更新日時 2016年01月11日
耶馬渓線(やばけいせん)とは、大分県中津市の中津駅から大分県下毛郡山国町(現中津市)の守実温泉駅に至る、大分交通が運営していた鉄道路線である。地元では「耶鉄」と称される。1913年に耶馬渓鉄道として開業。のちに大分交通の路線となった。山国川に沿って延びるこの鉄道は、沿線に青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を控えていた。1970年代に入り、沿線の過疎化による利用者の減少と道路整備が進んだこと、さらに国鉄中津駅の高架化(1977年完成)に伴う費用の応分の負担を要求されたことから、バス転換の方針が打ち出され、1975年に全線が廃止された。 | |
駅一覧廃止時点のもの 中津駅 - 八幡前(はちまんまえ)駅 - 大貞公園駅 - 上ノ原駅 - 諫山駅 - 真坂駅 - 野路駅 - 洞門駅 - 羅漢寺駅 - 冠石野(かぶしの)駅 - 耶馬渓平田駅 - 津民駅 - 耶鉄柿坂駅 - 下郷駅 - 江渕駅 - 中摩駅 - 白地駅 - 宇曽駅 - 守実温泉駅) |
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この車両は九州鉄道が設計した客車で、全部で47両製作されたもののうち37両目の車両です。国の鉄道(当時は鉄道院)の車両番号ブチ37として明治42年(1909年)に誕生したこの客車は、約20年間活躍した後、昭和4年に耶馬溪鉄道(大分交通耶馬溪線)に譲渡されました。この客車は昭和46年まで同線で活躍しました。 | |
@中津駅(なかつえき)は、大分県中津市大字島田219番地の2に所在する九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅である。北九州都市圏に属する中津市の代表駅で、JR九州直営駅である。特急列車を含む全ての列車が停車する。標高5.61m。 | |
@中津駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅である。 | |
@885系電車「白いソニック」 | @883系電車「ソニック」 |
Aドラックストアのこの敷地の角度は・・・ | Aドラックストアを過ぎると分岐部の形跡が残る。 |
A貴船神社の脇の空き地は位置的に廃線跡。 | Bファミリーマート近くより、中津駅方向を見る。 |
C国道213号線と耶馬溪線の廃線跡(県道675号線)の交差部。 | |
D沖代町バス停。 | E園田バス停。 |
F下に道路が通っている。昔からの築堤か? | G古城駅周辺 八幡前開設時に廃止。 |
H八幡前バス停。大分交通耶馬溪線の八幡前(はちまんまえ)駅周辺。標高26.48m。 | |
I大貞公園バス停。(旧)大貞公園駅? | J総合体育館入口バス停。 |
K歩道が廃線跡か? | K大貞公園南バス停。 |
L大分交通耶馬溪線の大貞公園駅周辺。大貞公園駅は中津駅から5.16qの為、この辺が駅と判断。標高32.63m。 | |
M県道675号線とこの部分で分かれている。 | N歩道が廃線部分か? |
O上ノ原バス停。大分交通耶馬溪線の上ノ原駅周辺。標高39.02m。 | |
P中津駅から7qの看板。 | P三光中学校入口バス停。諫山駅周辺? |
Q大分交通耶馬溪線の諫山駅周辺のはずだが痕跡は見あたらなかった。やはり上のバス停か?標高43.13m。 | |
R中津駅から8q。下諫山バス停。 | S下小袋バス停。 |
@臼木1号古墳。 | @臼木2号古墳脇の神社。 |
@臼木2号古墳。 | @中津駅から9q。 |
@臼木3号古墳:平成11年に調査が行われたこの古墳は、東北方面に開口した横穴式石室をもつ円墳です。玄室の規模は主軸長約3.0m、奥壁幅1.8m、中央部幅1.65m、前壁幅1.65m、奥壁残存高1.45mを測ります。奥壁は1.9m、高さ1.45mの大石を鏡石とし、両側壁は奥壁と同様に大石を配しています。床面は平坦で、径5〜30cmほどの川原石を敷き詰めています。羨道部は長さ約1.0mで、幅は羨門部で0.95m、玄門部で0.9mを測ります。閉塞石は奥壁から4.7mの位置で確認されました。臼木古墳は中津三光の古代史を語る上で重要な遺跡です。 | |
A真坂バス停。大分交通耶馬溪線の真坂駅周辺。標高52.97m。 | |
B水道橋? | Bこの駐輪場みたいなのは? |
C耶馬溪線の築堤が残っている。 | C中津駅から10q。 |
