更新日時 2013年07月02日

 北陸鉄道能登線は、石川県羽咋市の羽咋駅から同県羽咋郡富来町(現・志賀町)の三明駅の間を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線である。もともと沿線の人口が少ない路線ではあったが、1960年代には沿線の過疎化やモータリゼーションの進行により累積赤字が膨らみ、北陸鉄道の経営合理化のため1972年(昭和47年)6月25日全線廃止となった。能登線は北陸鉄道の鉄道線で唯一の非電化路線であった。廃線後、廃線跡のほとんどの区間は自転車道(石川県道293号羽咋巌門自転車道線)として整備されている。車両基地は羽咋駅構内にあり、1969年時点で気動車5形式7両とディーゼル機関車1両が所属していた。列車は羽咋 - 三明間に14往復(1往復は急行)、羽咋 - 能登高浜間に4往復が設定されていた。ラッシュ時には2両編成が走るが、その他の時間帯は単行での運転であった。また、夏季には海水浴客のために能登高浜まで、正月には初詣客のために能登一ノ宮まで、金沢からの直通臨時列車が乗り入れていた。それに備えて、両駅のプラットホームはかなり長いものであった。
北陸鉄道能登線(廃線)
羽咋駅 - 能登一ノ宮駅 - 滝駅 - 柴垣駅 - 甘田駅 - 大島駅 - 能登高浜駅 - 志賀町駅 - 堀松駅 - 大笹駅 - 米駅町 - 直海駅 - 三明駅
北陸鉄道能登線羽咋駅の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
 @羽咋駅(はくいえき)は石川県羽咋市川原町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)七尾線の駅である。特急列車を含むすべての列車が停車する。
 @羽咋駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎は西口と東口の2つが存在する。西口は古くからあり、単式ホームの1番のりばに面したコンクリート平屋建てでコンビニエンスストアや事務室などがあって大きい。東口のものは小さくて新しく2011年4月現在、6時30分から10時30分と15時10分と21時10分しか利用できない。改札口前に有料駐車場がある。駅舎と各ホームは跨線橋で連絡している。七尾鉄道部管理の直営駅で、みどりの窓口設置駅。
@北陸鉄道能登線の羽咋駅跡。
A北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。
B北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。
C北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。国道249号線の跨線橋を潜る。
D北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。
E北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。
F北陸鉄道能登線の羽咋駅 - 能登一ノ宮駅間の廃線跡。
北陸鉄道能登線能登一ノ宮駅の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
 G能登一ノ宮駅(のといちのみやえき)は、石川県羽咋市一ノ宮町に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。気多大社の最寄駅で、正月には初詣客で賑い、国鉄七尾線・能登線から直通の臨時列車も運転されていた。駅構造は単式ホーム1面と側線2本を有し、うち1本は上下両方向から出入りが可能だった。1964年(昭和39年)にこの側線にホームを新設して正月のみ交換駅とし、それ以外は羽咋駅 - 柴垣駅間を併合していた。駅跡は資材置き場となっている。気多大社へ向かう道路に建てられた鳥居は今も残されている。
H北陸鉄道能登線の能登一ノ宮駅 - 滝駅間の廃線跡。
 I滝駅(たきえき)は、石川県羽咋市滝町に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は滝漁港のすぐ前に位置し、海側に木造駅舎があった。島式ホーム1面2線の交換可能駅で、貨物側線1本を有していた。
J北陸鉄道能登線の滝駅 - 柴垣駅間の廃線跡。
K北陸鉄道能登線の滝駅 - 柴垣駅間の廃線跡。
L北陸鉄道能登線の滝駅 - 柴垣駅間の廃線跡。
北陸鉄道能登線滝駅 - 柴垣駅間の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
北陸鉄道能登線柴垣駅の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
 M柴垣駅(しばがきえき)は、石川県羽咋市柴垣町に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。能登線の能登高浜駅以南は海沿いの区間を走るため、沿線に海水浴の適地が点在したが、当駅に近い柴垣海水浴場は最も規模が大きく、夏季には国鉄七尾線から直通の海水浴臨時列車が運転されて賑いを見せた。駅構造は島式ホーム1面2線の交換可能駅で、貨物側線1本を有していた。前述の臨時列車に対応するため、ホームは国鉄の20m級客車7両分の長さがあった。
N北陸鉄道能登線の柴垣駅 - 甘田駅間の廃線跡。
O北陸鉄道能登線の柴垣駅 - 甘田駅間の廃線跡。自転車道甘田橋。
O北陸鉄道能登線の廃線跡。自転車道甘田橋は鉄筋の代わりに炭素繊維が使われている。
 P甘田駅(あまだえき)は、日本国石川県羽咋郡志賀町甘田に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅(無人駅)。
Q北陸鉄道能登線の甘田駅 - 大島駅間の廃線跡。
 R大島駅(おしまえき)は、石川県羽咋郡志賀町大島に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は旅客ホーム1面1線と側線2本を有していた。線路跡のサイクリングロードが駅跡の部分だけ広くなっている。
S北陸鉄道能登線の大島駅 - 能登高浜駅間の廃線跡。
