鉱山局長大島高任がこの鉱脈に着目し大規模な露天掘りを行いました。この結果、現在地表で見られるような山を真っ二つにした姿と成りました。その後明治29年当時の三菱合資会社に払い下げられると、この道遊脈採掘のためこの坑道が掘られ、本格的な地下での採掘が始まります。この採掘跡は「道遊の割戸」の下部で見られる大規模な空洞に繋がっており、かつては外の光がここまで達していました。
道遊坑トロッコレール跡。
道遊坑トロッコレール跡。
道遊坑坑口。
高任坑坑口。
浜石:浸食により削られ海岸に打ち上げられた石。 2トン蓄電池式機関車&人車。
 この機関車は、2トンバッテリートロッコと呼ばれ、多くの鉱山で鉱車、人車、台車の牽引に使われました。この機関車は、日本輸送機(株)の製造で、佐渡金山では1938年(昭和13年)に最初の6台が導入されています。現在残されている機関車は、昭和30年代〜40年代前半のものが主で、平成元年の佐渡金山閉山まで使われました。この機関車は、1トン鉱車ならば、10輌ほど牽引可能で、スピードは3段階に調節でき、最速で12キロ〜13キロ/時ほどでした。この機関車には、24個の蓄電池が搭載され、作業終了後に機械工場にて充電されていました。
 鉱石積込機はローダーと呼ばれ、水平坑道掘進時の廃石(ズリ)や鉱石の積込に使われます。このローダーは太空機械(株)の太空600B型ローダーで、圧縮空気を動力として動きます。この種のローダーは、昭和の初めから多くの鉱山で使われていました。ローダーは車体を前後に動かしてバケットで鉱石をすくい取り、車体を軸に半円を描くようにバケットを回転させて後ろに連結されている鉱車に鉱石を積み込みます。このローダーはバケットを上に固定すると、立坑のエレベーターに搭載可能な設計と成っています。
 坑道の作業で必要な資材は、この台車に載せられ、2トンの蓄電池式機関車で牽引し運搬されました。運搬される資材の大部分は、坑内の岩盤崩落防止や坑道の補強のために使われる坑木や木製の梯子、機械類の動力として使う圧縮空気や水を坑内に送るためのパイプ類などでした。
 主要坑道で使用された鉱石運搬用の鉱車です。縦154cm×横90cm×深さ60cm、容積0.832立米で約1.6トンの鉱石を積むことが出来ます。この鉱車は傾斜式荷卸装置(ダンパー)の設置箇所で鉱車が傾斜して側戸が開き、自動的・連続的に一定箇所で鉱石を排出することができ、運搬作業の合理化に大きく寄与しました。佐渡鉱山では、昭和30年代よりこの鉱車が使われ初め、通洞坑(道遊坑)では4トン蓄電池式機関車により20輌前後の鉱車を連結し鉱石を破砕場まで運んでいました。
 佐渡鉱山では明治3年(1870年)に初めて軌道が敷設され、木製鉱車の使用が始まりました。この頃の軌道は、俗に鉄面皮と呼ばれた三寸角の松材に鉄板を張ったものでした。明治20年(1887年)、東京帝国大学教授の渡辺渡が佐渡鉱山局4等技師として佐渡に赴任すると、直ちにレール式の鉄軌条を導入し、その後はレールが使われるようになりました。鉱山で使われるレールは、鉄道のレールとは異なり、小型のものでした。通常、主要坑道には15s/mのレールが、一般の坑道には12s/mのレールが使われました。なお、鉱山で用いられるこの種の小型レールは、現在では製造されていません。
 鉱山の安定した操業には、機械類の修理等を外部に委託せずに自前で行えることが肝心でした。そのため佐渡鉱山には工作課という部署が設けられていました。ここにある工作機械類は、昭和27年の佐渡鉱山大縮小の折、北沢地区の機械工場より移設されたもので、現在でも使える機械が数多く残されています。また、機械工場の内外には、坑内で使った機械類も展示しております。現在の日立製作所は元々日立鉱山の工作部門から発展した会社であるそうですが、多くの工業技術は鉱山から発祥し、その後様々な分野に広がって日本の近代化に貢献しました。
2トン蓄電池式機関車のターンテーブル。ターンテーブルは現在でも動きます。
機械工場内の展示物。
 「慶長6(1601)年、佐渡金山発見の端緒となった大鉱脈の露頭掘跡が「道遊の割戸」です。山の中央をV字に立ち割った壮大な景観は佐渡金山のシンボルで、壁面にも多くの坑道跡がご覧いただけます。江戸時代には主に地表部の採掘が行われましたが、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。