D国道212号線日田往還を跨ぐ耶馬溪線のガーター橋。 | |
E大分交通耶馬溪線の野路駅。ここに来て漸くはっきり解る遺構を発見。標高46.10m。 | |
E何故かレールが・・・ | F大分交通耶馬溪線の廃線跡。 |
F大分交通耶馬溪線の廃線跡。橋梁が残っている。 | F大分交通耶馬溪線の廃線跡。切り通し。 |
Gロックシェルド。大きさから廃線後に作られたと思われる。野路駅側。 | |
Gロックシェルド。大きさから廃線後に作られたと思われる。洞門駅側。 | |
G第1トンネル 長24.4m。野路駅側。 | |
G第1トンネル 長24.4m。洞門駅側。 | |
G第2トンネル 長長31.7m。野路駅側。 | |
G第2トンネル 長長31.7mm。洞門駅側。 | |
H耶馬溪線の廃線跡と水の洞門。 | H耶馬溪線廃線跡。 |
H耶馬溪線廃線跡。 | H水の洞門。 |
H水の洞門・川平間歩:荒瀬井堰は、下毛原台地真坂、山口、鶴居、大幡、三保、如水、和田、今津、旧八ヶ村百余町歩(後千町)の水田潅漑の悲願達成のため、旧中津藩主小笠原長胤が貞享3年(1686年)10月着工、藩の運命を堵けた大工事であった。中でも山国川沿いの岩山をうがった仏坂川平間歩(トンネル)は「堀り屑一升、銭一升」といわれた難工事で奉行片桐九大夫に命じて草本金山(現山国町)を閉鎖して採鉱夫150人を総動員して3年後の元禄2年(1689年)3月通水に成功した。ところが、川平間歩(千メートル)は岩質がもろく、永年の風化と近年の交通量増大振動による落石落盤ががひどく昭和56年竣工の総工費3億4千万円の付け替え新トンネルに「水の洞門」の役目をゆずり、292年間の通水を止め廃坑となりました。手堀りの当時のままの内部断面は幅・高さ平均2mの箱形で、一番間歩から九番間歩までサイクリング道(旧耶馬溪線跡)に沿って続いて土出口や手堀りののみの跡に300年前の難工事の跡が偲ばれる。青の洞門を30年かけて堀抜いた禅海はこの「水の洞門・川平間歩」の岩盤と堀方を手本にして46年後の享保20年(1735年)着工を決意したと言われている。 | |
I中津駅から12q。 | I国道212号線と交差し反対側へ。 |
J鮎帰りバス停。 | J国道212号線脇の歩道が廃線跡。 |
Kこの歩道は県道411号線の道路でした。 | K渋見バス停。 |
L大分交通耶馬溪線の仏崎トンネル 長57.3m 。野路駅側。県道411号線。 | |
L大分交通耶馬溪線の仏崎トンネル 長57.3m 。洞門駅側。県道411号線。国道のトンネルは渋見トンネル。 | |
L中津駅から13q。 | M南無阿弥陀仏。 |
M耶馬溪線時代からの階段か? | Mサイクリングロードは県道411号線。 |
Nこの橋も耶馬溪線時代の橋か? | N国道212号線の下を潜る。 |
N国道212号線の反対側に。 | O樋田バス停。 |
OJA農業倉庫。この辺が洞門駅か? | |
O上記写真は、はーさんの鉄道・旅・よしなし草 大分交通耶馬溪線(1964年)より転載。 洞門駅 1964年5月3日撮影。 |
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Oそれとも、この郵便局又は洞門パティオが洞門駅か?今後調査しよう。 | |
P耶馬溪橋(オランダ橋) | |
Pこの橋は、山国川にかかる観光道路、生活道路として大正9年から12年にかけて架橋されたもので、長崎県に多い石積方式であるため通称オランダ橋とも呼ばれている。架橋工事は、地元の岩渕万吉氏が請け負い、地元の石工、石材を使用し架橋された。その工事に要した費用は曽木地区の村山21人の共有林を売却しそれに当てたもので、その額は4万円と言われている。現在、我が国にはこれだけの規模の石橋はなく、8連、橋長116mは共に日本一である。架橋以来、永い間風水害に耐えてきたこの橋であるが、昭和19年の大洪水で大きな被害を受け橋面の高欄等が流失し、コンクリートにおいて復旧されていた。しかし、数年前より橋本体にひび割れ等が判明し、通行上非常に危険な状態で有ったため平成10年から11年にかけて当時の写真等を参考に補強、修復されたものである。 | |
P天然酵母パンのお店が橋の直ぐ近くに。 | P国道212号線の橋。 |
Q国道212号線の橋と県道411号線の橋。 | Qニャーがこちらを見て構えている。 |
