更新日時 2012年11月03日
三菱鉱業油戸炭鉱専用線:羽前大山駅から竹の浦まで石炭を運搬する為の鉄道が引かれ、B6形蒸気機関車2両が使用されていた。1957年(昭和32年)に閉山され廃止されている。油戸炭鉱は、かつて山形県鶴岡市にあった炭鉱。三菱鉱業が経営していた。江戸時代から石炭のあることが知られており、村内を流れる油川・油戸の地名も、石炭に連なる油状物質との関連があるといわれている。明治8年開坑。殖産興業策の明治政府は工部省鉱山油戸分局として官営採鉱。明治29年三菱鉱業に払下げられ、佐渡鉱山の精錬・発電用燃料に使った。海岸までトロッコ運搬、沖合の汽船まで小舟で積出した。油戸から竹の浦まで炭鉱の私道として開削され、閉山後は一般道に提供された神子沢隧道が残っている。坑道は海面下まで延び、採炭1トンに湧水量3トンと条件が悪くなっていった。黒いダイヤとして戦後の産業復興の花形企業であった炭鉱も、エネルギー革命の波に洗われ昭和34年閉山80年の歴史を閉じた。大手会社が経営していた炭鉱の閉山第一号かつ大手会社が経営していた炭鉱の石炭鉱業整備事業団への売却第一号である。 | |
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@羽前大山駅(うぜんおおやまえき)は、山形県鶴岡市大山一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線の駅である。 | |
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@羽前大山駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎とホームは跨線橋で連絡している。酒田駅管理の簡易委託駅。出札窓口(営業時間7時00分 - 16時30分、POS端末設置、指定券取扱)、簡易型自動券売機(窓口営業時間外のみ利用可能)設置。 | |
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A三菱鉱業油戸炭鉱専用線はこの辺で羽越本線から分岐していた。 | |
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B三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。道路は廃線跡ではない。この辺は区画整理され痕跡が見当たらない。 | |
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C三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。この道路は廃線跡を転用された道路。コンクリートの構造物は円筒分水? | |
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D三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。この道路は廃線跡を転用された道路。 | |
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E三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。三菱鉱業油戸炭鉱専用線の橋台が残る。 | |
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F三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。道路は左カーブしているが廃線跡は真っ直ぐに伸びていた。 | |
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G三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。橋台跡を倉庫として転用している。 | |
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H三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。橋台が残る。この辺は大戸川を渡るため築堤になっていたようだ。 | |
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H三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。橋台が残る。この辺は大戸川を渡るため築堤になっていたようだ。 | |
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I三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。大戸川を渡る橋梁が架かっていた。大戸川より先は区画整理の為、廃線跡の痕跡は見当たらない。 | |
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J三菱鉱業油戸炭鉱専用線の廃線跡。 | |
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J三菱鉱業油戸炭鉱専用線の竹の浦駅跡。建物の基礎が残る。 | |
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L神子沢隧道は油戸から竹の浦まで炭鉱の私道として開削され、閉山後は一般道に提供された神子沢隧道が残っている。この記念碑は神子沢隧道の改良竣工記念碑で油戸鉱山が閉山後一般に提供された時に改良工事が行われ竣工した記念碑です。神子沢隧道は隧道工事で落盤事故があり多くの人が亡くなり、左側の石碑は慰霊碑になっている。心霊スポットでも有名な隧道。 | |
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L神子沢隧道の竹の浦側。 | |
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L神子沢隧道の油戸側。 | |
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油戸から竹の浦まで石炭を運搬していた三菱鉱業油戸炭鉱の専用道路跡。油戸から竹の浦までトロッコで運搬したとの記述もあるが定かではない。 | |
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油戸から竹の浦まで石炭を運搬していた三菱鉱業油戸炭鉱の専用道路跡。 | |
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油戸から竹の浦まで石炭を運搬していた三菱鉱業油戸炭鉱の専用道路跡。 | |
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油戸から竹の浦まで石炭を運搬していた三菱鉱業油戸炭鉱の専用道路跡。 | |
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油戸の石炭運搬の積み込み場跡。 | |
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油戸漁港は、地方港湾加茂港の南西約3kmの地点に位置し、子持鼻崎と鉄砲崎で湾を形成している天然型の良港である。背後に油戸炭鉱があったことから藩政時代は佐渡金山で精錬用に用いる粘結炭の搬出と、加茂港の副港として一般貨物の出入に利用されていたが、佐渡金山の閉山や加茂港の発展により、漁港としての位置付けとなった。江戸時代から石炭のあることが知られており、村内を流れる油川・油戸の地名も、石炭に連なる油状物質との関連があるといわれている。明治8年開坑。殖産興業策の明治政府は工部省鉱山油戸分局として官営採鉱。明治29年三菱鉱業に払下げられ、佐渡鉱山の精錬・発電用燃料に使った。海岸までトロッコ運搬、沖合の汽船まで小舟で積出した。今も地元では「しやどま(佐渡澗)」という。 | |
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