更新日時 2014年08月15日

富士登山バスツアー
 富士山(ふじさん、英語表記:Mount Fuji)は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高3,776mの日本最高峰(剣ヶ峰であるとともに、日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。 1952年(昭和27年)に特別名勝に指定された。富士山の優美な風貌は、日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている。芙蓉峰(ふようほう)・富嶽(富岳、ふがく)などとも呼ばれる。古来より霊峰と呼ばれ、富士山を開いたのは富士山修験道の開祖とされる富士上人であると伝えられる(『本朝世紀』)。富士山は多くの人々の信仰を集め、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。江戸時代後期の1800年(寛政12年)まで富士山は女人禁制であった。富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季には富士登山が盛んである。富士山の登山は最古の富士登山道である村山口から発展した。山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃しかなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10℃未満のツンドラ気候に分類される。今回は、サンシャインツアーの富士登山バスツアーのフリースタイル(フリープラン)に参加しました。
富士登山2011バスツアーの集合場所は新宿の工学院前に7:10集合、7:30出発です。
バスは談合坂サービスエリアで20分間のトイレ休憩。8:53着。
@富士山五合目に10:17着。雲上閣の3Fに更衣室があり利用できます。
@五合目はペットボトルの水が200円、350mlの缶ビールが400円。トイレ利用は50円(水洗トイレ)
 @五合目の小御嶽神社で富士登山の安全を祈願してお参りです。小御嶽神社:富士山吉田口五合目(小御岳)に鎮座。磐長姫命(木花咲耶姫の姉)を祭っている。小御岳は現在の富士山が形成される以前の山であり、山岳信仰の霊地として今より千年以前の承平七年に創建されたものと伝わる。また、五合目にあるお宮は、以前は鳴沢村にある魔王天神社にあった古太郎坊(こたろうぼう)という小祠(しょうし)を、遷座し小御岳権現と称したものが元になっている。
 @小御嶽神社隣のお食事処で焼きそば700円を食べました。雲上閣周辺はかなり混んでいますが、このお店は神社の隣に有るせいか空いています。混むのが嫌いな方には穴場でお勧めです。
 @10:51登山開始です。ガイド付きのツアーは五合目の空気(気圧)に慣れるため12時出発ですが、フリープランなので、登山開始は自由に決められます。
 @六合目の手前までは馬車や馬でも行けます。馬車や馬を利用する人は富士登山観光や下山時に疲れた方が利用されている様です。(帰りの六合目から五合目のだらだら上りの坂が結構疲れます)
A写真を撮影しながらの登山です。気温は快適でこの辺は半袖でも大丈夫です。(時間10:55)
Bこの石畳までのこの辺までは緩やかな下りです。この下りが帰りは上り体力を消耗します。(時間10:59)
C泉ヶ滝の分岐点。右が富士山頂への登山道。(標高2,275m)泉ヶ滝の水は有りません。(時間11:03)
D小学校低学年の遠足で富士登山です。六合目まで登るそうです。(時間11:05)
E下山で疲れた方が馬を利用しているようです。(時間11:09-15)
F六合目の富士山安全指導センターで富士登山の案内や軽装の方への指導等をしています。(時間11:18)
F六合目の仮設トイレは200円です。水鉄砲で流します。
 F富士山吉田口登山道 五合五勺 砂ふるい:吉田口には、かつて八合目からここ五合五勺の「砂振」まで「ハシリ(走り)」と称する下山道がありました。下山道は火山灰の砂地を一気に駆け下り、砂振の小屋に到着すると、ここで傷んだわらじを新しいわらじに履き替えました。この場所はむかしから「砂ふるい」「砂はたき」「砂はらい」などと呼ばれていましたが、いずれも体に付着した富士山の砂をふるい、はたき落とすという意味からきています。ここは江戸時代まで五合五勺でしたが、現在は六合目となっています。なお、現在の下山道は登山道の東側のルートに付け替えられています。
G富士吉田ルート六合目の登山道と下山道(下山ルート)の分岐点。(時間11:27)
H吉田ルートの登山道(時間11:36)
I吉田ルートの登山道(時間11:54)
J七合目の花小屋(時間12:06)
J七合目の花小屋の山犬(笑)
K七合目の花小屋と日の出館の間の登山道。富士山頂まで3.8q(295分)(時間12:09)
K七合目の日の出館(時間12:11)
K七合目の日の出館とトモエ館の間の登山道(時間12:14)
