更新日時 2016年02月15日

廃線探索 三木鉄道三木線
 三木鉄道株式会社(みきてつどう)は、兵庫県で旧国鉄特定地方交通線の鉄道路線三木線を2008年3月まで運営していた三木市・兵庫県などが出資の第三セクター方式の鉄道会社である。本社は兵庫県三木市福井二丁目12番43号。三木線廃止後、清算会社となっている。三木鉄道が運営していた三木線は、2002年に芝山鉄道が開業するまで、広義の第三セクター鉄道の中では、営業距離が日本で最も短い鉄道であった。三木市から神戸市内へ向かう旅客は神戸電鉄粟生線を利用し、加古川線に接続している三木線は旅客の動きに合っていないことから、第三セクター転換後も乗客の減少が続き慢性的な赤字に陥っていた。経営改善を図るため、約800m離れている三木鉄道の三木駅と神戸電鉄三木駅との間にJR北海道が開発中の線路と道路の両方を走行可能なデュアル・モード・ビークル (DMV) の導入を検討事項の一つに挙げていた。しかし、経営支援を行っている三木市で2006年1月に行われた市長選挙の争点となり、市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約の一つに掲げて当選した薮本吉秀新市長が社長に就任した。その後9月から10月にかけて行われた市民アンケートでも廃止賛成が70%に対して、存続が11%の結果が出た。また外部監査の結果でも経営の継続は困難であり、今後20年間の存続に必要な支援額が20億円に上るとの試算が11月29日に出された。これらを受け対策協議会が最終会合で「廃止してバスで代替すべき」との結論を確認。オブザーバーとして参加した県や加古川市は12月21日、「結論はやむを得ない。」とコメントしている。なお、2006年度には5400万円の経常赤字を出している。2007年3月1日の市議会および4月26日の三木鉄道の取締役会で三木線全線の廃止を正式に決定。7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に全線が廃止された。最終日には多くの人々が詰め掛けた。
三木鉄道 三木線(廃線)
厄神駅 - 国包駅 - 宗佐駅 - 下石野駅 - 石野駅 - 西這田駅 - 別所駅 - 高木駅 - 三木駅
 @三木駅(みきえき)は、兵庫県三木市福井2丁目にあった三木鉄道三木線の駅である。三木線の終点となっていた。(2008年廃駅)
 @三木駅構造は基本的には駅舎に接して単式ホーム1面1線のある構造であったが、高木側に切欠ホームがあるため、1面2線になっていた。この切欠ホームは元は貨物用で、1999年(平成11年)に列車を増発する際新しく線路を敷きなおしてつくられたものである。のりばは単式ホームが1番線、切欠ホームが2番線であったが、切欠ホームの2番線は朝の列車1本のみ使っていた。当駅はその他車両留置用の側線1本をもち、これは構内の手前で本線から分岐し、構内奥にある車庫に至っていた。夜間滞泊も設定されていた。駅舎は木造瓦葺平屋建て、古くからのものとなっており、内部の旅客が立ち入ることのできる部分には広い待合所のほか出札口があった。当駅は三木鉄道で唯一の直営駅であった。三木鉄道では普通運賃の収受は基本的に車内での精算によるものとされ、当駅の出札口では入場券、定期券、回数券、記念乗車券およびアイドル木村裕子のCD等を販売していたが、鉄道線内の片道及び往復乗車券の販売はしていなかった。ただし、廃止直前は乗客の増加に伴い、厄神駅までの半硬券の相互式の往復乗車券を発売した。また、廃止最終日には、厄神駅までの250円区間の軟券の普通乗車券を発売した。
@三木鉄道記念公園展示のヘッドマーク。
@三木鉄道記念公園展示品の切符類。
@三木鉄道記念公園展示品の銘板。
@三木鉄道記念公園展示品の写真。
@三木鉄道記念公園展示品の写真。
@三木鉄道記念公園展示品の写真。
 @車止め:列車が、万が一停止する場所を越えて走行した場合に、強制的に停止させるためのものです。三木鉄道では、営業開始から廃止の日まで安全運行され、幸いにもこの車止めが役立つことは有りませんでした。
 @信号機:出発信号機、停車中の車両が駅から出発することが出来るか、出来ないかを知らせるための信号機です。入替信号機:駅構内で車両の入れ替えを行う時に使われた信号機です。三木鉄道では、この信号機と無線交信により列車の入れ替え作業が行われていました。
@三木駅構内(三木鉄道記念公園)の廃線跡。
A構内信号機。 A10‰の勾配標。
A三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の三木橋梁。ここからが本格的な廃線探索です。
A三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の踏切跡。
B三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の廃線跡。10‰の勾配標。
B三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の廃線跡。橋台が残る。
B三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の廃線跡。12.5‰の勾配標。
C三木鉄道三木線の三木駅−高木駅間の廃線跡。
 C高木駅(たかぎえき)は、兵庫県三木市別所町高木にあった三木鉄道三木線の駅である。三木線が三木鉄道へ転換されてから開業した簡便な駅となっている。(廃駅)
 C高木駅構造は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。ほぼ東西に走る線路の北側に、簡単なホームを添えただけのつくりとなっている。隣の三木駅とはわずか600メートルしか離れておらず、ホームの三木方には三木駅の遠方信号機が立っている。開業以来無人駅である。そのため駅舎はなく、ホームの上に短い上屋があるのみとなっていた。ホームの別所方の端から坂が降りており、駅から外部へはこれを使う。駅の別所方には高木第一踏切があるため、線路を越えて南側に行くことができる。その他、ホーム上には公衆電話が設置されていた。
C三木鉄道三木線の高木駅−別所駅間の廃線跡。高木第一踏切。
D三木鉄道三木線の高木駅−別所駅間の廃線跡。国道175号線の下を潜る。
