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更新日時 2020年07月12日

煉瓦構造物 野蒜築港煉瓦
 野蒜築港は、明治初期に仙台湾に面する桃生郡を中心に行なわれた港湾建造事業。鳴瀬川河口に内港、浜市村に新市街、野蒜村に外港を設けるという港湾建設のみならず、運河・鉄道・道路の新設も行って水上・陸上の物流ネットワークをつくり上げる計画であった。日本初の近代港湾の建設であり、明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていたが、完成から3年後に台風で突堤が崩壊し、施設はそのまま放棄された。現在では土木学会選奨土木遺産となっている。また、三国港、三角港とともに明治三大築港とされる。現在では「幻の港」と呼ばれることも。新鳴瀬川の両岸には、煉瓦作りの橋台跡が残っている。市街地との往来のため3カ所に架橋されたが、いずれも橋は残っていない。また、地固めに使われた巨大な石のローラーが残されている。気象情報を提供するために東北地方初の気象観測所となる測候所が設置され、跡地には記念碑が立っている。河口近くの左岸には小さな公園が整備され、鳴瀬川の右岸河口近くの新町コミュニティセンターには、築港計画関連資料を展示した野蒜築港資料室があったが2011年の東日本大震災の際に津波被害を被り、新町コミュニティセンターは破壊されて使用不能となり資料の多くが失われた。煉瓦の橋台も一部が流失・損壊した。
野蒜築港煉瓦
@野蒜築港煉瓦。
@野蒜築港煉瓦。
@野蒜築港煉瓦。
@野蒜築港煉瓦。
@野蒜築港煉瓦。
煉瓦の平面が多く出ていますが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
@野蒜築港煉瓦。
煉瓦の平面が多く出ていますが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
@野蒜築港煉瓦。
煉瓦の平面が多く出ていますが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
A野蒜築港煉瓦。
A野蒜築港煉瓦。
A野蒜築港煉瓦。
煉瓦の平面が多く出ていますが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
A野蒜築港煉瓦。
煉瓦の平面が多く出ていますが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B野蒜築港跡。
C野蒜測候所跡。
C野蒜測候所跡の門柱。
煉瓦の平面には煉瓦の刻印が確認出来なかった。
C野蒜測候所跡の門柱。
門柱の小口に煉瓦の刻印を確認。小口に煉瓦の刻印は珍しいですね。アプトの道の隧道煉瓦と九州の小菅修船場跡で小口に刻印があった。
C野蒜測候所跡の門柱。
門柱の小口に煉瓦の刻印を確認。□に中の煉瓦の刻印。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『東松山市』を掲載」