廃線探索 柚木線

更新日時 2012年07月19日

 柚木線(ゆのきせん)は、長崎県佐世保市の左石駅から柚木駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。佐世保軽便鉄道(1918年創立、1921年に佐世保鉄道と改称)の路線として1920年に開業。1936年に買収、国有化され、軌間を762mmから1067mmに改軌した。途中には肥前池野駅があった。現在、肥前池野駅跡地には公民館、柚木駅跡地には公営団地がある。沿線の炭鉱から掘り出された石炭を柚木線から左石駅経由で需要のあった北九州方面や積出港である相浦港方面へと運んでいた。戦後、炭鉱の閉山が相次ぎ、貨物輸送は激減、旅客もレールバスであるキハ02形が投入される程度の需要しかなかった。しかも廃止直前は朝夕各2往復のみの運転であった。1967年7月の水害で不通となったが、復旧されることなく同年8月31日限りで廃止された。なお、最後まであった柚木炭鉱は、1972年まで操業している。廃線跡は、自転車歩行者専用道路として整備された。なお肥前池野駅跡ホーム上には、当時廃止記念として佐世保市に寄贈され図書館として使用されたキハ02 9号車が置かれていたが、1983年頃撤去された。
駅一覧
左石駅 - 肥前池野駅 - 高尾駅 - 柚木駅
 @左石駅(ひだりいしえき)は、長崎県佐世保市田原町にある松浦鉄道西九州線の駅。かつては柚木線が分岐していた。
 @左石駅構造は相対式2面2線ホームの地上駅。2つのホームは大きくずれており、駅舎は佐世保市役所大野支所側(佐々・伊万里方面行きホーム側)にある。佐世保西高校側(佐世保方面行き)ホーム上には木造の屋根があり、両ホーム間は構内踏切で連絡している。松浦鉄道転換後に、佐世保西高校側にも出入口が開設されている。松浦鉄道への転換まで有人駅であった。手書きの乗車券のほか、指定券も発券していた。松浦線は転換時までタブレット(通票・金属製で円盤)による閉塞システム(非自動閉塞方式)が使用されていた。急行「平戸」は通過していたので、運転助手が通過しながらタブレット(タブレットキャリアー・輪になっている入れ物に収めた状態)を受け渡していた。信号機は腕木式であったが、黄色い矢羽の場内用(駅に入る前に設置してある)通過信号が無かったので、ホームにある渦巻き状のキャリアー受けの支柱に緑の手旗を横に挿して代用していた。2008年(平成20年)9月現在、旧駅員室は食堂になっている。また、待合室の一部を改装してたこ焼き屋『駅たこ』が営業しているほか、大野商工振興会が駅舎の一部を事務所として使用している。
A柚木線の廃線跡(正確にはこの下のトンネル)
B柚木線の廃線跡(道路の細さからこの辺もトンネルだったと思われる)
C柚木線の廃線跡。この辺は地上に出ていたと思われる。大野中あたりが出口か?
D柚木線の左石駅 - 肥前池野駅間の廃線跡。
E柚木線の左石駅 - 肥前池野駅間の廃線跡。
F柚木線の左石駅 - 肥前池野駅間の廃線跡。
 G肥前池野駅(ひぜんいけのえき)は、かつて長崎県佐世保市大野町にあった日本国有鉄道(国鉄)柚木線の駅。松浦鉄道西九州線の前身は国鉄松浦線であるが、その支線として昭和40年代まで柚木線・臼ノ浦線・世知原線の3線が存在した。いずれも沿線炭鉱からの石炭輸送を目的に、佐世保鉄道が軌間762mmの軽便鉄道として敷設し、のちに国有化されたものである。しかし石炭の枯渇とエネルギー革命による輸送量の減少で1962年に貨物輸送を廃止してからはいずれも典型的な赤字ローカル線となってしまった。この柚木線も同様で、末期は朝夕のみレールバスのキハ01系気動車による普通列車が7往復運転されるだけの路線となっていた。そのうちの2往復は佐世保駅まで直通していた。柚木線は1967年に水害で壊滅的な被害を受け、もはや復活させるほどの重要性も無かったことからそのまま廃止され、肥前池野駅も同時に廃止となった。なお臼ノ浦線と世知原線も、赤字83線に指定され1971年には廃止となった。なお、現在の駅跡は公民館・公園などになっている。1968年1月6日、廃止を記念してキハ02-9号車が佐世保市に寄贈の上ホーム上に据え付けられ図書館となっていたが、1983年頃には解体撤去された模様である。
H柚木線の肥前池野駅 - 高尾駅間の廃線跡。
I柚木線の肥前池野駅 - 高尾駅間の廃線跡。
J柚木線の肥前池野駅 - 高尾駅間の廃線跡。
K柚木線の肥前池野駅 - 高尾駅間の廃線跡。
L柚木線の高尾駅跡周辺。
M柚木線の高尾駅 - 柚木駅間の廃線跡。
N柚木線の高尾駅 - 柚木駅間の廃線跡。
O柚木線の高尾駅 - 柚木駅間の廃線跡。
P柚木線の高尾駅 - 柚木駅間の廃線跡。
 Q柚木駅(ゆのきえき)は、かつて長崎県佐世保市柚木町にあった日本国有鉄道(国鉄)柚木線の駅。柚木線の終着駅であった。廃止時は単式ホーム1本、線路1本のみの単純な構造で、木造駅舎が最後まで残っていた。松浦鉄道西九州線の前身は国鉄松浦線であるが、その支線として昭和40年代まで柚木線・臼ノ浦線・世知原線の3線が存在した。いずれも沿線炭鉱からの石炭輸送を目的に、佐世保鉄道が軌間762mmの軽便鉄道として敷設し、のちに国有化されたものである。山を越えた所に位置する佐世保線の「三河内駅」まで繋ぐ計画があったが、先の大戦により頓挫した。尚、現在は道路においては、トンネルを通じて三川内方面と繋がっており、伊万里方面にも道路が開通している。しかし石炭の枯渇とエネルギー革命による輸送量の減少で1962年に貨物輸送を廃止してからはいずれも典型的な赤字ローカル線となってしまった。この柚木線も同様で、末期は朝夕のみレールバスのキハ01系気動車による普通列車が7往復運転されるだけの路線となっていた。そのうちの2往復は佐世保駅まで直通していた。柚木線は1967年7月に水害で壊滅的な被害を受け、もはや復活させるほどの重要性も無かったことからそのまま廃止され、柚木駅も同時に廃止となった。なお臼ノ浦線と世知原線も、赤字83線に指定され1971年には廃止となった。なお、現在の駅跡は市営住宅等になっている。
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