更新日時 2012年06月23日

 常南電気鉄道(じょうなんでんきてつどう)は、かつて茨城県新治郡土浦町(現・土浦市)の土浦駅と同県稲敷郡阿見町の阿見駅の間を結んでいた路面電車路線、およびその運営会社である。霞ヶ浦海軍航空隊の人員輸送を行うため1926年(大正15年)に建設された路線であった。土浦駅 - 水海道駅間の谷田部線も計画されていたが、予算の都合で土浦駅前 - 阿見駅間の阿見線のみが建設された。 しかし、既に1923年(大正12年)から並行してバスが運行されており、乗客も減少したことから、1938年(昭和13年)に開業11年で廃線となった。廃止後、車両は峡西電気鉄道(のちの山梨交通電車線)および秋保電気鉄道に譲渡された。
1926年(大正15年)10月9日 根崎(後の桜川) - 阿見間開業
1928年(昭和3年)3月22日 土浦駅前 - 根崎間開業
1929年(昭和4年)8月19日 - 23日 飛行船「ツェッペリン伯号」の霞ヶ浦基地寄航のため、臨時電車増発
1938年(昭和13年)3月1日 全線廃止
土浦駅前 - 桜川 - 小松 - 三夜下 - 変電所前 - 大岩田 - 法泉寺前 - 柿ノ木橋 - 青宿 - 阿見
@常南電気鉄道の土浦駅前停留場はこの辺にありました。
A常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
B常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。桜川を渡る橋梁が架かっていた。
 B文政三年(1820年)造立当時は度重なる災害に見舞われ住民は極度の不安に陥っていた。その苦しい中にもなんとか立ち上がろうとの可能性を模索した末、地蔵菩薩に縋りたい一念から「叶地蔵」と命名し造立されたと云い伝えられている。町内の人はもとより遠くからも”願いをかける”参詣者が多く、毎日清掃管理をする人もおり、花や供物たえない。堂宇も80名の寄付者により昭和55年に新築された。
C常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。桜川を渡った先に桜川停車場があった。
D常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
E常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。常磐線の下を潜っていた。
F常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。小松停車場付近。
↑マウスを重ねると昔の航空写真が表れます。桜川を渡る橋脚が残っているのが解ります。
G常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。三夜下停車場付近。
H常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
I常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
J常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
K常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。大岩田停留所付近。
L常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
M常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
N常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。青宿停留場付近。
O常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。花室川に架かる精進橋。
P常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
Q常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。
R常南電気鉄道の路面電車路線の廃線跡。阿見停留場付近。
 S予科練記念館は入場料が500円取られて、撮影禁止なので入りませんでした。雄翔園と雄翔館(予科練記念館)は無料。
 S雄翔園:予科練の碑は、支那事変から太平洋戦争にかけて散華した、予科練出身の英霊18,564柱の慰霊を目途として予科練生存者等の寄金により、昭和41年5月に建立されました。碑の廻りの雄翔園は、水漬く屍の英霊が先輩、後輩供に肩を組んで、太平洋から日本の将来と平和を見守るように廻りには日本列島を形作っております。太平洋の芝生は桜の花弁を、芝生廻りの敷石は錨を、芝生の中の七つの石は七ツ釦と七ツの海えお形象して作られております。尚、池の廻りの石等は、日本全国から集められたものです。
 S雄翔館(予科練記念館)館内は撮影禁止及び転載も禁止と書かれているため紹介は出来ません。雄翔館は、太平洋戦争に於いて、卒業生の8割が、日本の勝利を信じ、潔く花よりも美しく散っていった海軍飛行予科練習生の生活や、英霊の遺書、遺品等を永く保存して、その遺徳を後世に伝えるために、昭和43年予科練生存者等によって建立されました。建物は航空母艦を形象して作られ、屋上への通路は艦橋を、屋上は飛行甲板を現しております。雄翔館は昭和43年高松宮殿下同妃殿下をお迎えして開館され、以来毎日大勢の見学者の方々に深い感銘と感動を与えております。
S陸上自衛隊土浦駐屯地に展示されている戦車。
S陸上自衛隊土浦駐屯地に展示されている戦車。
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廃線探索 常南電気鉄道