 L七合目のトモエ館:トモエ館という名は、小屋所有者の家紋から来ている。この小屋は昭和30年に五合目の天地境館から移築された。この小屋の守り神は、柱に彫られた天招光大黒天である。これは、大黒天を信仰している人が小屋を御旅所にしていたことに縁があると言われる。大黒天はもともとヒンドゥの神であったが、日本では神道の大国主と神仏習合して、七福神の中の豊穣の神とされるようになった。焼印にも大黒天が描かれている。(時間12:16)
L七合目のトモエ館と鎌岩館との間の登山道(時間12:20)
 M七合目の鎌岩館:鎌岩館という名前は、七合目一帯の岩場を指す「鎌岩尾根」から来ている。漢字としては釜岩、神満岩などと書かれたりもするが、その名前の由来は、尾根の形が鎌状に曲がっているからとか、岩場を遠くから見ると梵字の「カンマン」という字に見えるからなど、諸説がある。鎌岩という言葉が初めて登場するのは福徳3年(1491年)でこの尾根に存在する小屋の記録としては、天文4年(1739年)の「かま岩小屋売渡証文」というものが発見されている。確実に鎌岩館の事が書かれているものには、万延元年(1860年)の「富士山道知留辺」があり、茶屋として親しまれていたことが書かれている。(時間12:25)
N七合目の鎌岩館と富士一館との間の登山道(時間12:28)
 N七合目の富士一館:富士一館の名前の由来は、「富士山の山小屋の中で近代的に建てられた一番の小屋」というものである。昭和15年(1940年)に火災があり小屋が焼けてしまったが、当時の山小屋は「石室」と呼ばれており、小屋の四方は石で覆われ、出入口以外は窓も無いようなものであった。そのような時代に近代的な建築を山小屋に導入した小屋の一つが富士一館であった。現在の小屋は2010年に完成したもので、これもまた富士山で一番新しい小屋となっている。富士山頂まで3.4q273分。(時間12:30)
O七合目の富士一館と鳥居荘との間の登山道(時間12:37)
 O富士山の高山植物。イワツメグサ(左写真)これは7合目あたりまで見ることが出来る。1cm程度の可憐な花です。富士山以外にも日本アルプスの高いところとかで見れる。また、富士山でも一番高いところまで見られるもののひとつで、高山植物の代表的なものの一。オンタデ(右写真)これもかなりの高度まで見れる。木曽の御嶽に生息することからオンタデという名前がついている。オンタデも富士山の高山植物を代表するものの一つ。
 O鳥居荘:明治の中頃にこの小屋を所有していた主人である和光政吉は、麓の北口本宮富士浅間神社の大鳥居を60年に一度建て替えるのにあたり、明治26年(1893年)の責任者として寄付を集めたり、様々な活動を行った人物であった。彼はその縁で自分の山小屋にも鳥居を築き、鳥居室(後に鳥居荘)としたのである。標高2900m(時間12:40)
P七合目の鳥居荘と東洋館との間の登山道。富士山頂まで3.2q262分。(時間12:41-45)
P七合目の東洋館。ここから寒くなるのか山小屋の入口は閉め切りになる。(時間12:48)
Q七合目の東洋館と八合目の太子館との間の登山道。(時間12:59)
 R太子館:聖徳太子(別名厩戸皇子:うやまどのおうじ、574年〜622年)は飛鳥時代の皇族で、推古天皇の時代に摂政を務めた人物であるが、その功績から、後世に多くの伝説が生み出されている。そのうちのひとつが富士山に関わるもので、甲斐の黒駒にまたがり富士山に登った、という話である。その際に休憩をした場所が、現在の太子館が建っている場所だと言われている。太子館という名前は、この伝説から名付けられたものである。このような理由で、太子館の中には聖徳太子が祀られている。太子館の焼印はこの伝説にちなんで、馬蹄形のものになっている。標高3100m(時間13:11)
S八合目の太子館と蓬莱館との間の登山道。(時間13:24)
S八合目蓬莱館。(時間13:27)
S蓬莱亀岩八大龍神。富士山頂まで2.6q189分。(時間13:29)
@八合目の蓬莱館と白雲荘との間の登山道。(時間13:43)
A八合目白雲荘。海抜3250m(時間13:48)トイレ200円。
B八合目の白雲荘と元祖室との間の登山道。(時間13:52)
B富士山天満宮、鳥帽子岩神社。(時間13:57)
 B八合目元祖室。(時間13:59)食行身禄:身禄は本名を伊藤伊兵衛といい、もともと伊勢生まれで13歳で江戸の出て、17歳の時に富士講の道に進み、食行という行名を授かった。食行とは断食行のことであり、彼は3日間の断食の最中に富士登山をしたと言われている。彼は45回もの富士登山を行い、御中道という富士山の五合目あたりの高さを一周する修行を3度行った。ある時、食行が瞑想をしていると、「食行身禄」という声が聞こえ、その時から身禄という名を行名に加えた。身とは身についた職のことであり、禄とは天から与えられる幸せのことである。彼は、人間の体は天からの授かりものであり、死ねば天に返さなければならないのであるから、身につけた職で精一杯正しく働くことで天と一体となって救われると考え、目先の利益を求めて楽するという考えを戒めた。勤勉に働くことが最も重要で、身分や男女の別は問題ではないと考えは、士農工商の身分制度があり、男女差別が当たり前で富士山も女人禁制である江戸時代にしては極めて画期的な考えであった。「みろく」という音は、仏教において56億7000万年後に衆生済度のために現れるといわれる弥勤菩薩のことを思い起こさせるが、身禄の心には万民を救いたいという願いがあったと考えられている。