E三木鉄道三木線の高木駅−別所駅間の廃線跡。13‰の勾配標。
E三木鉄道三木線の高木駅−別所駅間の廃線跡。5.5qポスト。
E三木鉄道三木線の高木駅−別所駅間の廃線跡。8.3‰の勾配標。
F別所駅(べっしょえき)は、兵庫県三木市別所町東這田にあった三木鉄道三木線の駅である。(廃駅)
 F別所駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、ホームは線路の南側に設けられていた。ホームに接して古い木造駅舎が残されており、内部の旅客の立ち入ることができる部分には待合所があった。かつては当駅にも駅員が配置されていたが廃止直前には無人駅となっており、待合所の出札窓口は板で埋められてた。国鉄時代の末期は無人化後も出札口が残り、週に1日程度駅舎内で定期券の販売を行っていた。便所は改札外の西這田方にあり、男女共用の汲取式であるが、個室は閉鎖された。個室には和式全穴便器が設置されていた。
F三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。這田川橋梁。
G三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。
G三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の踏切跡。
G三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。5qポスト。
H三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。小型の水路を横断。
H三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。12.5‰の勾配標。
I三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。小型の水路を横断。
I三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の踏切跡。
J三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。4.5qポスト。
J三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の廃線跡。10‰の勾配標。
K三木鉄道三木線の別所駅−西這田駅間の踏切跡。這田第一踏切。
 K西這田駅(にしほうだえき)は、兵庫県三木市別所町西這田1丁目にあった三木鉄道三木線の駅である。三木線が三木鉄道へ転換されてから開業した簡便な駅となっている。(廃駅)
 K西這田駅構造は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。ほぼ東西に走る線路の北側に、簡単なホームを添えただけのつくりとなっている。開業以来無人駅であった。そのため駅舎はなく、ホームの上に短い上屋があるのみとなっていた。ホームの別所方の端から坂が降りており、駅から外部へはこれを使う。駅の別所方には這田第一踏切があるため、線路を越えて南側に行くことができた。高木駅や下石野駅などのホーム上には公衆電話があるが、当駅には設置されていなかった。
L三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。Lの勾配標が残る。
L三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。4qポスト。
M三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の踏切跡。
M三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。勾配標が残る。
N三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。12.5‰の勾配標が残る。
N三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。花尻川橋梁。
N三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の踏切跡。
O三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。石野橋梁。
P三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。12.5‰の勾配標が残る。
Q三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
Q三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の踏切跡。
R三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。800Rのカーブがここから始まる。
 R三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。蛇が廃線の真ん中に陣取っていてどいてくれません。叫び仕方なく迂回し後ろ側からも撮影。カメラ
S三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の廃線跡。
@三木鉄道三木線の西這田駅−石野駅間の踏切跡。小型の橋梁跡。
@石野駅(いしのえき)は、兵庫県三木市別所町石野3丁目にあった三木鉄道三木線の駅である。(廃駅)
 @石野駅構造は地上駅。線路はほぼ東西に走り、駅舎は南側に設けられている。駅舎の北側に単式ホーム1面1線を有するが、ホームの向かいには使われなくなったホームが朽ちた状態で残っている。駅舎は木造一階建て。屋根は新しくはなっているが、古くからの建物である。国鉄線だった頃は当駅にも駅員が配置されていたが、三木鉄道への転換後は無人駅となっており、駅舎は待合所部分のみが使われている上、待合所の出札口が板で埋められていた。 ちなみに、屋根は阪神淡路大震災で一部屋根瓦がホーム上にも落下するなど破損したため、修理されたものでった。 上り(厄神方)のホーム南側には、貨車の引込み線跡と推測できる箇所があったが、現在は民間に売却され建物が建っている。有人駅時代からの汲み取り式便所が残り、個室には和式全穴便器が設置されていた。