 この神社は、相川下山ノ神町にある鉱山の総鎮守「大山祗神社」の分社です。この一帯は、明治時代の初代佐渡鉱山局長・大島高任の偉業を称え、「高任地区」と呼ばれていることから、この神社も「高任神社」と命名されました。大島高任は明治期鉱業界の第一人者で、明治4年に岩倉使節団に随行して西欧の鉱山を視察、明治18年に初代佐渡鉱山局長に就任しました。翌19年からは、製鉱場の新設、後に高任立坑と命名された新立坑の開削、「道遊の割戸」の再開発など次々と行い、佐渡鉱山の第二次近代化と大拡張を先導しました。大山祗神社は、初代佐渡奉行 大久保長安が金銀山の繁栄を願って慶長10年(1605年)に建立した官営社で、現在も毎年7月の鉱山祭には神事が行われます。
 佐渡金山は1601年(慶長6年)、山向こうで先に開発されていた「鶴子銀山」の山師3人により発見されたと伝えられ、道遊の割戸は、開山当初から採掘がが行われた最古の鉱区のひとつです。佐渡鉱山の主要鉱脈のひとつ「道遊脈」が地表に露出した部分を鑽と槌で掘り割ったもので、割戸の幅は約30m、深さは約74mにも達します。垂直に近い絶壁を成すこの様な採掘跡は世界的にも例が無く平成6年(1994年)に国の史跡に指定されました。山頂は江戸時代の手堀跡ですが、下部は明治以降、西洋技術を導入して大規模に再開発され、昭和まで採掘が続けられました。
 高任公園:明治期鉱業界の第一人者で、初代佐渡鉱山局長として近代化を指揮した大島高任(おおしまたかとう)の功績をたたえ、付近は「高任地区」と呼ばれています。高任公園からは、「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」の雄大な全景や、江戸時代初期に佐渡金山の発見とともに栄えた最初の鉱山町跡「上相川(かみあいかわ)」、さらに相川湾の向こうには名勝「春日崎(かすがざき)」が一望できます。
 このシリコン整流器は、日本電池(株)の1969年(昭和44年)製で、蓄電池式機関車の充電のために使われました。充電の祭は、機関車の蓄電池プラグをつなぎ、充電器のスイッチを「自動」に合わせると、一晩で充電が自動的に完了します。自動充電制御継電器は、立石電機(株)の1969年(昭和44年)製です。
 粗砕場跡:この建物は鉱石の1次破砕を行った施設です。昭和12年(1937年)ごろに完成したと推定され、平成元年(1989年)に佐渡鉱山が操業停止となるまで稼働しました。坑内で採掘された鉱石はグランビー鉱車(1.6トン横開け鉱車)で高任坑を経由し、粗砕場へ運ばれます。
 粗砕場上部のダンパー(傾斜式自動荷卸装置)のところで鉱車が傾くと側戸が開く仕組みで、積み込んだ鉱石を自動連続的に粗砕場へ落とすことが出来ました。空になった鉱車は、道遊坑を経て坑内へ戻されました。粗砕場は作業効率に配慮し、上層部から下層部へ作業工程が進むように斜面の高低差を利用して建設され、全7層構造になっています。鉱石はその間に分級・破砕され、大きさを揃えられた後、最下層部にあるベルトコンベアーで隣接する貯鉱舎へ運ばれました。
粗砕場跡へ続く鉱車のレール。
粗砕場跡へ続く鉱車のレール。
高任坑坑口。
高任坑。 高任坑坑口と惣徳新坑口との分岐点。
高任坑坑口との分岐点に立入禁止の穴があるいかにも崩れそうな感じがする。
高任坑坑口出口。 惣徳新坑出口方面への階段。
惣徳新坑出口。
展示資料館1階の売店雰囲気。
24Kの小判が売っています。9月11日時点の金地金価格は3,568円/gです。
こちらの小判や地金はメッキで24Kの100分の1位の価格です(笑)
金運を上昇するように小判を買って帰りました。さてどの小判でしょう?その後株価も上昇し・・・
金箔を使った金製品。
小判のお菓子を買って帰りました。
金箔入りのソフトクリーム。 佐渡金山出口。
宗太夫坑。
 岡(おか):敷(しき/坑内)に対して坑外のこと。特に坑口にある番所付近を岡廻りといった。 無名異坑。
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出典: 佐渡金山
佐渡金山 道遊坑&トロッコ