R青の洞門と禅海和尚:今から230余年前、この付近は鎖渡(くさりど)と呼ばれ岩角に並べられた板を踏み鎖を伝って通行していた。このため人馬は足を踏み外して転落し、死傷することが多かった。越後の僧、禅海和尚は、仏道修行のため諸国遍歴の途中、この地にさしかかり、人々が難渋するのを見て、ついにこの大岸壁を堀抜こうという一大誓願を起こした。和尚は、村々を廻って熱心に説いたが、これに耳をかす者は誰一人としていなかった。和尚は独り鑿と鎚を手に大岸壁に向かったのである。村人達は狂人と嘲笑したが、念力堅固な和尚の鎚の音は日に月にさえ、年を重ねるごとに洞の深さを増していった。和尚の不動心はしだいに村人の心に浸み渡り、志用を喜捨したり、洞窟で鑿と鎚を振るう者もあり、仕事は大いにはかどってきた。和尚の念願に率いられた多くの人々の力が合して30年ついにこの洞門は完成した。貫通308歩(150m)以来ここを往来する幾千万の人々はことごとく和尚の余徳を受けているのである。今ではこの洞門を堀拡げ、処々に手を加えて旧態を改めいるが、一部はなお昔の面影を留めて、禅海一生の苦心を永久に物語っている。 | |
R耶馬溪線跡はメイプル耶馬サイクリングロードになっている。 | |
Rサイクリングロードの休憩場。 | R青の洞門入口。山国まで20q。 |
R国道212号線脇の歩道は県道411号線(サイクリングロード)は耶馬溪線の廃線跡。 | |
S大分交通耶馬溪線の羅漢寺駅周辺。 | |
@廃線跡は国道から離れて右へ。 | @行きは左、帰りは右の道を通ったが廃線跡は右の様だ。 |
Aさすがに右写真の岩の部分はカーブがきつすぎです。残念!上が廃線跡でした。 | |
Aそれでは上の道(耶馬溪線の廃線跡)にワープして(笑) | |
A先ほどの河原に出っ張っている部分が曽木トンネル 長30.2m。羅漢寺駅側。 | |
A曽木トンネル 長30.2m。冠石野(かぶしの)駅側。素堀のトンネルが良いですね。 | |
B耶馬溪線の廃線跡。 | B下にサイクリングロードが見えるが廃線跡は上。 |
C大分交通耶馬溪線の冠石野(かぶしの)駅周辺。 | |
D冠石野(かぶしの)駅 - 耶馬渓平田駅間の耶馬溪線の廃線跡。(県道411号線) | |
Eサイクリングターミナルまで7q。 | E銀杏の落葉が綺麗。 |
F耶馬溪線の橋梁が残っている。手摺り以外は当時の物か? | |
G冠石野(かぶしの)駅 - 耶馬渓平田駅間の耶馬溪線の廃線跡。(県道411号線) | |
H巌銅山の景:この景は、岩屋集落の上で岩の形が自然観音の妙趣を表しているので、一名 浦陀落岩ともいい山下に下毛郡擬大領勝宮守開基の久福寺がある。久福寺門前の岩上には、市指定有形文化財石造宝塔が建っている。 | |
I冠石野(かぶしの)駅 - 耶馬渓平田駅間の耶馬溪線の廃線跡。(県道411号線) | |
J立留りの景:国道212号線に接する巨岩の山で約200年前に一夜轟然と大音響を発して巌腹崩落して今日の景をなしたというこの景は道行く人々が、自然に立ち留まって眺めるためこの名が付いたという。 | |
K冠石野(かぶしの)駅 - 耶馬渓平田駅間の耶馬溪線の廃線跡。(県道411号線) | |
L耶馬溪平田駅は耶馬溪鉄道が大正2年に営業開始、昭和50年廃止まで平間駅として給水・修理施設を備え離合駅として多くの人に親しまれた駅である。 | |
L大分交通耶馬溪線 耶馬渓平田駅 標高86.62m。 | |
L耶馬溪平田駅駅舎は登録有形文化財 第44-0019号に指定されている。 | |
L当時の耶馬溪線。 | Lサイクリングターミナルまで5q。 |
M耶馬渓平田駅 - 津民駅間の大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
N耶馬溪線の橋梁が残っている。 | Nサイクリングターミナルまで4q。 |
O耶馬渓平田駅 - 津民駅間の大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
Pサイクリングターミナルまで3q。 | P車両通行止めだが自転車と歩行者は除く。 |
Q巻峰の景(朝天峰):両石相闘い其の一倒れんと浴するもの、石数層にして夏雲の状を累成するもの有り「互いに競い合う様にそそり立つ岩の姿が素晴らしい風景をつくりだしている」 | |
R耶トンネル 長131.0m。耶馬渓平田駅側。 | |
R耶トンネル 長131.0m。津民駅側。 | |
S大分交通耶馬溪線津民駅周辺。 | |
S耶馬溪線の橋梁。 | Sサイクリングターミナルまで2q。 |