@三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。小型の水路がある。
A三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の踏切跡。
A三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。2.5qポスト。
A三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。小型の水路がある。
B三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。橋台が残る。
B三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。5‰の勾配標が残る。
C三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。枕木が残る。
C三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の廃線跡。小型の水路がある。小型の水路がある。
C三木鉄道三木線の石野駅−下石野駅間の踏切跡。
 D下石野駅(しもいしのえき)は、兵庫県三木市別所町下石野1丁目にあった三木鉄道三木線の駅である。三木線が三木鉄道へ転換されてから開業した簡便な駅となっている。(廃駅)
 D下石野駅構造は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。ほぼ東西に走る線路の北側に、簡単なホームを添えただけのつくりとなっている。線路は築堤の上を走っており、地平から見るとホームは高い位置にある。このためホームの宗佐方の端から階段が降りており、駅から外部へはこれを使う。階段を下りるとすぐに三木線のガードがあり、駅から線路をくぐって南側に行くことができる。開業以来無人駅である。そのため駅舎はなく、ホームの上に短い上屋があるのみである。ホーム上にはその他、公衆電話が設置されていた。
D三木鉄道三木線の下石野駅−宗佐駅間の廃線跡。
E三木鉄道三木線の下石野駅−宗佐駅間の廃線跡。
E三木鉄道三木線の下石野駅−宗佐駅間の廃線跡。
E三木鉄道三木線の下石野駅−宗佐駅間の廃線跡。
F三木鉄道三木線の下石野駅−宗佐駅間の廃線跡。
 G宗佐駅(そうさえき)は、兵庫県加古川市八幡町宗佐にあった三木鉄道三木線の駅である。三木線が三木鉄道へ転換されてから開業した簡便な駅となっている。(廃駅)ホームは撤去されている。 G宗佐駅(ウィキペディアより画像を拝借)
 G宗佐駅構造は単式ホーム1面1線のみをもつ地上駅。ほぼ東西に走る線路の北側に、簡単なホームを添えただけのつくりとなっていた。開業以来無人駅である。そのため駅舎はなく、ホームの上に短い上屋があるのみであった。ホームの下石野方からは脇へ坂が下りており駅から外部へはこれを使う。駅の下石野方には宗佐踏切があったので、駅から線路を越えて南側に行くことができた。その他、ホーム上には公衆電話が設置されていた。
H三木鉄道三木線の宗佐駅−国包駅間の廃線跡。橋台が残る。
H三木鉄道三木線の宗佐駅−国包駅間の踏切跡。
I三木鉄道三木線の宗佐駅−国包駅間の廃線跡。
J三木鉄道三木線の宗佐駅−国包駅間の踏切跡。
 J国包駅(くにかねえき)は、兵庫県加古川市上荘町国包にあった三木鉄道三木線の駅(廃駅)。建具の里国包への入口。国包駅構造は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、ホームは線路の北側にある。無人駅であった。駅舎はホームに接して設けられており、待合所やトイレ(汲取式)などが小さくまとめられた簡単なものとなっていた。この駅舎は鉄筋コンクリート造り1階建て、18平方メートルの建物で、大阪鉄道管理局の建築課によって設計された。昭和50年代から全国の無人駅には同様の駅舎が多数設置されているが、1976年(昭和51年)に建てられた当駅のものはその最初であり、無人駅における簡易な駅舎の設置の嚆矢となったとも言えるものである(当時はカプセル駅と呼ばれた)。駅舎の内部には椅子などが設けられていた。その他、駅の外部の駅舎脇には公衆電話が設置されていた。なお、駅舎内に設置されていたトイレは入口の前に木が生えて使用不能となり、閉鎖されていた。
K三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の踏切跡。
K三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の踏切跡。
L三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の踏切跡。
M三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の踏切跡。
M三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の廃線跡。0.5qポスト。
N三木鉄道三木線の国包駅−厄神駅間の廃線跡。
 O厄神駅(やくじんえき)は、兵庫県加古川市上荘町国包(くにがね)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線の駅である。三木鉄道との乗換駅であったが、同線は2008年4月1日で廃止となった。三木線が国鉄から三木鉄道へ転換してからは、当駅は国鉄(→JR)と三木鉄道の共同使用駅となっていた。
 O厄神駅構造は相対式2面2線で行き違い可能な地上駅。のりばは北西側から1番線、2番線である。以前は単式・島式複合の2面3線で、3番線は三木鉄道ホームであったが、三木鉄道の廃止後は2面2線で運用している。旧3番線の線路は三木線が三木鉄道に転換されて以降、構内の途中で一部が切られており、JRの線路から分断された状態となっていた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『三木市』を掲載」