C八合目の元祖室と冨士山ホテルとの間の登山道。元祖室上。下江戸屋方面との分岐点。(時間14:05)
D八合目の冨士山ホテル。標高3400m。(時間14:20)
D本八合目の冨士山ホテル。(時間14:23)
D本八合目のトモエ館。海抜3400m。(時間14:26)
 D本日宿泊先の本八合目の上江戸屋(胸突江戸屋)。海抜3400m。登山開始から約3時間40分。(時間14:26)
 D夕食は一番早い時間の16:30分からでハンバーグカレーが出ました。食事の時間は30分間隔で早く到着した人から交代制。缶ビールは600円。アルコール類を頼む人は殆どいませんでした(笑)この他にも持ってきた缶酎ハイを1本飲みました。
 Dハンバーグカレーでは足りないので追加でカップ焼きそば600円とカップヌードル600円、コーンスープ400円を食べる。
 D寝床は3段ベットで、1人分のスペースはフック1個分(60cm位)荷物はフックに掛ける。この日は満室状態で約200名ほどの人が泊まりました。ベット内での飲食は禁止。20:30分消灯。登山の最中は高山病になりませんでしたが、食事後、私と息子は頭痛で悩まされました。私の場合は軽い方で二日酔いのような感じの頭痛です。息子は初めての高山病で携帯酸素をベットの中で数分おきに吸引していて殆ど仮眠できなかった様です。高山病の場合は食事はあまり取らない方が良いと言っていました。それを早く言ってよ(笑)
 E翌日早朝1:00に上江戸屋(胸突江戸屋)を出発。真っ暗なので、ヘッドライトまたは懐中電灯が必要です。登山では両手が使えるのでヘッドライトがお勧めです。私は廃線探索用の小型のLEDライトを使用。(時間01:10)
F八合五勺に到着。(時間01:19)
G九合目に到着。ここまでかなりの急斜面で、途中の休憩の回数が増えます。(時間01:42)
H山頂に到着です。(時間02:29)
H山頂には自販機があり、寒い早い時間に到着した場合、お店が開いていないので助かりました。
 H風が強く山頂はかなり寒いので、風の避けられる場所で休憩です。売店は03:00に開いて、暖かい甘酒を飲みました。食堂は03:30に開いて、そこで天ぷらうどんとコーンスープ、味噌汁、ホットコーヒーと暖かいものを次から次へと頼み暖を取ります。食堂の外では我慢できないぐらいの寒さです。
 H日の出近くまで、食堂で暖を取りましたが、霧でご来光が見られそうもないので、お鉢参りに出発です。(時間04:46)
I須走口の下山道との分岐点。(時間04:48)
Jお鉢周り。霧で何も見えません(笑)伊豆岳周辺。(時間04:59)
Kお鉢周り。霧で何も見えません(笑)(時間05:02)
Lお鉢周り。霧で何も見えません(笑)朝日岳周辺。(時間05:04)
Mお鉢周り。殉職の碑他。(時間05:07)
Mお鉢周り。NTT設備。(時間05:11)
N富士山頂浅間大社銀名水。(時間05:17)
N銀名館。 N御殿場口下山道砂走り。
O山頂郵便局。(時間05:22)
O浅間大社奥宮。(時間05:24)
P富士山特別地域気象観測所。2004年秋から無人となり観測は自動で継続。
P富士山二等三角点:この標石は「三角点」といい、地球上の位置が正確に求められています。三角点は、地図作りや色々な測量の基準として利用され、大変重要な役割を果たしています。この三角点は日本一高い霊峰・富士山頂に位置することから、多くの人々に親しまれています。(時間06:20)
P日本最高地点に立つ。(時間06:21)
Qお鉢周り。霧で何も見えません(笑)(時間06:39)
Rお鉢周り。霧で何も見えません(笑)強風が凄いです。(時間06:45)
Sお鉢周り。霧で何も見えません(笑)(時間06:52)
Hお鉢周り終了。(時間06:57)
I07:04富士山頂から下山開始。
@吉田ルート下山道(時間07:16)
A吉田ルート下山道(時間07:24)
B吉田ルート下山道。八合目の下江戸屋、須走口と吉田口の分岐点。(時間07:48)
C吉田ルート下山道。(時間07:50)
D吉田ルート下山道。(時間08:19)
E吉田ルート下山道。(時間08:41)
F吉田ルート下山道。荷物を運ぶブルドーザー。(時間08:51)
G吉田ルート下山道。建設資材を運ぶキャタピラーダンプ。(時間08:55)
H吉田ルート下山道。七合目公衆トイレ。(時間08:57)
I吉田ルート下山道。(時間09:11)
J吉田ルート下山道。疲れた方はここから五合目まで馬で帰れる。(時間09:12)
G吉田ルートの下山道と登山道がここで合流。(時間09:19)10時に五合目到着。
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