@城井トンネル 長61.0m 津民駅側。 | |
@城井トンネル 長61.0m 耶鉄柿坂駅側。 | |
A第2山国川鉄橋 長110m。 | |
A第2山国川鉄橋 長110m。火災予防の垂れ幕は・・・景観を損ないます。 | |
A展望台にある耶馬溪線の看板。 | |
B大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
C大分交通耶馬溪線耶鉄柿坂駅跡周辺。 | |
C上記写真は、はーさんの鉄道・旅・よしなし草 大分交通耶馬溪線(1964年)より転載。 上りDC列車、キハ105「せせらぎ」 耶鉄柿坂駅 1964年5月3日撮影。 |
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C耶馬溪の風景。 | |
D中津笛橋から見る耶馬溪の風景。 | |
D第3山国川鉄橋 長110m。 | |
D第3山国川鉄橋 長110m。 | D第3山国川鉄橋が有った場所。 |
Eサイクルセンター。 | |
F第1トンネル 長143.5m。耶鉄柿坂駅側。 | |
F第1トンネル 長143.5m。下郷駅側。 | |
G大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
H第2トンネル 長12.6m。耶鉄柿坂駅側。 | |
H第2トンネル 長12.6m。下郷駅側。 | |
I第3トンネル 長29.4m。耶鉄柿坂駅側。 | |
I第3トンネル 長29.4m。下郷駅側。 | |
Jコアやまくにまで9q。 | J道祖神? |
K第4トンネル 長68.5m。四角い部分は後から付け足したと思われる。耶鉄柿坂駅側。 | |
K第4トンネル 長68.5m。 | |
K第4トンネル 長68.5m。下郷駅側。 | |
L大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
M第5トンネル 長35.5m。耶鉄柿坂駅側。 | |
M第5トンネル 長35.5m。下郷駅側。 | |
N大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | Nコアやまくにまで8q。 |
O大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
P大分交通耶馬溪線下郷駅。 | |
P大分交通耶馬溪線下郷駅。 | |
Qコアやまくにまで7q。 | Q再び国道212号線と交差する。 |
R第4山国川鉄橋 長68m。 | |
R山国川。 | S大分交通耶馬溪線の廃線跡。 |
S左が廃線跡で右は一般道。 | Sここは踏切が有ったと思われる。 |
@コアやまくにまで6q。大分交通耶馬溪線の江渕駅周辺。 | |
Aコアやまくにまで5q。切り通しが素晴らしい。 | |
B一ッ戸の景:左右の峰らん皆凡ならず。山渓相迫る処 山腹をうがって道と為す。又まどを穿って明かりを取る。 余 たいまつを買いて以て入るまどに遭い月溪水に在りて朗然たるを窺い見る。「一ッ戸の景は頼山陽にとって耶馬溪との初めて出会った記念すべき景色である」 | |
C第6トンネル 長53.2m。 | |
C第6トンネル 長53.2m。 | |
D大分交通耶馬溪線の中摩駅。 | |
E大分交通耶馬溪線の廃線跡。切り通しが素晴らしい。 | |
Fコアやまくに迄3q。 | F大分交通耶馬溪線の廃線跡。 |
G大分交通耶馬溪線白地駅。 | |
G大分交通耶馬溪線白地駅。プラットホームにいるおばさんが駅舎跡に住んでいる。 | |
G白地バス停。 | H大分交通耶馬溪線の廃線跡。 |
Iコアやまくに迄2q。大分交通耶馬溪線の宇曽駅 周辺。 | |
J大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | Kコアやまくに迄1q。 |
K大分交通耶馬溪線の廃線跡。橋梁及び滝。 | |
L大分交通耶馬溪線の廃線跡。橋梁及び滝。 | |
M大分交通耶馬溪線の廃線跡。 | |
Nサイクリングターミナルから10.5q。中津駅から35q。 | |
Oコアやまくに。 | |
Oコアやまくに。大分交通耶馬溪線の守実温泉駅。 | |
Oコアやまくにの展示写真。 | |
O昔の守実温泉駅。 | |
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