更新日時 2022年02月25日
稲倉石鉱山軌道:北海道西部後志総合振興局管内の古平町にあった鉱山。稲倉石山西麓に位置した。稲倉石鉱山は山師の大井嘉蔵、猪股五兵衛、和田清作が1885年7月(明治18年)に稲倉石の沢にて蒔材を流送中に金鉱石を偶然発見したことに始まり、当初は金山と銀山であったが昭和初期から日本有数のマンガン鉱山となり1960年(昭和35年)ごろが最盛期であった。大江鉱山と稲倉石鉱山はともに北進鉱業株式会社の経営する鉱山で大江鉱山が本山で稲倉石鉱山がその支山となっている。稲倉石鉱山では月に2,500tのマンガン鉱を出鉱し手選の上送鉱していた。1984年(昭和59年)閉山した。その後有限会社三和砕石が砕石の露天掘りを行っていた。 | |
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@有限会社三和砕石の鉱山設備。 | |
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@有限会社三和砕石の鉱山設備。 | |
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@有限会社三和砕石の鉱山設備。 | |
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A有限会社三和砕石の鉱山設備。 | |
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A有限会社三和砕石の鉱山設備。 | |
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Bここから先は徒歩で探索です。YouTube動画リンク | |
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B奥に見える場所が砕石場です。 | |
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C川を渡る橋です。地図上の位置を特定するのに最適です。 | |
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D川の対岸はコンクリート擁壁になっている。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。煉瓦造りの遺構が残る。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。煉瓦造りの遺構が残る。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。煉瓦の刻印は確認出来なかった。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。煉瓦造りの遺構が残る。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。煉瓦造りの遺構が残る。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。コンクリート造りの遺構が残る。 | |
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E稲倉石鉱山施設跡。コンクリート造りの遺構が残る。 | |
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F有限会社三和砕石の採石場全景。 | |
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F有限会社三和砕石の砕石鉱山施設跡。 | |
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F有限会社三和砕石の砕石鉱山施設跡。 | |
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F有限会社三和砕石の砕石鉱山跡。 | |
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F有限会社三和砕石の砕石鉱山跡にレールが残る。 | |
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F有限会社三和砕石の砕石鉱山跡に野良煉瓦が落ちていた。 | |
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G有限会社三和砕石の砕石鉱山跡。 | |
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G有限会社三和砕石の砕石鉱山跡。 | |
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G有限会社三和砕石の砕石鉱山施設跡。 | |
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G有限会社三和砕石の砕石鉱山施設跡。 | |
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G有限会社三和砕石の砕石鉱山施設跡。 | |
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