更新日時 2026年07月29日

大神山平射砲台跡
 大神山平射砲台跡:1920年代から大日本帝国陸軍によって砲台などの軍施設が建設され、太平洋戦争の頃には更に増強が進んで父島要塞となった。二見湾に狙いを向けた十二糎砲が2門据えられていた。砲座の壁には砲員名簿が残り壕の中で生活ができるように、釜戸、水槽、発電機、電球などの残骸も残る。飯盛山近くの洲崎地区には大日本帝国海軍の飛行場(洲崎飛行場)が建設された。 現在でも夜明山や衝立山などには、日本軍施設・塹壕・砲台の跡、高射砲などの残骸が残っている。戦後はアメリカの支配下に置かれ、建設された米海軍の施設には1965年まで核兵器が貯蔵されていたとされる。1968年に日本に返還され小笠原諸島振興開発特別措置法により10年間で約300億円規模の公共事業などが実施された。
@大神山平射砲台跡のトーチカ。
@大神山平射砲台跡のトーチカ。
@大神山平射砲台跡のトーチカ内部。レールが複線で残る。
A大神山平射砲台跡。
A大神山平射砲台跡。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『小笠原村』を掲載」