@北陸鉄道能登線の大島駅 - 能登高浜駅間の廃線跡。跨線橋になっている。
A北陸鉄道能登線の大島駅 - 能登高浜駅間の廃線跡。
B北陸鉄道能登線の大島駅 - 能登高浜駅間の廃線跡。
C北陸鉄道能登線の大島駅 - 能登高浜駅間の廃線跡。
北陸鉄道能登線能登高浜駅の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
 D能登高浜駅(のとたかはまえき)は、石川県羽咋郡志賀町高浜町に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線と海側2本・山側1本の計3本の側線を有し、構内の有効長は200m以上あり、山側の側線も初詣や海水浴の臨時列車を留置するため国鉄の20m客車7両分の有効長があった。廃止翌年の1973年(昭和48年)2月10日に高浜バスターミナルが設置され、鉄道代替バスや七尾駅、能登部駅を結ぶ路線バスのほか、周辺のコミュニティバスが発着している。 バスターミナル待合室には現在、当駅の駅名表示板や1970年(昭和45年)4月1日改定の運賃表、高浜地区の当時の観光案内図も掲示され、レトロな雰囲気を醸し出している。
E北陸鉄道能登線の能登高浜駅 - 志賀町駅間の廃線跡。志賀町役場前。
F北陸鉄道能登線の能登高浜駅 - 志賀町駅間の廃線跡。
G北陸鉄道能登線の能登高浜駅 - 志賀町駅間の廃線跡。
 H志賀町駅(しかまちえき)は、石川県羽咋郡志賀町末吉に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。
I北陸鉄道能登線の志賀町駅 - 堀松駅間の廃線跡。
J北陸鉄道能登線の志賀町駅 - 堀松駅間の廃線跡。
K北陸鉄道能登線の志賀町駅 - 堀松駅間の廃線跡。
L北陸鉄道能登線の志賀町駅 - 堀松駅間の廃線跡。
 M堀松駅(ほりまつえき)は、石川県羽咋郡志賀町堀松に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。線路跡のサイクリングロードは国道249号の改良によってこのあたりから堀松交差点の先まで一旦途切れている。
N北陸鉄道能登線の堀松駅 - 大笹駅間の廃線跡。
O北陸鉄道能登線の堀松駅 - 大笹駅間の廃線跡。
P北陸鉄道能登線の堀松駅 - 大笹駅間の廃線跡。志賀ロードパークになっている。
Q北陸鉄道能登線の堀松駅 - 大笹駅間の廃線跡。
R北陸鉄道能登線の堀松駅 - 大笹駅間の廃線跡。
 S大笹駅(おおざさえき)は、石川県羽咋郡志賀町大笹に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。能登線全駅の中で最後に開業した駅であった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。線路跡はサイクリングロードとなり、駅跡には大笹バス停が設置されている。
@北陸鉄道能登線の大笹駅 - 米駅町間の廃線跡。
 A北陸鉄道能登線の大笹駅 - 米駅町間の廃線跡。この場所でねずみ取りをしていた。叫び柵の部分に警察官とレーダーが見える。写真撮影の為止めた車の真横にレーダーが設置されていた。もしかして邪魔ですかと聞いて、写真1枚だけ取らせてくださいと言って直ぐに移動した。DASH!ステルス式なのか車に設置していた探知機は反応しなかった。注意
B北陸鉄道能登線の大笹駅 - 米駅町間の廃線跡。
C北陸鉄道能登線の大笹駅 - 米駅町間の廃線跡。
 D米町駅(こんまちえき)は、石川県羽咋郡志賀町米町に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。1927年(昭和2年)に能登鉄道の能登高浜駅から三明駅までの間が開業した際の唯一の中間駅で、列車交換が可能であった。駅構造は島式ホーム1面2線と貨物側線1本を有し、木造の駅舎があった。駅跡はサイクリングロードとなっており、米町バス停が設置されている。
E北陸鉄道能登線の米駅町 - 直海駅間の廃線跡。
F北陸鉄道能登線の米駅町 - 直海駅間の廃線跡。
 G直海駅(のうみえき)は、石川県羽咋郡志賀町直海に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。北陸鉄道合併後の1950年(昭和25年)になって開設されており、能登鉄道の三明延長から20年以上が経過していた。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。線路跡はサイクリングロードとなり、駅跡には直海バス停が設置されている。なお石川県内の民放局では、能登線廃止から10年近く経過した後も「羽咋郡直海駅前」と所在地を紹介する電器店のTVコマーシャルが流れていた。
H北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
I北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
J北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
K北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
L北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
M北陸鉄道能登線の直海駅 - 三明駅間の廃線跡。
北陸鉄道能登線三明駅の当時の写真。上記写真は懐想「石川の鉄道」より転載。
 N三明駅(さんみょうえき)は、石川県羽咋郡富来町(現志賀町)三明に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。能登線の終点で、当初の計画ではさらに富来を経て輪島へ到る予定だったが、資金難によって当駅から先への延長は果たせなかった。
 N三明駅構造は島式ホーム1面2線と機回し線、機関車駐泊庫、給水設備を備え、貨物ホームは北陸鉄道では最大規模の延長が100mを越えるものだった。サイクリングロードの休憩所として整備されており、駅跡であることを示す石碑も設置されている。
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出典: 懐想「石川の鉄道」
廃線探索 北陸鉄道能登線